©VEGALTA SENDAI
大分戦に勝ってJ1昇格プレーオフ進出を決めた、11月10日のホーム最終戦後のセレモニー。現役引退のあいさつに向かうオレのために、選手みんなが花道をつくってくれた時点ですでに泣きそうになっていた。マサト(ベガルタ仙台FW中山仁斗)がちゃちゃを入れてきたからそこでいったんは落ち着いたんだけど、ベガルタでの3年間を振り返るムービーが始まってすぐに泣いちゃった。どういう感情で泣くんだろうって思いながらも、目頭が熱くなってきた。寂しくなるだけでもない。ああ、これが引退なのかなって思いながら。みんなそういう気持ちで迎えたんだろうなって。ああいう形で引退のあいさつができるのはすごく幸せなことなんだろう。だから幸せの涙もあると思う。なかのFC、塩釜FC、家族、そして家族の名前は絶対出そうと決めていたが、基本的にノープランで臨み、相手と1対1で話す感覚でやろうとは思っていた。若いころだったら格好良く話そうって前のめりになって、絶対普段使わないよねって言われるような言葉を探していただろうね。ただただ、多くの人たちに感謝の気持ちを伝えたかった。みんな、ありがとう。
あの日のユアテックスタジアム仙台は最高の雰囲気だった。選手は1試合1試合に勝負も命も懸けているから、毎回ああいう環境だったら力も入るし、ふがいない試合を許されないというプレッシャーをかける意味でも、今後も毎回あの雰囲気を作ってほしい。プレーオフ進出を争う山形と千葉の試合もどうなるか分からない、勝たないといけないという分かりやすい状況だった。ベガルタはこれまでこういう試合をことごとく落としていたから、横浜FC戦もそうだし、大舞台で勝てるようになったところに成長を感じて、頼もしかった。
熊本戦から帰ってきた日だったかな、おじさんチームで食事をし、サネ(ベガルタ仙台DF實藤友紀)と林くん(ベガルタ仙台GK林彰洋)に引退を打ち明けた。そこでも「やっぱりゴリさん(ベガルタ仙台森山佳郎監督)だよね」って話題になった。そう思わせてくれる人にはなかなか巡り会えないよねって。若い子がどんどん伸びているからこそ、安心して身を引ける。ベガルタ仙台はJ2で戦っている以上、戦力もチーム規模も毎年J1昇格プレーオフにいかなきゃいけないクラブだった。やっといるべきところに戻れたと思う。選手は少なからず監督の言動を気にする。熊本に完敗して監督が「全然駄目だった」って言っちゃうと士気が下がるんだけど、ゴリさんは「ホームで決めるために今日は負けた」と話していた。自然とやるしかないって気持ちになるよね。
厳密に引退を決めた日っていうのは正直ない。ずっと頭の中にはあった。もちろん試合に出たいとチャンスをうかがっていたし、早くケガから復帰したいとも思っていたけど、今季はなんとなく「オレは引退したほうがいいのかもしれない。引退ってこういうタイミングなのかな、こんなにケガするのも初めてだし、体が知らせてくれたのかな」って思うようになっていた。ケガに対する怖さがありながら来年やったところでできるんだろうかと。プレーを見た人たちに「遠藤康もう駄目じゃん」って思われて辞めるのだけは絶対に嫌だったから、余力があるうちに退きたいという気持ちもあった。今でもやれると思っている。ケガを気にして自制しながらサッカーするのも性に合わないし。何も気にしないでサッカーがしたかった。それができないのがね。ピッチにすら立てないっていう。秋にも復帰直前に再発した。いくら予防しても「こうしたら大丈夫」と思えるものが見つからなくなっていた。体重を減らしてみようとか、刺激の与え方を変えようとか、インソールを変えてみようとか、今年はいろいろやっていて。何をやっても駄目で変えるところがない。あのときはショックだったな。
現役引退ってすごく悲しいだけでもない。今後を考えると楽しみでもある。実は、何をするかはおぼろげにしか決めていない。選択肢がたくさんあるので、しばらくはいろいろなことに挑戦しようと思う。まずは宮城でサッカーをする子どもを増やしたい。Jリーガーや世界に羽ばたく選手を増やしたい。だから、オレが運営しているなかのFCでの活動が最初にあるのかな。なかのFCはそもそもサッカーを知っている子が選んでやってくるのがほとんどだ。その子たちを育てるのも大切なことだし、それと同じくらいサッカー人口を増やしたいと思っている。サッカーボールを蹴ったことのない子や、ベガルタの試合を見て興味を持った子たちと一緒にボールを追いかけようと思っている。子どもたちは減っているし、娯楽がたくさんある時代に、0を1にすることへ力を入れるイメージ。そのために自分が何をやるかも大事で、もっとサッカーに対しての見識や人間の幅を広げるために、高校や大学、ジュニア世代やジュニアユースを見て回りたいし、遠藤康を知ってもらいたい。オレは鹿島と仙台しか知らない。Jに限らず実業団とか東北1部とか2部とか、さまざまなカテゴリーのサッカーを知って、いずれはチームをオーガナイズしてみたいという野望もある。だから、今は指導者にはならないよ。コーチとかがいかに楽しいのかは分かっているつもり。教えた選手が活躍したらうれしいじゃん。一回やっちゃったら、ハマっちゃう。その代わり、指導する相手、関わる相手が1チームに限られちゃう。同じ目標に向かっていくのが楽しいのは分かるし、やりたい気持ちもあるんだけど、そういう環境を、そういう集団を作る人にもなってみたい。もちろん、ベガルタのために協力できることがあれば、すぐにでもいくらでもお手伝いする。でも、今の俺にやれることあるかなあ。そのためには、もっと自分が大きくなってできることを増やしていかないといけない。そのときに改めてベガルタには恩返ししていきたいと思っている。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。