高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
photo by @GAMBA OSAKA
ホームタウンに住む子供たちの健全育成を目的に、ガンバ大阪が2003年から継続的に実施してきた『ホームタウンふれあい活動』。コロナ禍を除き、吹田市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、箕面市、摂津市を中心とした937校、約29万人の子供たちと絆を深めてきた。
同活動が今年の6月に続き、9月4日にもホームタウンの各地で実施され、選手、チームスタッフ、クラブスタッフ、アカデミーコーチが10グループに分かれて、池田市、箕面市、豊能町にある小学校20校を訪問。授業の一貫として、計4,001名の小学生と約2時間にわたって交流を深めた。今回はそのうち、箕面市・萱野東小学校で行われた『ホームタウンふれあい活動』の様子をお届けする。
03年にスタートして36回目。今回の『ホームタウンふれあい活動』も、子供たちの笑顔に迎えられる。
中谷進之介、林大地、岸本武流、高木和道コーチをはじめ、アカデミースタッフらが、萱野東小学校の体育館に登場した途端、4限目の授業のために体育館に集まっていた小学5、6年生から大きな歓声が上がる。西田俊治校長の投げかけに返ってきた声も元気いっぱいだ。
「ガンバ大阪はどこのチームか知っていますか?」
「大阪!!」
「大阪のどこかは分かりますか?」
「吹田!!」
「今日はガンバ大阪の皆さんにサッカーを通して触れ合うことはもちろん、サッカー以外の人生の先輩としてもいろんなことを学んで欲しいなと思います」
選手に熱視線を送る小学5、6年生の中には、ガンバファンの間では恒例行事として定着した年1回のスタジアムイベント『GAMBA EXPO』で配布された記念シャツを身につけている子供もチラホラ。とはいえ、ひとしきりミニゲームで盛り上がった後、中谷からの「パナソニックスタジアム吹田にきたことがある人?!」という問い掛けに手を挙げた子供はやや少なめ。本人にそのことを問うと「だから僕たちはここに来ている」と笑った。
「正直、もっとたくさんいるのかなというイメージでしたが、給食を一緒に食べたクラスの子たちには、サッカークラブに所属している子も1人しかいなかったんです。そこは寂しさも感じましたが、これはつまり、Jリーグとか、プロサッカーへの認知もまだまだ低いってこと。子供たちが好きなスポーツランキングで一位になれるように僕たちもしっかり頑張らなくちゃいけないと感じました。ただ、今日のような活動を通して、少なからずガンバを身近に感じてくれたのかな、とは思うので。僕が子供の頃は、こんなふうにプロサッカー選手と触れ合う機会は…小学4年生の時に、柏レイソルジュニアに加入するまでは全くなかったし、知っているJリーグのクラブも横浜F・マリノスと鹿島アントラーズくらいでしたから。こうした時間を通して、子供たちにガンバを身近に感じてもらったり、サッカーに興味を持ってもらったり、何かを頑張る力になったり、色んな刺激を与えられたらいいなと思っています」(中谷)
ガンバがホームタウンにある小学校を訪問し、子供たちとの時間を共有する『ホームタウンふれあい活動』を行うようになったのは、03年だ。01年、児童8名の命が奪われた大阪教育大学附属池田小学校での痛ましい殺傷事件を受け、ガンバの選手が同校を慰問。サッカー教室を通して子供たちを勇気づけたことがきっかけとなり、各市の行政と連携を図りながら年1〜2回の頻度で行われるようになった。
実は今回、選手として参加した林大地も、小学生時に同活動を通してガンバに触れた一人だった。しかも今回、彼が訪れた萱野東小学校でのことだ。断片的とはいえ、当時のことは今も脳裏に焼き付いている。
「僕が小学生だった時もガンバの選手が来てくれて、すごく嬉しかったし、すごく印象に残っています。確か、中澤聡太さんと安田理大さんが来てくれて。僕は学年を代表して選手の皆さんとボールを蹴らせてもらったんですが、ミニゲームをした後、ガンバの誰かに『お前、うまいな』って頭をポンポンとしてもらってめちゃめちゃ嬉しかった。当時はまだ子供で、そんなに色んなことを深く考えていたわけではなかったけど、卒業して、中学生、高校生、プロサッカー選手と大人になるにつれて、そうした経験の1つ1つがかけがえのない思い出になっていったというか。今もあの時のことを覚えていることからも、めちゃめちゃ大事な時間やったなって思うし、そういう機会を設けてくれた萱野東小学校への感謝もより大きくなった。今回、その母校に、ガンバの一員として帰ってこれたのもすごく幸せでした」(林)
