©KASHIMA ANTLERS
右膝の受傷から4週間が過ぎましたが、順調に回復しています! 最初の1週間で、膝を固定する簡易のコルセットのようなサポーターを巻いて、起きている時も寝ている間も膝がまっすぐに伸びた状態で過ごしていたら、すごく経過が良好で…。ということもあり、ドクターから「あと2週間、同じ状態で続けてみよう」と言われ、宮崎キャンプも含めてプラス2週間、固定を続けていたらさらに前進した感覚もあります。わかりやすくいうと、切り傷を負った箇所にようやく瘡蓋(かさぶた)はできたけど、完全に治癒する前に瘡蓋が剥がれてまた血が出てしまった、という状態にはなりたくないから、しっかり治るまでもう少し我慢して瘡蓋をそのままにしておこう、的な感じです。
おかげでキャンプ中は、上半身の筋トレをメインにしたトレーニングばかりしていたので、めちゃめちゃマッチョになりました(笑)。もちろん、それ以外にも電気治療をしたり、患部外の筋力を維持するトレーニングにも取り組みましたし、今はコルセットも外れてリハビリの後半戦に入っています。この先は、膝の状態とも相談しながら復帰を目指すことになりますが、こればっかりは、やり続ける先にしか答えが出ないので、朝から晩まで一日中、クラブハウスで過ごしている毎日の積み重ねを信じて、一緒に戦ってくれているメディカルスタッフと自分を信じて、体と向き合い続けたいと思います。
というわけで、2週間弱の日程で行われた宮崎キャンプ中は毎日、練習場から少し離れたところにあるジムでリハビリをしていたため、チーム練習はほぼ見ていません。ただ、練習試合は観戦したし、ピッチ外ではいろんなスタッフ、選手とコミュニケーションを図っていたので、今回はその中で感じたことについて書こうと思います。
結果はすでに明らかにされている通り、徳島ヴォルティス、ファジアーノ岡山、町田ゼルビアとの練習試合は3連敗に終わりました。毎日、ハードなトレーニングを続けている中での試合で、コンディション的にはそれぞれの選手がまだまだ万全とは言い難い状態だったと思いますが、僕が鹿島で過ごしたシーズンを振り返っても、この時期のキャンプでの練習試合を全敗に終わったのは初めての経験でした。
もっとも内容に目を向ければポジティブな面もありました。試合によって45分×3〜4本といったイレギュラーな時間設定で試合を戦うにあたり、例えば、3本目は良くなかったけど1本目はよかったよね、というように全てが悪かったとは思いません。キャンプで取り組んできたこと、練習試合のテーマとして掲げていたことができていた時間帯もありました。試合をすることで、改めて新加入の選手の持ち味だとか、プレーの魅力を感じられたところもあります。
ただ、僕が気になったのは、だから負けていいのか、という部分です。
このプレシーズンは鹿島に限らず、どこもたくさんのトライ&エラーを繰り返してチームを熟成させていく時期です。これから長いシーズンを戦っていく上で何が起きるかわからないからこそいろんなことを想定し、準備をします。と同時に、僕は仮にシーズン中、チームがうまくいかない状況に陥った際、「あの時はうまくいっていたよね」とか「あの試合みたいにやろうぜ」というように、みんなが共通理解を持って思い出すことができる『あの時』『あの試合』を作る時期だとも考えています。もちろん、それは公式戦を戦っていく上でも作れるものですが、シーズンオフの今の時期の練習試合でも作ることはできます。それを念頭に置いて3試合を振り返ったときに、チームとして1試合を通してそういう戦いができた試合があったのかといえば正直、そうではなかった気がしています。
ましてや、鹿島は、常に勝利を目指すべきチームです。公式戦は言わずもがなですが、紅白戦や練習試合だろうと、ちょっとしたスモールゲームや1対1の練習でも、勝ちにこだわって戦ってきたからタイトルの歴史も作れたのだと思っています。そういえばキャンプ中のあるミーティングで、大樹さん(岩政監督)からこんな檄を飛ばされました。
「日本一というタイトルを持つ鹿島は、誰でもが入れるクラブじゃない。君たちは、その鹿島に夢や覚悟を持って加入してきたはずだ。だけど、このキャンプ中の君たちを見ていると、鹿島に入れたことに満足してしまっているように見える。覚悟はどこにいった? 鹿島に在籍していたという名前の記録だけが残れば満足なのか?」
その通りだと思います。実際、僕自身も鹿島に入ったから鹿島の一員になれたのではなく、タイトルを獲得して初めてその一員にしてもらったと思っています。それは、優磨(鈴木)も、スンテ(クォン)も、聖真(土居)や直通(植田)もきっと同じです。そういう姿を、緊張感を、プライドを先輩たちの姿から学び、日々の1つ1つのトレーニングから勝つことを目指すことを続けて、タイトルにたどり着きました。
ということを考えるなら、やはり3連敗という結果について、いい時間帯もあったからよかったね、この時期だから負けてもいいよね、で終わらせてはいけないと感じています。敗戦という結果を糧にしながら、細部にもしっかり目を向けてこの先、開幕までの練習試合とプレシーズンマッチで活かさなければいけない。その上で『あの試合』『あの時』をできるだけ多く、みんなで作り出す努力をしていかなければいけないと思っています。
そして、そのためにはもっと自分たちで考えてチームを作り上げることにトライすべきだとも感じました。大樹さんが常々「監督が提示することだけじゃなく、ピッチで感じたことをそれぞれが表現しないと勝てないぞ」と言っているように、いや、強豪と呼ばれる世界中のチームがそうであるように、ピッチに立つ選手は目まぐるしく変わる相手の戦術にアンテナを張って、変化に気づいて、意見をぶつけ合いながら自分たちの戦いを変化させていかなければいけません。サッカーは1秒で局面が大きく変わるスポーツだからこそ、監督の指示待ちでは相手を上回れないと思うからです。ですが今の鹿島はまだそれぞれが自分のプレーに精一杯で、チームのことにまで考えが及んでいないという印象も受けました。その辺りはこれからの2週間でもっと突き詰めていける部分だとも感じています。
そんなことを思いながらも、僕自身はただ試合を観ていることしかできなかったのが不甲斐ない限りですが、だからこそピッチに戻った時には、ここで書いたような考えをプレーや言葉で表現していきたいですし、それをチームの勝ちに繋げていけるようにしていきたいと思っています。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。