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Vol.3 プロカメラマン/説田浩之

  • 2019.06.25

    Vol.3 プロカメラマン/説田浩之

サッカーのお仕事

フリーランスのプロカメラマンとして活躍中の、説田浩之さん。どんな風にカメラマンを目指し、ヴィッセル神戸や神戸製鋼コベルコスティーラーズで仕事をするようになったのか。スポーツの写真を撮影するにあたっての、氏なりの工夫や信念に迫ります。

ーまずはカメラマンを志したきっかけを教えてください。

説田 子供の頃は電車が好きで、小学生の時に鉄道写真を撮リ始めたのが『カメラ』との出会いでした。そこから、いろんなものを撮るようになり、中学生になるといわゆる思春期で好きな女の子ができたので、その子をよく撮っていました(笑)。普段は全く話しかけられなかったのに、ファインダー越しなら話せたし「カメラを見てよ」と言えば、その子と目を合わせられたから。そういう意味では、手に入れられないものを手に入れる唯一の道具が、僕にとってはカメラだった気がします。でも、だからと言ってカメラマンになろうなんて志はなく…(苦笑)。「好きだから撮る」ってことを繰り返していたら、高校生になったある日、美術の時間に大阪芸術大学の講師もしていた先生から「芸術系の大学に進みたい人はいる?」と聞かれて、なぜか手を上げてしまったんです(笑)。大して勉強もできなかったので、手に職があればなんとかなるかも、くらいに思っていたのかも知れません。いずれにしても、それがきっかけで大阪芸大を目指すことになり、写真学科に入学しました。とはいえ、特に撮りたいものが見つからず…1回生の夏には「意味もなく過ごすなら学費がもったいない」と思い、やめようと思っていました。

ーそんなにすぐに、ですか?

説田 そうなんです(笑)。でも夏休みに同志社大学に入学してラグビーをしていた、中学からの友だちと、お互いの近況を報告していた時に「芸大に行ったけど、特に撮りたいものも、やりたいことも見つからないからやめようと思う」的な話をしたら、「何も結果を出していないのに辞めるんか?」と聞かれ…。その話を帰宅して親父にしたら、「せっかくなら、そのラグビーをしている友達を撮影してみたらどうや?」とアドバイスをくれた。ただ確かに、ラグビーは好きだったんですけど、いやいや機材がない、と。スポーツを撮影するには長玉(望遠レンズ)が必要だけど、高価だから買えるわけもないし…みたいな話になったんです。
そしたら親父が「それ、いくらするの?」と聞いてきたから「50万くらいかな」って答えたら、その時は「そうか」みたいな感じで話が終わったのに、次の日に僕の机の上にポンと50万円が置いてあった。それを見て「これは何?」と親父に尋ねたら「このお金で欲しいレンズを買ってきてラグビーの写真を撮ってから結論を出せ。もし撮りに行く気もないってことなら、レンズはゴミ箱に捨てればいい」と。
そこからラグビーを撮り始めたら、面白さにハマりました。しかも、そうこうしているうちに、大学2回生の時に参加した『スポーツカメラマン養成講座』がきっかけで、サッカー雑誌の『学研ストライカー』でアルバイトをするようになったんです。しかも、その時に知り合ったライターさんが「説田さん、サッカーはもうすぐプロ化になるよ。それに伴い、松下電器サッカー部がオフィシャルカメラマンを探しているから紹介してあげるよ」と繋いでくださって。担当の方に、大学時代の4年間、撮り溜めていたラグビーの写真を数百枚見せたら、後日、電話がかかってきて、ガンバ大阪のオフィシャルカメラマンの仕事が決まりました。

ー『オフィシャルカメラマン』とはクラブ専属カメラマンということですか?

説田 そうです。と言っても、当時は僕もよく分かっていなくて「クラブ専任で撮ればいいんだな」くらいの認識でした。ただ、同志社大ラグビー部の撮影に行っていたことで、1つのチーム、選手を追い続けることには面白さを感じていたし、プロ化になったばかりのサッカー界で仕事をできることにも魅力を感じて引き受けることにしました。

ラグビーの撮影をきっかけに始めた
スポーツカメラマンとしてのキャリアは、
30年近い年月を数える。

ー言える範囲で契約内容を教えてください。

説田 僕はクラブと年間契約を結んだので、その期間はクラブの仕事を優先して引き受けるということと、撮影費は1日あたりの日当換算でお願いします、ということくらいでした。結果的に僕は92年から99年までガンバのオフィシャルカメラマンをさせていただき、それと並行してラグビーの神戸製鋼コベルコスティーラーズには95年から現在まで依頼に応じて定期的に撮影に伺っていますし、ヴィッセル神戸でも01年から現在までオフィシャルカメラマンをさせていただいていますが、基本的に契約形態はほぼ同じです。ただし、イレギュラーなお仕事については別途、対価をいただくこともあります。

ーガンバ大阪でお仕事を始められた時は、サッカーのルールなども覚えられたのですか?

