「サッカーを楽しんでほしい」。幾度となく繰り返されるこの言葉には、自身のサッカーの原点、指導者であった父からの教えがありました。子ども時代からサッカーを通して世界を感じた経験から、「サッカーだけではない、人間力を持った選手を育てたい」と話す村田修斗さん。
楽しむことの重要性、それができる子どもは何が違うのか。また村田さんの指導者として熱意にあふれる今後への思いを聞きました。
―現在の活動内容について教えてください。
村田 栃木SCの中学2年、U-15を担当をしています。他の業務としては、サッカースクールで年中さんからの未就学児クラス、小学1、2年生と小学3、4年生のクラスも担当しています。
―今のチームと関わるようになった経緯について教えてください。
村田 大学を卒業して、東京都の三菱養和SCでアシスタントコーチから始まり、専任コーチになってから12年が経ったときでした。中学・高校のときに一緒にプレーした同級生のチームメイトから「栃木SCで指導するのはどうか」と声をかけてもらったんです。栃木SCの他のスタッフとも以前から関わりがあったので決めました。
―オーストラリアにも行かれたんですね。
村田 三菱養和SCでアシスタントコーチとして所属していた2年間で資金を貯めて、25歳のときにオーストラリアへ渡って選手としてプレーしながら生活していました。オーストラリアは公園が天然芝なので、その片隅を使ってパーソナルコーチとして2~3人を相手に教えたりと指導もしていました。帰国後は三菱養和SCに戻りました。
―指導する上で大切にされていることを教えてください。
村田 年齢によっていろいろな子がいるので、選手とコミュニケーションを取りながら、年齢に応じた言葉選びや声がけを心がけています。
―年齢によって声の掛け方に違いはありますか?
村田 年齢が下がるほど、サッカーの楽しさを大事に声がけをしています。年齢が下の子たちは、まずは明るく楽しく元気良くということをメインに声がけしています。上の学年になるにつれて、より細かいところや専門的なことを指導するようにしています。最終的に自立して考えられるようになってくれたらいいなと思っているので、年齢が上がれば上がるほど声がけの量も少しずつ減っていくのかなとも思っています。
―自分で考えてプレーするために、どんなことが必要でしょうか。
村田 例えば、0から1を生み出すのはなかなか難しいことです。なので、まずは1を与えて、そこから2、3、4、いつか10になっていくことを目指します。ドリブルが得意な子、パスが得意な子、それぞれ特長があるので、その特長を消さずにそれぞれの子に合った声がけを心掛けています。
―これまで選手や指導者として転機になったことはありますか?
村田 指導者としては、三菱養和SCにお世話になったことが転機の一つだと思います。父がサッカーの指導者をボランティアでずっとやっていて、それを見ていたのでぼんやりと「コーチをやりたいな」と思っていて、大学在学中にC級ライセンスを取得しました。大学卒業前の就職はどうしようかというタイミングで、三菱養和SCのアシスタントコーチとしてお世話になることになりました。まず指導者としての転機と言われれば、間違いなくそこになります。
―お父様もサッカーの指導者をされていたのですね。修斗さんのお名前もお父様が?
村田 (笑)そうですね。「サッカーをやってほしくてつけたんだ」という話を聞いた記憶があります。物心がついたときからボールを蹴っていました。でも、中学時代はバスケ部でしたし、水泳をやったりもしました。クラブチームでサッカーをしながら、オフの日は部活に行って、いろいろなスポーツをやってきました。
―お父様のご指導を受けたこともあるのですか?
村田 小学校の6年間は父親が指導する地元のチームでプレーしていました。もちろんサッカーを教わりに行っているんですが、礼儀や挨拶、時間を守って行動することや仲間を大切にすることなど、多くを学びました。
―ご自身の指導者としての考え方にも影響していますか?
村田 そうですね、影響はあると思います。とにかくサッカーを楽しくやらせてもらった、とてもいい記憶として強く残っていますね。
―選手や指導者として思い出に残るシーンはありますか?
