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ガンバ大阪・福田湧矢と中村仁郎が戦列に復帰。

長いリハビリを乗り越えて。 <br>ガンバ大阪・福田湧矢と中村仁郎が戦列に復帰。

  • 2024.06.14

    長いリハビリを乗り越えて。
    ガンバ大阪・福田湧矢と中村仁郎が戦列に復帰。

J.LEAGUE PRESS

高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
photo by @GAMBA OSAKA

 ケガとの戦いの日々を終えて、2人の選手がピッチに戻ってくる。ガンバ大阪の福田湧矢と中村仁郎。昨年、ほぼ同時期に戦列を離れた二人は約9カ月間、声を掛け合い、互いの姿を刺激にしながら進んできた。チームへの完全合流にはもう少し時間を要するが、すでに屋内で続けてきたトレーニングは屋外へと場所を移すことが増え、ランニングシューズはスパイクへと変わった。待ち望んだ瞬間はもう、目の前だ。
「本当に苦しんだ。でも、苦しかったし、悔しかったから、また成長できた」(福田)
「しんどい日も調子がいい日もあったけど、全てが財産。今の自分ですべきことが明確になった」(中村)
 二人が向き合った約9カ月間と、復帰に懸ける思いに触れた。

福田湧矢の戦い。「苦しい状況を乗り越えてこそ得られる成長や喜びは、きっとある」

 福田湧矢が離脱したのは昨年の10月だ。同月1日に行われたJ1リーグ第29節・FC東京戦には途中出場したものの、以前から抱えていた左足首の痛みが日に日に強くなり、その直後の中断期間で痛みがピークに達してしまったという。
「シーズン終盤、残留争いをしていた時期だったので、なんとかチームの力になりたいと思っていたのに、足首が痛すぎてステップも踏めなくなってしまって。動けないのならチームに迷惑をかけるだけだと思い、戦列を離れました」

 その際は、強度の捻挫によって腱周囲に炎症を起こしていたものの、骨や腱には明らかな異常がなかったため、保存療法で経過を見たという。だが、さまざまな治療を取り入れて変化を期待したが改善は見られず、それを受けて1月15日に内視鏡での手術に踏み切った。

「MRIでは映らない箇所もあるからと、結果的に手術に踏み切ったんですけど、腱自体に何かが起きているわけではなく…。ただ、捻挫をした際に、ネズミ(編集部注:副骨障害)が腱に悪さをして痛みにつながっていた可能性があったので、それを除去するクリーニングをしました」

 しかもその手術から約3週間後には、復帰を目指す過程で再度同じ足を捻ってしまい、リハビリが振り出しに戻るといったアクシデントも。それもあって、当初の予定よりさらに1カ月ほど長くリハビリに時間を費やさなければいけなくなった。

「近年は肩を含めてケガが続いて体のバランスが崩れてしまっていたせいか、アクシデント以外にもリハビリの過程でハムストリングや腰などに痛みが出てしまって。少し上手くいき始めたら、また休まなきゃいけないって繰り返しで、なかなか前に進んでいる感覚を持てず、その時期が一番メンタル的にも辛かったです。このまま進んでもまた痛みが出るかもしれないって不安も大きかった。特にリハビリを始めてすぐに足を捻ってしまった際は、初めて気持ちが切れてしまって。何も考えられず、リハビリをしていてもどことなくボ〜ッとしていることも多かったです」

 もっとも、そこで屈することはなく、過去の悔しい経験も思い出しながら再び前を向いたという。

「復帰して、どうなりたいか。それをイメージして、自分で自分のケツをめちゃ叩いて、やるしかないな、と」

 ポヤトス監督の言葉も力になった。

「たぶん、僕の様子を見てダニ(ポヤトス監督)が心配したのか『湧矢はいつもニコニコしているけれど、今が一番、しんどいんじゃないか』って声を掛けてくれて。『大丈夫だ。ピッチに戻ればまた湧矢らしくサッカーができる。期待しているぞ』と言われて涙がブワッと溢れてしまって、その場でやばいくらいに泣きました。家で一人で泣くことはあっても、クラブハウスでは絶対に(弱みを)見せちゃいけないと思っていたのに歯止めが効かなくなっちゃった。でも、おかげで吹っ切れました」

 それでも不安な気持ちが湧き上がってきた時には「俺ならやれる」と心の中で繰り返した。過去の経験から、気持ちさえ折れなければ、必ず這い上がれると信じていたからだ。

「この世界はケガがつきものとはいえ、ケガに慣れることはありません。当然、その都度、悔しいし、自分に落ち込むこともあります。普段のトレーニングはもちろん、食事や自主トレにも、僕なりにできうる精一杯で、全てを注いで取り組んできただけに、これ以上どうすればいいのかわからなくて苦しくなったこともありました。ただ、いろんなことに真剣に取り組んできたからこそ、自分に自信を持てているのも事実なので。実際に、ピッチに戻ることさえできれば自分らしいプレーができるという自信もある。だからこそ、今回のしんどかった時間もいつか笑い飛ばせるように、あと少し、焦らずに最後のメニューにもしっかり向き合ってピッチに戻りたいと思います」

