©VEGALTA SENDAI
丸一日サッカーを見た日があった。子どものサッカー、社会人サッカー、シニアサッカー。60歳をこえたおじいちゃんたちが、普通に11人サッカーをやっていて楽しそうだった。自分が60歳までサッカーしているイメージは湧かない。鹿嶋では出会ってなかったな。仙台に戻って初めて存在を知った。公式戦のリーグ戦があって、どうやら今年は全国大会が沖縄で行われるらしく、みんなすごく気合が入ってた。その日は一日中、幼稚園児からおじいちゃんまで、サッカーをしていたいろいろな人に「ベガルタ仙台を応援してるよ」と声を掛けられた。ありがたいし、サッカーは人と人をつなげるスポーツだなあとつくづく思った。シニアの草サッカーは見たことあったとはいえ、公式戦は初めて。技術はさびないんだね。うまい人は本当にうまい。そりゃ年齢を重ねて運動能力は落ちている。けれど、かわしてとかトラップとかスルーパスとか。どこのチームにもうまい人はいた。俺も頑張らなきゃいけないと元気をもらう1日になった。
おじいちゃんサッカーは20分ハーフと時間が短いこと以外はオレらがやっている試合と同じ。リーグ戦だからガチ。スライディングもがんがん仕掛けるし、危ういとみるやファウルでプレーを止めにいく。経験豊富だから体が動かない代わりに口が動く。70歳ぐらいのおじいちゃんがボールを奪われて「ああっ」って嘆いているところに、後ろから「頑張って取り返しに行ってよ!」という言葉が容赦なく浴びせられていた。興味深かったので、試合後のミーティングを覗いてみた。そのチームは、チャンスを多々作っても最後の惜しいところでうまくいかずにゴールを奪えなかったし、終盤はみんなバテてへろへろになっていた。「最後に外したり、センタリングがゴールラインを割ったりして、ダサいよ!」って怒るキャプテン、真剣に聞き入るメンバー。でも、それが終われば笑顔で飲みに行く話をしてた。走るのよ。頑張るのよ。週1ぐらいで練習しているそうだ。審判に遠慮なく文句言うし。審判の人が気の毒になってくるぐらいね。体が追い付いていないだけで、知識がある。言うことはしっかり言うのさ。アフター気味のファウルに怒ったり、オフサイドの笛に「オフサイドないじゃん」ってブーブー言っていた。ピッチ上の選手と同じような熱量で「うおおおおい」ってベンチもボルテージが上がって叫んでいた。けど、パッと切り替える。引きずらずにすぐ切り替えるオーバー60。潔さもすごい。
ひるがえってオレらプロは、いろいろなものを背負っているから割と審判にしつこく不満をぶつける。試合に勝たなきゃいけないし、選手はワンプレーワンプレーで評価される立場だからというのが根底にあるからだ。例えば、ディフェンダーがボールを奪うとき。芸術的にボールをかっさらったのにファウルと判定されたら死活問題だ。万が一そのファウルで与えたFKから決勝点を奪われたら戦犯になることもある。審判と選手みんなで試合をつくる。それは分かっているし、潔さを見習いたいけど簡単に見習えない部分もある。「切り替えよう」とは言うものの、実際難しいよね。
背負うものの中には当然、応援してくれる人たちの思いも含まれる。先日、驚いたしうれしかったことがあった。ベガルタは東北学院大学の泉キャンパスに新練習場を整備中で、その資金の一部をクラウドファンディングで募っている。さまざまなリターンを用意しているなかで、オレの一押しは、クラブハウスのレンガタイルに5万円の寄付者のメッセージと名前を載せる「クラブハウスにネームプレート&メッセージ掲示」なんだけど、コースの中に「OBや選手とのゴルフコンペ」というものがある。お値段50万円。さすがに高額設定過ぎて無理じゃないかと思っていたら、寄付者がいた。そして、知り合いだった。昨年末一緒にゴルフをした人だった。オレからしてみれば「クラウドファンディングに50万円も払わなくても、ゴルフだったらまた付き合えるのに」となる。でも、県工(宮城県工業高校)OBのその人は、「遠藤さんと春男さん(ベガルタ仙台GM庄子春男)がいるうちに、何かクラブの助けになりたいと思った」と言ってのけた。そういう気持ちってありがたいね。日常接していて春男さんの存在の大きさは身に染みて感じているし、オレが仙台に帰ってきたことがベガルタにとってプラスになったのならうれしい。そういう思いに結果で応えていきたい。
ちなみに、新練習場で選手の期待を最も集めているのは新しいクラブハウスだ。今のクラブハウスは手狭で、ロッカールームにいてもみんなの顔が見られない。練習着をかけて荷物を置いたら座ることもできないし、テレビもない。2部練習前に自分の車のなかで寝る選手もいるぐらいだ。新クラブハウスも計画段階では、ミーティングルームが広くてロッカールームが狭かった。1週間で数時間しか使わない部屋よりも、リラックスできる空間を広げてほしいという要望を伝えたところ、クラブが現場の意見を尊重してくれた。完成が楽しみだ。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。