村田 自分自身の経験だと、縁があって小学校のときに韓国遠征へ、中学のときはポルトガルへ遠征に行かせてもらいました。指導者としてはマレーシアへ遠征に行きました。日本国内でも、もちろんいろいろな経験をさせてもらっているんですが、海外に行くとサッカー以外の面で、文化や食の違いなど、いろいろな経験ができました。それは今も鮮明に覚えています。今、指導している子どもたちにもサッカーを通していろいろな体験をしてほしいという気持ちがあります。子どもたちはもちろん好きでサッカーをやってると思うので、それはそのままに、それ以外のいろいろなことにも触れることで人間力を高めていってほしいと思っています。
―今後の展望をお聞かせください。
村田 今は栃木SCに全力を尽くしたいという気持ちです。指導したことがないカテゴリーの選手を見てみたいと思いつつ、今いる選手たちがどう成長して変化していくのかが楽しみです。本当に今の子どもたちは、サッカーが上手くなりたいという気持ちがすごく強い子が多いなと感じるのですが、やっぱり楽しくないことは続かない。そしてサッカーは団体競技なので、いろいろなことに気づいた上で自ら行動していかないといけないし、さらに周りを巻き込むことも必要です。僕が関わる選手は、そんな選手になってほしいと思っています。
―今後、選手たちにこうなってくれたらいいなというような夢はありますか?
村田 Jリーグのクラブなので、もちろんトップチームへ送り出すのが一番の目標です。ジュニアユースを見させてもらっているので、彼らをユースのカテゴリーに上げることだったり、そこからトップに上がってくれることを目指しているのですが、たとえばサッカー以外の部分でケガなど何かの原因でサッカーができなくなったとき、そこで道が閉ざされないようにもう一つ何か自分の強みを見つけてほしいと思っています。そんな選手を育てるのが目標ですし、そうなるように接していきたいです。
―指導をし始めたときから変化したところはありますか?
村田 僕自身が選手でもあったので、選手とじゃれあうというか距離を近くして接するのは好きな方なのですが、選手から指導者に重心を置く過程でそういった距離感は少しずつ変わってきたり、声がけのタイミングや言葉のチョイスは変わってきたなと感じています。
―指導を始めた頃と今とでは、子どもたちに違いを感じる部分はありますか? 個人で得られる情報量が増えていると他の指導者の方はおっしゃっていました。
村田 子どもの口から出てくる表現が、YouTubeだったりTikTokを通じて得たものが多いなとよく感じます。「SNSで見たプレーをやってみたい」というのが原動力になるパターンもあります。海外クラブの選手のSNSの話もよくしていますね。それがサッカーを楽しむ動機になるのはいいことだと思います。今の子どもたちからはうまくなろう、何かを得て帰ろうという熱意をすごく感じます。もちろんそれは学びに来ている以上、当然のことだと思うのですが、ただ単純に「サッカーはボール一つで仲間と遊べて、この場所にいるのが楽しい」と思ってほしい気持ちもあるんです。純粋にサッカーを楽しむために来てくれる子もいるけれど、そういう子が少し減ったかなという印象もあります。下の学年からすでにストイックで、サッカーで何かを学ばないといけないと思っている子が多い気がします。学ぶ姿勢としてはすごいなと思うのですが、「もう少しリラックスして、サッカーをただただ楽しんでくれてもいいんだよ」とも思っています。やはり楽しいと思えることが、努力を続けることにつながると思うのです。
―ありがとうございました。次の指導者のご紹介をお願いします。
村田 柏レイソルU-15監督の御牧考介さんです。
<プロフィール>
村田修斗(むらたしゅうと)
1989年4月28日生まれ。東京都出身。柏レイソルU–18から尚美学園大学サッカー部でプレー。指導者として三菱養和SCでアシスタントコーチからキャリアを積み重ね、North Star FC(豪)を経て、再び三菱養和SCから現在の栃木SCに移籍して現在に至る。中学校・高等学校教諭第一種免許状(体育科)、JFA公認B級ライセンスを持つ。