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Vol.105 興梠慎三と土居聖真。2週間半ぶりのJ1リーグ再開。

  • 2024.08.06

    Vol.105 興梠慎三と土居聖真。2週間半ぶりのJ1リーグ再開。

発源力

©FCMZ

約2週間半の中断期間を経て、8月7日からJ1リーグが再開します。前節・横浜F・マリノス戦で負けてしまった僕たちとしては、この入りはすごく大きな意味を持つ試合になると思っています。今後も、上位を争うライバルになるセレッソ大阪が相手だと考えても絶対に落とせません。現時点での得点王、レオ・セアラ選手に仕事をさせないことが1番のカギになると考えても、守備を預かる一人として、後ろからしっかりとチームを引き締めながら試合を進めたいと思います。

この中断期間は猛暑の中でもしっかりと練習をしてきました。黒田剛監督の「暑くて厳しい時期だからといって、現状維持でOKとは思っていない。この時期だからこそ成長し、チーム力を上げていこう」という狙いのもと、ハードなメニューにも取り組み、全員がやり切ったと思っています。それを再開後のピッチでしっかり示していきたいし、結果に繋げていきたいです。また、夏のウインドウで、大きく選手の入れ替わりもあった中で、今後は新しく加入したメンバーとの融合も大事になってきます。お互いの特徴をなるべく早く理解し合いたいし、新加入選手には町田のサッカー、戦術の約束事をできるだけ早く掴んで欲しいとも思います。そのためには僕ら既存の選手もできる限りの働きかけをして、一丸となって進んでいきたいです。

町田に限らず、この夏は各チームにもいろんな動きがありました。その中で、個人的にはこの発源力で触れたい出来事が2つありました。
1つ目は、鹿島アントラーズからモンテディオ山形に完全移籍した土居聖真についてです。正直、この歳になると誰かに移籍の相談をすることはほぼなくなるし、実際、聖真(土居)からも直接、決断に至った理由を聞いたわけではありません。ただ、彼とは同期ということもあり、昨年の鹿島でもいろんな話をしていた中で、今回の決断が彼にとってすごく難しいものであったのは間違いないと思っています。特に、聖真はアカデミー時代から含めると20年近くもの時間、いい時も悪い時も、鹿島一筋で戦ってきたワンクラブマンです。彼にしかわからない重圧、責任感は間違いなくあったはずだと考えても、今回の決断の重さ、大きさは想像できます。その上で僕に言えることがあるとしたら、とにかく新天地で、聖真らしく頑張って欲しいということだけです。サッカーが巧くて、ボール回しの時ですら全くボールを取られない技術もあって、サッカーでいうところの相手を騙すプレーも巧みな聖真だからこそ、プレー面は全く心配していません。それは8月3日の山形でのデビュー戦で早速、ゴールを決めたことからも明らかだと思います。この先も彼の出身地のクラブである山形で、自分の決断を自分で正解だと言えるものにしてもらいたいし、僕自身も、引き続き新天地で戦う聖真の姿を刺激に戦い続けようと思います。

2つ目は、7月31日に今シーズン限りでの引退を発表した興梠慎三くんについてです。慎三くんは、僕がプロキャリアをスタートした時から本当にお世話になった先輩でした。鹿島に加入して最初に衝撃を受けたFWが慎三くんで、野生味溢れるストライカーの彼に「こんな速い選手がいるのか! 俺には止められないかも」と驚いたのも覚えています。
そんな僕の気後れをよそに、慎三くんはプロ1年目の僕をよく食事や買い物に誘ってくださいました。免許がなかったときには慎三くんのゲレンデ(メルセデスベンツ)に乗せてもらい、車内で流れるケツメイシのバラードという曲を聴きながら、何度も寮まで送ってもらいました。そんな慎三くんに憧れて、僕が試合に出るようになったプロ4年目には同じゲレンデを買いました。慎三くんから買い物を頼まれると、1万円で十分足りるものでも、決まって3万円を手渡され、お釣りと領収書を持って行くと必ず「お釣りはやる。うまいものでも食え」と言って受け取ってくれませんでした。当時、流行っていたプレステを買いに行って慎三くんに届け、ひとしきり一緒にプレステを楽しんだ後に「もう飽きたから、やるよ」と本体ごとくれたこともあります。とにかく何をするにも豪快で、好きなものを食べ、好きなものを飲み、少し甲高い声でガハハと笑い、宮崎弁丸出しで話すのも慎三くんスタイルでした。言うまでもなく、サッカーは大好きでしたが、あまりにもその人となりが豪傑すぎて38歳まで現役をするとは思ってもみなかったというのは正直なところです。きっと慎三くんをよく知る人は、みんな同じことを言うはずです。何より、本人にその言葉を伝えたときも、慎三くん自自身が「俺も」と笑っていました。

ですが、一方で20年ものプロキャリアを築くにふさわしい結果を残してきたからこそ、今の姿があるとも思っています。Jリーグ史上初の9年連続二桁ゴールとか、歴代2位を数える168ものJリーグ通算ゴールもそれを物語っています。僕が鹿島で一緒にプレーしていた時代や30代前半頃までの慎三くんは、自分で点を取るだけではなく、ワンタッチで周りの選手を使うとか、1.5列目に下がってきてFWとの中継役になるというプレーが多かったのに対し、ここ数年は少しプレースタイルを変えていたのも印象的です。もしかしたら、チームメイトの特徴や自身の体力的なことも踏まえてかもしれませんが、よりゴールに簡潔に向かうようになったイメージもあります。実際、僕がガンバ大阪時代にセンターバックとして対峙した時も、「ゴール前で待っていたらボールがくるな」ってシーンでは必ず、僕らの視界から消えるようにポジションを取り直し、2センターバックのどっちがマークにいくのかを迷うようなポジションでボールを受けられることも多かったです。その上で、一瞬の駆け引きでパスをもらってワンタッチでゴールを決めるというように、ザ・ボックスストライカー的な役割が増えたように感じました。いずれにしても、相手選手に脅威を与え、点を取る姿は相変わらずで、だからこそ、これだけ長くチームに必要とされる選手であり続けたんだと思います。

余談ですが、僕は鹿島時代から慎三くんの個人チャントが好きでしたが、浦和に移籍後、初めて慎三くんの個人チャントを耳にした時の衝撃も忘れられません。「めちゃめちゃ格好いい!」が第一印象で、敵チームながら、5万人ほどが詰めかけた満員の埼スタで、それを聞いた時はマジで身震いしました。今でも大好きなチャントすぎて、家でもふとした瞬間に口ずさんでしまい、奥さんに「また歌ってる!」とツッコまれたりもしています(笑)。

そんな大好きな慎三くんがピッチを去ることに、大きな寂しさを感じているのは事実ですが、今はまだ「お疲れさまでした」とは言いません。残りのシーズンではまだまだ慎三くんのプレーを楽しみたいし、何より8月末には、国立での『町田対浦和』戦を残しています。その時にピッチで再会できるのを楽しみにしつつ、最後の公式戦での対戦を最高の時間にするためにも、しっかりと慎三くんのプレーを感じながら、バチバチやり合いたいと思います。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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