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Vol.114 1年間、ありがとうございました。

  • 2024.12.17

    Vol.114 1年間、ありがとうございました。

発源力

©FCMZ

J1リーグ最終節・鹿島アントラーズ戦を戦い終え、今シーズンの全日程が終了しました。優勝の可能性を残してアウェイの地に乗り込みましたが勝つことはできず、自らその可能性をゼロにしてしまったことが悔しいです。

今シーズンの自分自身を振り返ると、移籍初年度に大きな覚悟を携えて迎えたシーズンでした。いろんな経緯があったとはいえ、5年ぶりに戻った古巣を1年で離れる決断は決して簡単ではなかったですが、この決断を自分で正解にするためにも、ゼルビアで試合に出続けて、ピッチの上でチームの結果に貢献しようと思っていたし、1年を通してその考えが揺らぐこともなかったです。シーズン前にも話していた、勝ったり負けたりといった喜怒哀楽とは別の『サッカーを楽しむ』という本質をもう一度取り戻し、プレーに繋げることで応援してくださる皆さん、支えてくれる家族に恩返しをしたいという思いもありました。

また、在籍1年目ながらキャプテンという大役を任せてもらったことに対して、自分の役割、すべきことに向き合い続けた1年でもありました。経験値の少ないチームの先頭に立つ経験は、これまで在籍したクラブでのキャプテンや副キャプテンとは似て異なるもので、正直、考えることも多かったです。今だから明かせますが、このクラブの立ち位置的なものを考えると、シーズン前は心のどこかで残留争いも覚悟していた中で「いろんな人がこのクラブを支え、昇格させてくれたのに、降格させたキャプテンになったらどうしよう」と怖さを覚えている自分もいました。

ですが、結果的には、マサ(奥山政幸/8月にベガルタ仙台に期限付き移籍)と北斗くん(下田)という副キャプテンの存在にも支えられ、また、チームメイトみんなのまっすぐな熱に自分自身も励まされるような感覚を覚えながら進んでくることができました。シーズンを終えた今も、自分がはたしてゼルビアのキャプテンに相応しかったのかという答えは出ていませんが、少なからず僕自身はゼルビアのキャプテンという仕事を任せてもらったことで選手としてまた一つ、成長できたんじゃないかと思っています。

一方、プレー面では開幕直前の練習中にアクシデントがあり、離脱を余儀なくされたのは想定外でしたが、戦列に戻ってからはJ1リーグに33試合出場することができました。これは、以前から感じていた右目の違和感を取り除けたのも大きかったです。当時は、検査だと伝えていましたが、実はオペに踏み切っていました。と言うのも、ロシアW杯の前くらいからボールが二重に見えたり、霞むことがあり…それが近年になって悪化し、ボールや人を正体で見ようとするとボールが2個に見えたり、一人が二人に見えるという症状が出ていました。それもあって首の角度を調整して、頭を傾けたような状態で見ることが増えていましたが、自分の中でこれ以上は厳しいかもと思い、手術に踏み切りました。ドクターには「この目でトップの舞台でサッカーをしていた君を尊敬します」と言われたほどでした。自分としてはその目に5〜6年付き合ってきたので、そこまで気にしていなかったとは言うものの、いざ手術をしてみると、まぁ、見やすい! それは自分のプレーを取り戻す上でも大きかったと思います。

また、試合に継続的に出られたからこそ思い出せた感覚も多かったです。今シーズンは1対1のフィーリングもよく、ノーファウルで奪い切れるシーンも多かったし、ゴールカバーやシュートブロックもよく当たっていた印象があります。そうしたプレーがチームとしての、最多クリーンシート、最少失点につながったのも嬉しかったです。もちろんこれは僕一人の手柄ではないし、ゼルビアは前線からの守備があってのチームだと考えても、みんなが守備意識を高く持って戦えた結果だと思っています。それでも最後の最後でやらせないのは、僕ら最終ラインや晃生(谷)に課せられた仕事だと考えても手応えを得ることができました。

実際、僕の記憶では1対1のシーンでスコンと抜かれたのも、最終節の優磨(鈴木)にやられたシーンくらいで…。あのシーンでは股を狙ってくることは予測しつつ、正直もう少しゴールに近づいてからだと踏んでいましたが、初手で仕掛けられ、抜かれてしまいました。あれは完全に優磨が上手だったと思います。

そのプレーを含めて、僕自身もまだまだ細かな修正はできると思っていますし、1ステージ制のシーズンでは初めて警告累積で出場停止になってしまったことも反省すべきだと思っています。またチームとしても、自分たちの上位であるヴィッセル神戸やサンフレッチェ広島に比べると、経験不足からくる細部の甘さは感じました。急ぐ必要のないシーンなのにクイックで始めてそのボールを相手に奪われてしまうとか、大一番で開始3分で失点してしまうとか。そうした勝負弱さは明らかに経験不足からくるもので、それが最終的に順位に表れたと考えても、僕たちは、この経験からしっかり学ばなければいけないし、クラブの財産として蓄えていかなくちゃいけないと思っています。もちろん、J1リーグ1年目のゼルビアにとって3位という結果は決して下を向くようなものではないですが、来シーズン、そうした課題や学びを今後のチームや個人の成長に繋げてこそ、初めて今年の戦いを収穫にできるんじゃないかとも思います。

最後になりましたがこの場を借りてゼルビアサポーターに感謝の気持ちを伝えたいです。見ず知らずの僕を暖かく迎え入れてくれて、その新参者の僕がいきなりキャプテンを預かることになっても、最初から最後まで背中を押し続けてくれました。早々に個人のチャントを作ってもらったのもすごく嬉しかったです。また試合を重ねるうちに、ゴール裏のサポーターの数が目に見えて増えていったことにもたくさんの勇気をもらいました。これまで僕がプレーしてきた鹿島やガンバ大阪というたくさんのファンを抱える、オリジナル10のクラブに比べたら『数』としては遠く及ばなかったのは事実だと思います。でも、僕はゼルビアに来て改めて、応援してもらえることのありがたみを知ったし、勝っても負けても、常にポジティブな声を届けてくれた皆さんに対して、『数』とも十分に対抗できるほどの愛情や、結びつきを感じることができました。今シーズンのゼルビアには、様々な厳しい声も聞かれた中で、想像するに、ゼルビアサポーターの皆さんに向けられた厳しい声もあったんじゃないかと思います。ですが、いつだって堂々とゼルビアのレプリカシャツを纏い、応援を続けてくれました。そのことが僕たち選手にとってどれほど大きな勇気に変わったのかは言うまでもありません。

…という思いを最終節で伝えるべきだったのに、あと一歩、タイトルに届かなかった悔しさや、自分自身のパフォーマンスも良くなかったことへの不甲斐なさがうまく消化できずに、あっさりと皆さんへの挨拶を済ませ、ピッチを後にしてしまいました。そこも自分の人としての未熟さだと受け止めて反省し、来年に繋げます。1年間、一緒に戦っていただいてありがとうございました!

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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