 イメージしているのは、攻守に走り回りながら、ゴールに迫り、ゴールネットを揺らす自分だ。

「復帰が全く見えていない時は、もともとガンバファンだった僕なので全力でチームを応援してきました。もちろん、なんでこの場に自分がいないんだろうって思うこともあったし、悔しさもありました。今年のガンバはすごく一体感があって、みんな仲がいいので、余計に勝つ瞬間に自分がいないことに落ち込んだこともあります。でも、チームがいい雰囲気で、盛り上がっているのを見るのは好きだし、何よりガンバが勝つことは僕にとって一番の喜びなので。特に復帰が見え始めてからは、そのことを力にしながら、自分が出たらこういうプレーができるかもなって想像して試合を見ることも増えているので、早くそれをプレーで表現したいです」

 また、普段から頻繁に連絡を取り合っている弟・翔生が湘南ベルマーレの一員として活躍する姿に刺激をもらうことも多かったそうだ。昨年の8月に湘南に加入した翔生は、今シーズン、そのキャリアにおいて初めてスタートからJ1リーグを戦っている中で14試合に出場し6得点を挙げるなど、チーム2位の得点数で攻撃を牽引している。

「翔生の活躍は本当にすごく嬉しい。あいつがめちゃ頑張っているから自分にも火がつくというか、負けていられないという思いにもさせられます。あいつも、JFLからキャリアをスタートした苦労人。いろんな苦しい時期を乗り越えてきた姿も見てきたし、家族にしか見せてこなかった弱みも知っているからこそ、余計に自分の姿を重ねるところもあったのかも。残念ながら6月1日の湘南戦では同じピッチに立てなかったので、7月20日にパナスタで対戦する時にはバチバチやりあえるように、それも復帰にあたっての目標の1つにしています」

 その湘南戦後のオフには福岡の実家に戻り、弟を含めて家族で食事に出掛け、温泉にも入ってパワーを充電したと聞く。あとは、自身がピッチに戻り、リハビリの間に溜め込んだ思いをピッチにぶつけるだけだ。

「今年でプロ7年目ですが、正直、プロになった時に描いていた未来図とは全く違うキャリアになっています。2年目くらいに試合に出られるようになってからは、もっとガンバのために活躍できる自分を想像していました。でも、いろんなことがありながらも、今も大好きなガンバの一員としていられることを幸せに感じているし、苦しい状況を乗り越えてこそ得られる成長や喜びは、きっとあると思っています。現に、今シーズンのガンバがそれを教えてくれているというか。苦しかった去年のシーズンをみんなで向き合って乗り越えたから、それが少しずつ今年の勝ちに繋がってきているはずですしね。少なからず、自分もその一員だということに自信を持ってピッチに戻りたいし、戦列に戻った時には、ガンバが大好きだという気持ちをピッチにぶつけて、ガンバが勝つためのプレーをしようと思います」

中村仁郎の戦い。「いろんなことを素直に楽しみに思えているので、その気持ちのまま戻っていこうと思います」

 中村仁郎の左膝が悲鳴を上げたのは、昨年の9月だ。以前から違和感を感じていたこともあり、必要に応じてMRI検査を行いながらプレーを続けていたが、次第にプレーに支障が出るほどの痛みになってしまったという。

「プロ2年目で僕なりに勝負の年だという意識もあったし、出場時間はそれほどもらえていなかったとはいえコンディションも良かったので(練習を)外れたくなかったというか。実際、離脱しなければいけないほどの症状でもなかったので、様子を見ながらプレーを続けていたんです。そしたら、9月9日の練習中に痛みがピークに達して、動けなくなった。それで、まずは治療に専念することにしてPRP(血液を利用した再生医療)やESWT(衝撃波)など、できうる治療は全部やったんですけど、全然良くならなくて。MRIでは映り切らない原因があるかもしれないからと、10月に一回目の内視鏡手術を行いました。結果、膝の滑膜ヒダが炎症を起こす『タナ障害』だと明らかになりました」

 ところが、一時期こそ「あの痛みがなんだったのかと思うくらい痛みを感じなくなった」ものの、リハビリを続けるうちに痛みが再発。しかも時間が経つほど強く感じるようになったことを受け、中村は1月19日に2度目の手術に踏み切る。すると前回の手術とは違う症状が明らかになった。