生徒代表からは「ゴールパフォーマンスがゴールのたびに違って個性があっていいと思います。残りの試合も頑張ってください」とメッセージを受け取った。
活動が始まった当初はガンバに対する認知を広げ、クラブへの愛着を深めてもらうことを目的に子供たちとボールを蹴る、ミニゲームを楽しむといった『サッカー』を通したふれあいが多かったが、近年は選手が各クラスにお邪魔して一緒に給食を食べるといった時間を設けられることも。それによって、よりクラブ、選手を身近に感じてもらうことも増えたという。
実際、クラスを覗いてみると、やや窮屈そうに子供たちと同じ机、椅子に座って昼食を共にする姿が。子供たちの緊張もややほぐれた様子で、飛び交う言葉や質問も、サッカーに関することから、そうじゃないものまで多岐にわたり、時に笑いも起きるなど温かな時間が流れた。
「サッカー選手になるためにはどんな努力がいりますか?」
「いっぱい練習すること。いっぱいご飯を食べて体を大きくして、いっぱい寝て、ひたすら夢が実現すると信じて努力を続けることだと思います」(岸本)
「サッカーの魅力はなんですか?」
「みんな、スタジアムで試合を観たことはある?! 実際に生で観たらすごくなかった?! 応援とか、めっちゃ、迫力あったやろ? 僕はあの中でプレーすることにすごく魅力を感じています。なので、スタジアムに行ったことがない人にはぜひ、観に来て欲しい! 楽しいから」(林)
「好きな歯磨き粉の種類を教えて欲しいです」
「歯磨き粉?! 深く考えたことはなかったけど、ミント味が好きかな。すっきりして気持ちがいいし、味も好きかも」(高木コーチ)
「サッカーが楽しい気持ちと、勝ちたい気持ちはどっちが強いですか?」
「プロサッカー選手になった今は勝ちたい、という気持ちが一番。勝った先に楽しさがあるので、まずは勝つことを一番に考えています」(中谷)
6年生のクラスにお邪魔して給食を食べた選手たち。机の並べ方もクラス毎に個性が。
こうした活動の浸透、効果を実感するのが、パナソニックスタジアム吹田でのホームゲーム時において各市、年に一度、開催されている『市民応援デー』(*小中高校生は無料、大人は30%オフで観戦可能)だ。
昨年、一時期はコロナ禍で中断していた『ホームタウンふれあい活動』を昨年に再開させたガンバは、今シーズンも6月17日に吹田市・茨木市の公立小学校30校で今年最初の『ホームタウンふれあい活動』を実施。その直後に戦った、6月30日のJ1リーグ第21節・FC町田ゼルビア戦における『吹田市民応援デー』には前年度比158%増、7月6日のJ1リーグ第22節・横浜F・マリノス戦における『茨木市民応援デー』には174%増の観客がスタジアムに足を運んだ。
事実、6月に山下諒也、江川湧清、ダニエル・ポヤトス監督らと共に茨木市の白川小学校を訪問した中谷は、直後に戦ったマリノス戦で、『市民デー』を利用して来場した方たちが座るカテゴリー4のエリアがたくさんの子供たちで埋め尽くされているのを目の当たりにし「すごく嬉しかった」と振り返る。
「白川小学校に行かせてもらったときも、子供たちとの触れ合いを通して僕なりにいろんな呼び掛けをさせてもらいましたが、その効果もあってか、昨年より多くの茨木市民の方たちが足を運んでくれたとクラブスタッフの方に伺いました。そのことからもこうした活動を通して、子供たちがサッカーを好きになったり、サッカーを観戦する面白さを知って、今後も足を運ぶきっかけになったら嬉しいし、ガンバのことを応援しようという気持ちになってくれたらなお嬉しい。逆に僕たち選手もそうやってたくさんの方に来ていただくことができれば、よりたくさんのパワーをスタンドから届けてもらえますしね。加えてわかりやすく『タイトル』が獲れれば、ホームタウンが盛り上がるきっかけにもなるはず。そう考えても、僕たちはこうした活動と並行して勝つこと、タイトル、といったピッチでの結果も貪欲に狙っていきたいです」(中谷)
