先日、アイリスオーヤマのセカンドキャリア支援事業の発表に同席した。「サッカー選手のセカンドキャリアを支援しますよ」という話。活動終了したJFLソニー仙台の秋元佑太らは正社員の選手となって、定時まで仕事してからサッカーの練習をすることになる。梁さん(ベガルタ仙台クラブコーディネーター梁勇基)とオレは業務委託としてチームに携わることになった。アイリスオーヤマの大山健太郎会長は「JFLまでいく」と言う。現在は宮城県リーグ1部。全国のクラブ選手権で優勝すれば最短の1年でJFLに上がることができるが、それは現実的じゃない。まずは県1部で優勝して東北2部、1部と優勝していくことができれば、その年の全国社会人リーグに出場できて、そこで優勝すればJFLへの道が開ける。まあ、最短で5年でいけたらいいかなと思っている。もちろん最短距離を突っ走りたい。
まずは「与えられた仕事以上のことを」と思って、みんなのモチベーションを高く保つためには何をしたらいいかとか考えて動いている。いずれは宮城県で愛されるチームにしていきたい。関わるのは宮城全体のサッカーのため。オレが運営するなかのFCは育成年代。大人の世代だと、アマチュアクラブでの心のよりどころだった、ソニー仙台がなくなったのは大きい。宮城のシンボルとしてあった。オレが小学校のころから近くにあるのが当たり前だったから、ショックは大きかった。そういった中で、アイリスFCの話をいただいた。ベガルタ仙台はすでにJクラブとして形になっている。広く宮城のサッカー界を考えるなら、アイリスFCで活動してみるのもいいのではないかと思ったので引き受けた。
まだまだこれからのチームだから、一緒に大きくしていく楽しみがある。今年は監督もいなくて、これまでやってきた選手たちを尊重しながら戦っていく。リーグのカテゴリを上げていく中で、遠征も増えるだろう。既存の選手たちのモチベーションを保ちながら戦っていくことと、主に大学生から即戦力を探すことがミッションになっている。正社員で雇用し、サッカーと仕事の両方を全力でやろうとしている。サッカーはもちろん、会社員としてフルに働くことのできる人を探していて、関東の大学にも訪問。まずは顔合わせをして、本気度を訴えている。自分のツテもフル活用したい。基本はスカウトで大学生を見て回る。動けるときは一緒にサッカーをしながらフロントづくりをやっている段階かな。
大企業が先んじることは、周りに好影響を与えるだろうと思う。こういった取り組みをするところがどんどん増えてくれたら、次につながる希望が出てくる。サッカーを続けていて良かったと思えるようになる。なんだかんだ言って、選手はみんな引退後のことも気にしている。ちゃんとサッカーを続けて周囲へのリスペクトを忘れなければ、こういう話につながると思った。裾野を広げて引退する選手に手をさしのべる企業がもっともっと現れるような状態になってほしい。
やってみると、こういう活動は初めてで、めちゃめちゃ楽しい。今まではプレイヤーだったから、そうじゃないところを見たくてやってみた。現役の間はプロの選手、プロの監督としか関わりがなかったと言っていい。それが大学生と話すし、大学の監督とも話してみると、これまでがいかに自分の視野が狭かったのかを思い知らされる。よく挙がるのは、プロになることだけが正解じゃない、実力が伴ったクラブにいかないといけない、背伸びし過ぎると後で大変になるという進路の話。大学の監督は本当によく見ているなと思う。プロは現場を見てフォーメーションや対策を考える。大学だと選手の見方が全く違って、戦力としてというより、人生を見ている感じ。みんな1年契約でJ3やJFLに進むのと、企業に就職することや地域リーグに進むのと、どちらがふさわしいのかを悩んでいる。
可能性があるとはいえ、成り上がりで成功するのはほんの一握り。この選択はすごく難しく永遠のテーマだと思う。指導者として本人の夢を消すのもどうかと思うし、長い人生で考えたら社会人のほうが安定する可能性が高い。年明けまで進路が決まらない選手がいる。そうなると、選手はパッと見られたときに目立って「こいつは何かやりそうだ」と思わせないといけない。スカウトにほしいと思われないとプロにはなかなかなれない。なかのFCを運営していて、小学校年代からそういうとがった選手の長所を伸ばしていく育成も必要なのではと感じた。確信まではいってないけど、目立たないと声が掛からないのは事実。大学、高校、ユースであろうが、見てる人は一緒だから、その人たちの目に付かないといけない。
いろいろやりながらの毎日の経験が、なかのFC運営のヒントにもなる。現役だったら絶対できないことだし、アイリスFCも上を目指すと言っているから本気で取り組んでいくし、自分の成長も促さないといけない。いい環境に身を置けているかな。家族には悪いが休みは正直いらない。30代は突っ走ろうと思っている。そして、鹿島と半々と言いながら実は仙台に結構いる。X(Twitter)のアカウントも作ってみた。今さらながら、ぽつぽつ本音をつぶやいてみようと思っている。
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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。