「ドクター曰く、今の医学の常識に当てはまらないようなイレギュラーな症状が軟骨内部で起きてしまっていたらしく、それが痛みの原因だったようでした。実際、その箇所を削り取ってから、リハビリ過程もほぼ順調に進んできたし、痛みの軽減に伴って、以前のような『ほんまにピッチに戻れるんかな』というような不安もなくなりました。もちろん今も日によっては多少のリバウンドは出ますけど、気になるようなレベルのものではないし、1〜2日で治ることがほとんどなので。今はひたすら真っ直ぐに復帰に向かえています」

 とはいえ、約9カ月だ。アカデミー時代を含め、過去にはケガに苦しんだ経験もあるとはいえ、それとは比べものにならないほどの長期離脱にどう向き合ったのか。

「離脱当初は、痛すぎてサッカーをしたくないくらいの状態になっていたので、一時期はサッカーから離れたというか。サッカーを観ることもせず、敢えて頭から外して過ごすことも多かったです。でも今となっては、それも自分にとって大事な時間だったと思っています。それがあったから、2回目の手術が終わって痛みが小さくなるにつれて、自然とサッカーをやりたいという気持ちにさせられた。実際、今はまだ外でのフィジカルトレーニングが始まったばかりですけど、制限がありながらもほんの少しボールを触らせてもらえるだけでめちゃめちゃ幸せな気持ちになります」

 そうして、自然と湧き上がった感情はプロサッカー選手であることの幸せも再確認することにもつながったという。

「サッカーから離れてみて気づいたんですけど、改めてプロサッカー選手はすごく幸せな職業だと思うんです。仕事ってある意味、生きていく術でもあって、世の中を見渡してもそこまで向上心を持って取り組める仕事ってそんなに多くはないはずだし、それができている人も少ないと思います。でも、僕はそれができていて、その姿をいろんな人に応援してもらっている。それってすごく幸せなことだし、それを改めて実感したことで、この先はもっとサッカーを楽しめそうな気もしています。ってか、最近は復帰が近づいてきたせいか、試合を観ながら自分を当てはめて頭の中でプレーするようにもなったし、体が動くようになるほどやれる自信もどんどん湧いてきているので、早くサッカーをしたい。せっかくここまで丁寧に体と向き合ってきたので、最後に焦って台無しにしないように、焦るな、と自分に言い聞かせていますけど」

 事実、この約9カ月間では、体と向き合う中で必要だと感じた、無意識に自身の体を使いこなすためのトレーニングやピラティスにも取り組むようになったと聞く。それによって感じている変化が、復帰後のプレーにどう活かされるのかも、楽しみにしていることの1つだ。

「これまでは、体のバランスを整えること1つとっても、意識的に骨盤の位置を理想の位置に持っていくためのトレーニングをしてきたんです。でも、基本的に僕は不器用なせいか、それがあまり合わなくて。それもあって今回の離脱を機に、考えずとも正しく体を動かせるトレーニングというか、無意識にその状況になるエクササイズや筋トレに取り組むようになった。そしたら、以前より負荷は下げているのに筋肉が大きくなるというような効果も出始めたんです。上半身が以前より少しゴツくなったのも、以前より正常な位置に骨や筋肉がある状態でトレーニングができているから、より効果が表れやすくなっているのかな、と。あとはこの体がプレーとリンクできるかですけど…、これだけ長く離れていましたからね。最初はボールが足につかないこともあるだろうけど、ボールフィーリングや技術はボールを触り始めたらすぐに元通りになるはずなので。そこに体の動かし方や強度、プレーの精度がどうついていくかも含め、今はいろんなことを素直に楽しみに思えているので、その気持ちのまま戻っていこうと思います」

 そしてもう1つ。ピッチに戻る自分の背中を押してくれているのが、アカデミー時代からの同期でチームメイトの坂本一彩の存在だ。今シーズン、坂本のファジアーノ岡山からガンバへの復帰が決まった時から、同じピッチでプレーすることを楽しみにしていた中村だが、その坂本がJ1リーグで輝いている姿に大きな刺激とヒントを得ているという。

「一彩の活躍は、すげぇなって思いながら見ているし、めちゃ刺激をもらっています。と同時に、一彩のプレーを見ることで自分の1年目、J1リーグに出ていた頃の記憶が蘇ったというか。あの時は今ほど気負わずにやれていたなとか、自分のプレーをもっと自然に出していたな、と思い出し、僕もあまり気負いすぎずに自然体でいいのかなと思うようになった。実際、去年は勝負の年だ、とか、いろんなことに力が入り過ぎて視野が狭くなっていたからケガをしてしまったのかもしれないし、凝り固まった考えが自分のプレーを小さくしていたのかもしれないな、とも思いますしね。もちろん自分の良さで勝負するという考えは今も軸にはあるんですけど、それを正解だと決めつけるのではなく、今はもっと広い視野でいろんなことを試してみようかなと考えるようにもなっています。それによってまた違う可能性も広がるはずだし、プレーの変化も起きそうな気がするから」