子供たちからの質問に答える選手たち。最後には中谷が代表して『箕面市民応援デー』のアナウンスも。
その経験もあってだろう。今回の萱野東小学校訪問の際には、子供たちに向けて9月14日のJ1リーグ第30節・浦和レッズ戦が『箕面市民応援デー』だと発信する場面も。
「なんと! 箕面市に住んでいるみんなは14日の浦和戦をタダで観れます! 家に帰ったらお母さんに今日配ったチラシを見せて、ぜひ一緒に行こうとお願いしてください!」(中谷)
体育館にはそれを聞いた子供たちの驚きと喜びが入り混じった声が響き渡った。
もっとも、こうした集客にまつわる数字はガンバにとってあくまで活動の先に見据えるもの。一番の目的は、活動を通してプロサッカー選手やガンバを身近に感じた幼少期の経験が、いつかどこかで子供たちの未来と交錯し、目標に近づく上での原動力になったり、自分らしい人生を歩くきっかけになることに他ならない。であればこそ、活動の最中に彼らが子供たちに向けて投げ掛けていた、経験に基づく言葉の数々が、その胸に響いていることを願うばかりだ。
「僕も、失敗する時はたくさんある。でも失敗したらその分、また頑張って成長して、その失敗を取り返そうと思っています」(中谷)
「小学3年生の頃、サッカーをするのが嫌になって、少しサッカーから離れた時期もありました。でも、離れたからこそ、自分にはサッカーがすごい必要で、サッカーが好きなんだなって思いが芽生えてきて、またサッカーを頑張ろうと思えた。みんなも、今やっていることが楽しくないと感じたなら、離れてみるのも1つかも。それによってわかること、見えることもあると思います」(林)
「またいつか」の約束を果たすために。林大地の母校凱旋。もう1つのストーリー。
今年2度目の『ホームタウンふれあい活動』を個人的に楽しみにしていた選手がいる。
6月30日にシント=トロイデンVV(ベルギー)からガンバへの完全移籍が発表された林大地だ。先にも書いた通り、彼は今回訪問した萱野東小学校の卒業生で、2年前に同校が50周年を迎えた時にもメッセージを送るなど旧交を温めていた。
「箕面市立萱野東小学校、50周年おめでとうございます。僕も1年生から6年生まで萱野東小学校に通っていました。楽しい思い出も、辛いことも、いろいろあったんですけど、萱野東小学校でたくさんのことを学んで、少しは成長できたかなと思います。そんな母校をいつか訪問して、みんなと会って、サッカーだったりトークだったり、みんなと触れ合う機会ができたらいいなと思っています。自分もまだまだサッカー選手として上を目指して頑張るのでみんなも今、やっている習い事や勉強を頑張ってほしいなと思います。またいつか、会いましょう(22年/ビデオメッセージより抜粋)」
当時はシーズンの真っ只中で、ベルギーの地からビデオメッセージを届けるにとどまったが、その時に語った『いつか』の約束が、今回の『ホームタウンふれあい活動』で実現したという。林が同校の小学3年生の時に、隣のクラスの担任だった西田校長も、この日を心待ちにしていたそうだ。
「2年前の50周年の記念式典の際に、ゲストでお呼びしたかったのですが、海外に行かれていたのでメッセージをいただくにとどまって。『帰ってこられた時にはぜひ遊びにきてください』とお願いしていたら、今年の6月にガンバ大阪に移籍されて、今回、来ていただけることになり、2年越しの50周年イベントを開催することができました。生徒にはことあるごとに林選手の名前を挙げて『萱野東小学校初のプロサッカー選手です』と話をしていましたし、生徒も、僕たち教員もすごく楽しみにしていたので本当に感無量です。子供たちも林選手に会えて、話を聞けて、ハイタッチもしていただいて、たくさんパワーをいただいたんじゃないかと思います」(西田校長)
西田俊治校長と。林の東京五輪出場を機に連絡を取り合うようになったという。
聞けば、林が母校を尋ねたのは卒業以来初めてとのこと。休み時間のたびに教室を飛び出して友だちとボールを蹴った校庭も、給食室や保健室の場所も、校長室の場所も「ぜんぜん変わってない」と懐かしそうに目を細めた。
「トイレの場所は変わっていないけど綺麗になったな。体育館にクーラーが設置されたんや、正門のところにあった公衆電話はなくなったんやとか、卒業して15年くらい経つので多少の変化はあります。でも、廊下の床の感じや教室の雰囲気は僕らが使っていた頃とほぼ同じ。今日、僕が子供たちと一緒に給食を食べたのは6年1組だったんですけど、実は僕も6年1組で…当時とは場所こそ変わったものの、すべての風景が懐かしくて、ましてやガンバの選手として子供たちの笑顔を見る機会に恵まれて、すごく幸せな時間でした」
