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Vol.110 アンドレス・イニエスタの引退。

  • 2024.10.15

    Vol.110 アンドレス・イニエスタの引退。

発源力

©FCMZ

アンドレス・イニエスタ(エミレーツ・クラブ/UAE)が引退を発表――。

10月8日、おそらくは世界中が取り上げたであろうニュースを僕自身も、お疲れさまでした、という気持ちで受け止めました。と同時に、Jリーグで彼と対戦した記憶を思い出し、なんとも言葉にし難い、幸せな気持ちが蘇ってきました。

イニエスタといえば、改めて説明するまでもない、世界的プレーヤーです。UEFAチャンピオンズリーグやW杯で優勝し、ラ・リーガで繰り返し頂点に立ち、数々の名誉ある個人賞にも輝いた実績はもちろん、世界の名だたる選手が『世界のベストイレブン』を挙げる際に決まってイニエスタの名前を口にするのも、彼の凄さを証明するもの。リオネル・メッシ(インテル・マイアミCF)やネイマール(アル・ヒラル)、クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスルFC)と同じ時代に生きたため、バロンドールこそ手にできなかったですが、それを手にした主役たちを引き立て続けたのがイニエスタで、おそらく世界のサッカー界で永遠に語り継がれるんじゃないか、というほど唯一無二の存在でした。ゲーム好きのサッカーファンがウイニングイレブンなどを楽しむ際は、決まって全員がイニエスタをメンバーに選んでいたといっても過言ではないのも彼の凄さを示すバロメーターで、まさに僕もその一人でした。

2018年夏前くらいだったか、そのイニエスタが日本、ヴィッセル神戸でプレーするんじゃないかというニュースを初めて耳にした時は、「流石にそれはないでしょ」と信じていませんでした。これまでもJリーグには名だたる選手が在籍してきましたし、僕もいろんな素晴らしい選手と同じピッチで戦ってきましたが、さすがにイエニスタは「あまりに現実離れした話すぎないか?」と思ったからです。

ですが、数カ月後にその話は現実となり、7月22日にイニエスタはヴィッセルのユニフォームに身を包み、Jリーグデビューを果たしました。結果的に、同シーズンは僕自身もリーグ終盤までケガで離脱していたこともあって、直接ピッチで戦うことはなかったですが、あのシーズンに映像等を通して目の当たりにしたプレーの数々は今も脳裏に焼きついています。彼と同じチームでプレーできるヴィッセルの選手をひたすら羨ましくも思っていました(笑)。

そのプレーはどれをとっても一級品すぎました。メッシやネイマールのドリブルのように、めちゃめちゃキレがある感じではないのに、瞬間的に相手の重心をずらしていくような感じで、ぬめりと抜いていくドリブル。本来ならそこには通せないだろうというゾーンや、相手のセンターバックに確実にマークされていそうなエリアにピンポイントで通すパス。それらのプレーの緩急の付け方やダブルタッチの深さもワールドクラスだったし、常にピッチ全体を視界に捉え、敵味方の両方を把握しながら、状況に応じて寸前に判断を変え、それを成功に繋げられる技術も圧巻の一言でした。

わかりやすく印象に残っているのは、18年のジュビロ磐田戦(J1リーグ第21節)で初ゴールにつなげた『ターン』や、19年のサガン鳥栖戦(J1リーグ第24節)で、浮き球パスを受けたイニエスタが右前方に送り込んだダイレクトボレーです。合わせて走り込んだ古橋亨梧(セルティックFC)にピタリと合わせたシーンでは、映像でも伝わるくらいスタジアムがどよめいていましたが、まさに僕もあのシーンを見た時は思わず声をあげていました。あのプレーをいつ、どのタイミングでしようと決断したのか、即興的なひらめきだったのか、頭の中で組み立てていたものだったのか、聞いてみてぇ〜!! と思ったのを覚えています。

個人的な思い出として記憶に残っているのは、ガンバ大阪での22年です。僕自身は20年にトゥールーズFCから日本に戻ったものの、同年は殆どを怪我のリハビリに費やしたことや21年はイニエスタがピッチに立っていなかったこともあり、初めて同じピッチで対戦したのが22年のホーム戦でした。

相手選手が前半に退場になった中で、イニエスタは後半途中に出てきたのですが、セットプレーの流れから、ぬめぬめっとペナルティエリア内に侵入されて、ヨッチ(武藤嘉紀)にパスを出されました。結果的にシュートが外れてことなきを得ましたが、瞬間的に時が止まって、でも、イニエスタ一人だけが動いていて、気がついたら目の前にいた、という感覚は初めて味わうものでした。

また21年のキックオフカンファレンスに僕がガンバを代表して、彼がヴィッセルを代表して参加したときも、控え室で一緒に写真を撮ってもらったのもいい思い出です。それを機に、試合があると彼の方から近寄ってきてくれて握手を求めてくれたり、先に書いた試合でも、ボールが止まったタイミングで挨拶がわりに腰の辺りをトトンと叩いてくれたり、と、穏やかで紳士的な人柄もすごく魅力的でした。

…というように、僕を含め、同じピッチで戦った記憶を語れる日本人選手がたくさんいることが、『Jリーグでプレーしたイニエスタ』の話をできること自体が、日本のサッカー界にとって大きな財産だと思っています。

また近年、世界的な名門クラブが日本でプレシーズンマッチ等を開催するようになったり、世界各国のスカウトの目が日本に向くようになったのも、日本代表の活躍や世界の名だたるクラブで活躍している『海外組』の活躍もさることながら『イニエスタ効果』の1つだったと感じています。あの名門、FCバルセロナがヴィッセルと試合をするためだけに、とんぼ返りで来日するなんてことが起きたのも、間違いなくイニエスタへのリスペクトがあってこそ。もっと言えば、近年のJクラブで、たくさんのスペイン人監督やスタッフ、選手が仕事をするようになったのも『イニエスタがプレーしたJリーグ』『イニエスタが愛した日本』への信頼にもよるもので、それらは、間違いなくJリーグの成長や進化を後押ししてくれているように思います。

そんなイニエスタの引退に際し、子供の頃はもちろん大人になった今も、変わらずサッカーの面白さを教え続けてもらったことへの最大限の感謝と、心からの「お疲れさまでした」を贈ります。ありがとうございました!

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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