戦列復帰まであと少し。共に戦った仲間、応援してくれた人たちのためにも。

 そんなふうに、それぞれの温度で向き合った長いリハビリの日々に別れを告げ、福田は6月13日に部分合流。中村も6月末の部分合流を目指し順調に回復を見せている。「あと7試合でJ1リーグ100試合出場を達成するので、まずは今年のうちにそこを実現したい」と福田が言えば、「リハビリを通してこれまで自信がなかったところに自信を持てるようになったから、今はやれる自信しかない」と中村も負けていない。苦しくもあり、強くなるための時間を自信に変えて、ともにピッチに立てる日だけを想像して、突き進むのみだ。

「仁郎ちゃん(中村)が頑張っているのをそばで見ていたから、僕も頑張れた。あいつはすごい。僕よりも長いリハビリ生活でしんどいはずなのに、全然弱音を吐かないし。あとは中村有希トレーナー。中村さんが愛を持ってサポートしてくれたから、めちゃ頑張れました」(福田)
「1回目の手術の時は病院にいるのが嫌ですぐに退院したんですけど、2回目は同時期に湧矢くんも入院していたから、いろんな話もしたし、ゲームもしたし、入院生活も苦にならなかった。その時期はヒガシさん(東口順昭)や亮太郎くん(食野)も一緒にリハビリをしていましたが、そのメンバーのおかげで楽しみながらメニューに取り組めたし、ポジティブに考えられることも多かった。中村さんも、僕が調子いい時はやりすぎないようブレーキをかけてくれたり、気持ちが乗らない時は僕を信じてメニューを減らしてくれたり、いつも寄り添ってくれた。他にも友達や近しい人たち、家族など、本当にいろんな人にすごく助けられました」(中村)

 二人の言葉にもある通り、約9カ月という長い時間を戦っていたのは選手だけではない。リハビリを共にした仲間、メディカルスタッフも同じだ。
 中でも、今年からガンバのスタッフとなり、彼らのリハビリを担当してきた中村フィジオセラピスト(PT)は、彼らと過ごした半年間、体はもちろん心にも気を配りながら、アメとムチを使い分けて二人に寄り添ってきた。

「二人とも、リハビリに対する姿勢も、すごく素直で真面目な選手。長いリハビリの最中には気持ちが乗らない日も当然あったと思いますけど、自分自身にしっかりハッパをかけて、常にモチベーション高く復帰を目指している姿が印象的でした。ただし、チームに貢献したいという気持ちがすごく強い二人だからこそ、復帰が見えてきた今は、より手綱をしっかり持つようにしている自分もいます。この先も、しっかりと自分の体に目を向けて完全合流を目指してくれると信じていますが、メディカルスタッフとしては、ある意味、チームとは切り離して、選手の体のために、その都度、いい判断をすることが必要だと思っているので。そのことを、改めて自分にリマインドしてしっかりサポートを続けようと思います」(中村PT)

 昨年まで在籍していたFC東京時代に、味の素スタジアムでのルヴァンカップで二人のプレーを観て、記憶していたという中村PTの今の密かな楽しみは、彼らがパナソニックスタジアム吹田のピッチで躍動する姿を観ること。言うまでもなく、ガンバ愛が強い二人もまた熱狂の舞台でプレーする日を心待ちにしている。

「勝ちが増えれば、当然、スタジアムの一体感はより大きくなるからこそ、自分たちがまず結果を出す、ワクワクさせるようなプレーを見せたいというのは第一にあります。ただ、一方で、昨シーズンのように苦しい時期もサポーターの皆さんは声を枯らして応援してくれていたのを知っているし、きっとそこを一緒に乗り越えたから今のスタジアムの空気もある。その一緒に戦って作り上げてきた空気に、僕もまた力をもらって頑張ろうと思います。自分で言うのもなんだけどもう十分、苦しんだので。きっとそれに値するたくさんの喜びが待っていると信じているし、僕自身もサッカーを楽しみながらプレーできる喜びを表現しようと思います」(福田)

「戦列を離れている間も、エキスポシティや茨木市内を歩いているときにいろんなサポーターの方が声を掛けてくださって『ああ、僕のことを忘れずにいてくれているんやな』って思えたことも復帰を目指す上ではすごく励みになりました。そこで掛けられた言葉や、皆さんの期待に応えるのが僕の仕事。自分がしっかりサッカーを楽しめれば、きっと観ている人も同じように楽しんでくれるはずなので、しっかりと自分の体に耳を傾けながら、サッカーを思い切り楽しもうと思います」(中村)

 その日まで、あと少し。溜め込んだ感情を爆発させる時が、確実に近づいている。

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