その言葉にもある通り、『ホームタウンふれあい活動』後の5限目を使って行われた『創立50周年記念イベント』では終始、子供たちの笑顔が溢れた。この日のためにと林の得点シーンばかりを集めた映像が流れると、ゴールネットを揺らすたびに子供たちから歓声が上がるシーンも。その後、林が体育館に登場すると、集まった全校生徒からは、割れんばかりの林大地コールや手拍子、『おかえりなさい』の声が届けられた。
「自分に会うのを楽しみにしてくれている子供たちがあんなにも大勢いる空間に身を置いたことがなかったので、ものすごいパワーと迫力を感じました。こんなに歓迎してもらえるとは思ってもみなかったので驚いたのと、嬉しいのと両方です。2〜3年くらい前から西田先生と話をする機会があり、いつか大阪に帰った時にはぜひ母校に足を運びますと話していたんです。でも、なかなかタイミングが合わずで…そしたら6月にガンバへの移籍が決まり、クラブスタッフの方たちにも協力していただいて、こういう素晴らしい機会を作っていただいた。ガンバの皆さんにも萱野東小学校の皆さんにも感謝しています。サガン鳥栖でプロキャリアをスタートして以来、いつか地元でプレーしたいと思っていた中で、ガンバに戻ってくることができたのもめちゃめちゃ嬉しかったんですけど、こうしてガンバの一員として地元を訪れることができて、いろんな人に『おかえり!』とか『楽しみにしていたよ』って声を掛けてもらえて、ホンマに嬉しかった」
インタビュー形式で行われたトークショーでは小学1年生から6年生まで各学年2人ずつ、合計12名からの投げかけられた質問に1つ1つ、丁寧に答え、最後は全校生徒ともに校歌を斉唱。母校凱旋を前に久しぶりに手に取った『卒業アルバム』に掲載されていた歌詞を見た時から蘇っていたというメロディを口ずさむ。最後は林が出入り口に立って、全校生徒をハイタッチで送り出した。
「予習なしで、普通に歌えた! 覚えているもんですね。みんな歌詞カードもないのにめちゃめちゃちゃんと歌うから負けていられへんなって」
50周年記念イベントの最後は、林が子供たちを見送り、全校生徒とハイタッチで別れた。
そんな彼は今、加入前から痛めていた右膝のリハビリを続けている最中だが、リハビリも最終段階に突入し「9月末に合流できたら理想」だと林。J1リーグの最終盤にはピッチに立つ可能性も十分にある。
「母校からパワーをもらって、1日も早くガンバのユニフォームを着てプレーしたいなっていう気持ちがより強くなった。加入して試合を観る中では、ガンバにはウイングに強烈な選手が多い分、ゴール前にいたら自然とボールが来そうな雰囲気があるし、誰が見てもわかるくらい貴史くん(宇佐美)の調子の良さはずば抜けているので。貴史くんに簡単にボールを預けて走るとか、いいところに入っていけば点を取れるというイメージもある。とにかく、点を取りたいです」
その時には、映像で観た彼のゴールシーンに盛り上がった母校はもちろん、地元・箕面市も、ガンバサポーターも、より大きな歓喜で包まれることだろう。
「僕は子供の頃からガンバサポーター。練習も観に行ったし、試合にもしょっちゅう足を運んでいました。その当時とはクラブハウスも、スタジアムも全然違うので、新鮮な気持ちもありますけど、個人的には『帰ってきた』という感覚です。昔から見てきたガンバサポーターはすごく熱狂的で、熱い集団というイメージ。先日、パナスタで加入の挨拶をさせてもらった時もそれを再確認し、この人たちに応援してもらえるのはすごく幸せで名誉なことやなって実感しました。皆さんの思いにしっかり応えられるような、サポーターの皆さんに認めてもらえるような活躍をして、自分の地元で、家族のそばで、自分自身も納得がいくようなガンバでのキャリアを積むことができたらすごい幸せやと思っています」
その瞬間まであと少し。母校凱旋によって新たなパワーを備え、課せられた使命を再確認した林大地が、青黒のユニフォームに身を包み、ゴールネットを揺らす日が近づいている。
元気いっぱいの子供たちに林は「僕自身がパワーをもらったし、幸せな時間を過ごせた」と笑顔。