説田 いや、覚えていないし、今もあまり頭に入れていません。
もっとも「ルールがわからないと、どのタイミングでボールが出てくるのか予測できないのでは?」と言う人もいて、それも一理あると思います。でも僕は逆に、ルールを知ってしまうことで、自分で勝手に「ああ、オフサイドだな」「反則だな」と思って撮影の手を止め、ファインダーから目を離してしまうので敢えて覚えていないんです。
これは学生時代にラグビーを撮り続けていた中で学んだことでもあるし、様々なスポーツカメラマンの方の写真を見ていて自分の中で自然と出来上がっていったルールのような気がしています。というのも、少なからず僕が「いいな」と思う写真は、試合の流れと言うより、その選手を最後まで追い続けていたからこそ撮影できた写真ばかりなんです。
例えば、シュートシーンでも、選手がシュートを打ったけど外したから終わり、ではなく、その選手が打ったボールの軌道をどんな表情で見ているのか、まで、です。そういった写真を見ながら、撮影している方の心理状況まで想像した結果、ルールは覚えなくていい、という結論に至りました。
これはどのスポーツを撮影する時も変わりません。試合の流れは動画で観れるからこそ、僕は選手の一瞬の表情や動画では映らない部分を写真で残したいと思っています。

選手の一瞬の表情を逃さないため、
ルールは敢えて覚えていない。

ーヴィッセル神戸のオフィシャルカメラマンには、どんな経緯でなられたのでしょうか。

説田 当時、ヴィッセルの広報をされていた方が元サンケイスポーツの記者さんで、僕が懇意にしていた記者さんの後輩だった縁もあって、最初にカレンダー用の撮影をお願いされたんです。その写真を当時の社長が気に入ってくださったらしく、オフィシャルカメラマンにならないか、という打診をいただきました。と言っても、当時、ヴィッセルにはすでにカメラマンさんがいらっしゃったので、僕としてはその方との関係も気になったのですが、クラブの方から事情を話していただいて、その方にも「説田くんなら安心して任せられる」と言っていただいたので、お引き受けすることにしました。
その辺の人間関係は一番気にするというか…自分が仕事をしたいからといって、土足で足を踏み入れることはしたくないのですごく気を遣いました。

望遠レンズを手にすると、
今でも父の『想い』が温かく、蘇ってくるそうだ。

ー1つのチームを長く追いかけて撮影をされるにあたっての、楽しさと難しさを教えてください。

説田 楽しさは…撮影とはあまり関係がないことですが、普通に生きていたら会えない人に会って、話ができること。その人たちとのコミュニケーションから多くを学べることだと思います。これは最初にお話しした『手に入れられないものを手に入れられる』感覚と似ているかもしれません。
あとは、一つのチーム、選手を追い続けていたからこそ見れる成長や変化を実感できること。ただし、だからこその難しさもあります。例えばスポーツに同じシーンはないとはいえ、同じスタジアム、練習場で撮影するということは、光の入ってくる加減や照明の感じもずっと同じだし、1シーズンは同じ選手が同じユニフォームを着ているわけですから。こちらが意識しなければ、どれも似たような写真になってしまう。そうはしたくないし、表現者として常々、いろんな選手の表情やその選手が最も輝く瞬間を撮りたいと思うからこそ、毎試合、自分なりに工夫をしていますが、そこは今でも、一番難しさを感じていることです。

ースポーツカメラマンとして食べていけると確信したのはいつですか?

説田 未だにないですよ! フリーでやっているからこそ、いつ仕事がなくなるかもわからないし、未だに自分の腕にも自信がない。そう思えばこそ、常に勉強しようと思っていろんなアンテナを張って、自分なりにいろんなことに取り組んでいますが、未だに「この先も家族を食べさせていけるのか」と不安です(笑)。

2020年には東京五輪が開催されますが、それが終わればメディアの数も減るんじゃないかと言われていますし、そうなれば僕らカメラマンのニーズも減っていくんじゃないか、とも思う。実際、今の時代は携帯電話の普及も含めて、カメラで撮影することが手軽になったこともあるし、それこそ素人の方でも簡単に加工ができるようになりましたしね。なので、残念ながら、将来、カメラマンになりたいと思っていらっしゃる方に夢を持ってもらえるような話はできません(苦笑)。ただ、成功できる人はごく限られている世界であることを伝えるのも、今こうしてプロとして仕事をさせてもらっている僕らの責任でもあるはずなので、ありのままの考えをお伝えした次第です。

ー余談ですが、今の説田さんの姿を見て、スポーツカメラマンになるきっかけを与えてくれたお父さんはなんとおっしゃっていますか?

説田 親父は、昔からあまり僕にあれこれ言うタイプではなかったので、今も相変わらず、何も言いません。うちの親父は、時代もあって、おじいちゃんがしていた仕事を継いだせいか、僕にはやりたいことをやらせたいという思いがあったようで…。社会人になってから、僕の仕事に対して、一度も意見してきたことがないんです。
実は僕、大学を卒業後、ほんの一時期だけサラリーマンをしていたんですけど、そこを辞めてカメラマンになると言った時も、お袋は反対しましたが、親父は「そうか」だけでした。ただ、僕が仕事をしている神戸製鋼やヴィッセルの結果は気にしてくれているようで「勝ったな」「負けたな」って話は常にしてくるので、親父なりに心配しているんだとは思います。それに対して僕自身も、あの時、親父がくれたきっかけが今の自分に繋がっていることを忘れず、その想いを大事にしながら、これからも謙虚にこの仕事に向き合っていこうと思っています。

text by Misa Takamura

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