ひょんなことからタイに行ってきた。昔、鹿島のキャンプで行ったときにでっかいナマズを釣ったことがある、懐かしのタイ。引退にあたり鹿島でお世話になったイバさん(元鹿島アントラーズDF新井場徹)に連絡し、どこにも属さず自分のことをやる旨を話した。そして、イバさんが大阪でやっていることを学ぼうと会いに行くつもりでいたら、そのまま一緒にタイへ行く流れになった。タイリーグの試合も2試合観戦した。そのうち一つがBGパトゥム・ユナイテッドの試合だった。タイの試合は戦術とかあまり緻密じゃなくて、オープンな打ち合いになりやすい印象。だけどエンターテインメントとして華があり、見方によってはJリーグより面白いと感じる部分もある。日本ではフォーメーションとかしっかり作り、システマチックに戦う現代のサッカーをやっている。タイはそこまで成熟していないけど、本当に勝ちたいという気持ちがバチバチぶつかっているのが伝わってくるんだよ。良くも悪くもエキサイティングで魂のぶつかり合いって感じ。この雰囲気は実際に見ないと分からない。ものすごい応援があるわけでもない。とにかくすごいプレーひとつに、スタジアム全体が揺れるような盛り上がりを見せていた。チャントを合唱する人たちもいるけど、どこか1カ所に集まっている訳でもない。サッカーを見るのを楽しんでいる感じだった。あっちでプレーしていたらハマるかもしれないね。それくらい見ていて面白かった。タイ人が日本人をすごくリスペクトしてくれているのもあるし、住みやすい国ではあると思う。争いごとがなくてフェアプレーだし。自然といたわり合う感じもよかったな。
BGパトゥム・ユナイテッドはタイリーグのJ1にあたるカテゴリーの強豪。野津田選手(元ベガルタ仙台MF野津田岳人)がフル出場していた。チャナティップ(タイ代表、元コンサドーレ札幌FW)もいて、やっぱり上手だなと思って見ていた。ボールを取られないし、日本人選手に似た感覚を持っている。日本人のうまい選手は、パスをぎりぎりでやめたり判断を変えたりすることができる。タイのサッカー選手は正直で、2試合しか見ていないけどあまりそういうプレーが得意ではなさそうだった。その中でもチャナティップは落ち着いてプレーしていて、自由に動き、裏に飛び出していく。チャナティップに反応していたのは、その試合だと野津田選手だけだった。
スタジアムの雰囲気を楽しむほかに、練習場所なども見せてもらった。ワンマンオーナーでお金はものすごくある感じだったし、ちゃんと考えられて作られてるなと思った。この規模感で育成を進めていくクラブが増えてくると、今は日本のクラブと大きな差があっても、いつか抜かれるかもしれないと思った。オーナーチームは強くなる可能性を秘めていると感じた。日本でオーナーが強いというイメージはヴィッセル神戸や町田ゼルビアぐらいしかパッと思い浮かばない。実際その2クラブは強豪になっている。
試合観戦した翌日は、石井さん(元鹿島アントラーズ監督石井正忠)に会って引退のあいさつをした。石井さんにはよく「ヤスたちのおかげで2016年はいい思いをさせてもらった」って言われる。リーグ戦を制してFIFAクラブW杯で準優勝したあの年。確かに、ベガルタでも若い選手に「クラブW杯を見ていた」と言われたな。決勝で負けて悔しい大会だったけど、印象には残っているしいい経験ができた。石井さんには特別だっただろうし、あの経験があるからこそ今も監督業を続けているんだろう。今、石井さんはタイ代表の監督。全部の試合を観ているそうだ。試合会場へ観に行くし、それ以外は映像でも確認する。単身でタイに来て、朝は散歩してご飯を買ってからずっと映像を見たりスタッフと情報共有したりしているそうだ。どんな業種であれ、ひとつのことにのめり込むことは大事なんだろうと思った。
石井さんはオレが鹿島に加入したときのフィジカルコーチだった。ずっと一緒に基礎練習に付き合ってくれた。オレも試合に出られなくて、悔しくてくさっていた時代があった。練習でみんながゲームする横で、ずっと一緒に基礎を固めていた。「基礎もしっかりやるんだよ」って。石井さんのような人が近くにずっといたからサッカーを続けることができたし、当時教えてもらったことを若い子に話せるようになった。3年目までは、練習試合で3~4点取ってもなかなか信頼を得られなかった。大事な試合で出してもらえなかったし、誰かがケガしたらベンチに入れるくらいの感じだった。それでも諦めることなく何年も積み重ねてようやく鹿島で地位を築くことができた。その頑張りが自分にとって財産になったし、あの経験がなかったらすぐ諦めてリタイアしていたかもしれない。そして、石井さんはよく「ありがとう」って言う。オレが感謝したいのになんで感謝されてるんだよって思う。ただ、お世話になりっぱなしだった石井さんが監督になり、苦しんでいたときに力になれなかった。2017年はケガで試合に出られなくて申し訳なかった。時を経て、石井さんはタイの代表監督まで上り詰めた。石井さんはニコニコ笑顔でめちゃくちゃ生き生きしていた。
いま、ベガルタの若い選手は頑張ったら試合に出る機会がある。ゴリさん(ベガルタ仙台森山佳郎監督)はチャンスをくれる。今回、イバさんとのつながりでタイに行くことができて、人との縁はすごく大事だと再確認した。若手、中堅、ベテラン、監督、スタッフ、さまざまな人との出会いは大事にしてほしい。特にゴリさんは人格者だと思っているので、ベガルタのみんなはゴリさんとの縁を大事にしてほしいと思う。
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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。