ヒデ(武田英寿)が浦和レッズからベガルタ仙台に移籍してきた。なかのFCの後輩で、同じ左利きの選手ということもあり、ずっと気にかけていた。いつか一緒にプレーできたらいいなと想像していたものの、ヒデが来るタイミングでオレが引退しちゃったのは仕方がない。それも運命だと思うよ。
ヒデがJ2の水戸ホーリーホックに期限付き移籍中だった2023年9月に、ユアスタ仙台で戦ったときの圧倒的なパフォーマンスを覚えている。たくさんボールに絡み、幾度も得点機を演出する運動量の豊富なボランチになっていた。ヒデの怖さが際立っていた。ボールを持たせたらヤバいなって。もともと左足のキックはいいものを持っているし、人と違うところを見ることができるという長所がある。プレーに余裕がある。余裕がない選手は味方も敵もパスを出す先が読みやすい。それはそれでチームの潤滑油としてはいい。ただ、ヒデはそういうタイプじゃない。何をするか分からない選手は敵として非常にやりづらい。予想外のスルーパスを通してきたり、ふらりとゴール前に侵入して点を取りにきたりする。オレはけがで離脱中だったから、上からピッチを見ていた。嫌だなと思い、自然とヒデのプレーを目で追い続けていた。ヒデは2列目もできるけど、ボールを多くさわる方が生きると思う。さばけて走れて、あんなに持てる選手はなかなかいない。ボランチの方が向いてるかもね。経験を積み重ねればもっとすごい選手になるよ。去年は鹿島戦で2得点し、敗色濃厚のレッズを救った。本音を言えば、あの鹿島戦のパフォーマンスをもっとレッズで見せてほしかったかな。
ヒデと初めて会ったのはオレがまだ鹿島でくすぶっていたころ。ちっちゃくて細い子がめちゃめちゃうまいという印象は今でも変わっていないから、かわいい子どもにしか見えない。そのときのイメージのまま大きくなった。その頃は特に会話はしていないと思う。「うまいねー、同じ左利きだね」って話しかけるくらい。ヒデがベガルタのアカデミーに籍を移し、青森山田中への進学を考えていたころ、ヒデの親父さんを交えて3人で話したことを覚えている。「迷っている」と聞いて「いいんじゃない」としか答えられなかった。中学校から親元を離れるのは大丈夫かなって心配だったし、全国的にどれくらいのレベルでやれているのかが分からなかったからね。その後はなかのFCの初蹴りに毎年行って会う感じだったな。しばらく経って全中の決勝を見たら、ヒデが10番を背負ってキャプテンマークを巻いていて、「えええっ!」って驚いたし、すごくうれしかったね。そして、プロになれるかなれないかはこれからだと思いつつ、見守っていた。青森山田高に進んだヒデは高校選手権で有名になっていた。宮城出身選手の動向は常に追っていたんだよね、友太(ベガルタ仙台MF郷家友太)とか檀崎くん(AリーグウェスタンユナイテッドFCのMF檀崎竜孔)とか。ただ、ヒデが高2のときの試合をテレビで見たらあんまパッとしなかった。小学校のときのほうが面白いプレーしてたな。高3で駄目になっちゃうのではないかと心配になった。高校選手権のスターが伸び悩むことは多いから、最終学年でキャプテンになっていたからホッとした。
なかのFCの後輩でもあるから、ずっと成長を見続けてきた。期待も大きい。だからこそヒデに対して辛口になってしまう。
正直、もっとやれると思っていたから、高校最後の選手権を見てスーパーではないなと感じた。話題性が先行していてメディアが怖いともね。ヒデはサコ(ヴィッセル神戸FW大迫勇也)やガク(鹿島アントラーズMF柴崎岳)の域まではいけなかった。レッズに入ってからも伸び悩んでいた。ヒデはレッズで何も残していない。だから、地元のベガルタに来たからといってもてはやされるのもちょっと違うと思う。J1で活躍し続けていたわけではない。ヒデはこれからの選手。ちやほやされてぬるま湯につかるのはまずい。まあ、ゴリさん(ベガルタ仙台森山佳郎監督)だから大丈夫だろうけどさ。モト(セレッソ大阪FW中島元彦)ですらベガルタの大黒柱になるまで3年かかった。1、2年目も活躍はしていたけど、J1でやれるという自信を持ってチャレンジできるようになったのは3年目だった。能力の高い友太やモトだって、J1で悔しい思いをしてJ2のベガルタで成長した。走れるようになったとかゴールを決めたとか、目に見える部分よりもメンタル面が飛躍的に大人になった。チームを勝たせたいという気持ちが言動を変え、チームに対していろいろと意見するようになったと思う。ヒデも友太に似て真面目だ。さすが青森山田の血を引いているなっていう感じ。プロだから当然一年一年が勝負だけど、年を重ねて大きくなる姿を楽しみにしている。ベガルタを応援するみんなも「地元に帰ってきた!」って喜ぶだけじゃなく、まだまだこれからの選手としてヒデを見てほしい。厳しい目で見るのも愛情だろう。
ヒデも自分にフォーカスして1年ちゃんとやって、結果を残して価値を高めてほしい。まずはチームメートに自分というものを理解してもらわないとね。プレーの合う合わないは間違いなくあるから、共通認識を深めて合うようにして、ヒデの力を思う存分発揮できるようにしてほしい。最初から全部を背負おうと思わなくていい。大変なところは先輩の友太に任せてしまおう。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。