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スタジアムに足を運んでくださっている方の中には、もしかしたら「あれ?」と思っている方もいるかもしれませんが、今シーズンは、僕がピッチで張り上げる『声』が明らかに減っています。実際、自分でもいい意味で、その感覚を受け止めながらシーズンが進んでいる感じです。
一番の理由は、僕が言葉を発しなくても、あるいは何かを伝えようとする前に、周りの選手がそれを言葉に変えてくれているから。雄太(中山)、相馬(勇紀)、啓矢(仙頭)、大八(岡村)、流帆(菊池)、晃生(谷)、シラ(白崎凌兵)、ヒロ(前寛之)…名前を挙げればキリがないほど、それぞれの選手が必要な時に、必要な声をチームに掛けてくれています。そこに加えて、僕より年上の北斗くん(下田)や裕希くん(中島)もいて…となると、僕の口数が減っているのもお分かりいただけると思います。
しかも、みんながみんな、ワーワーと言うばかりじゃないのもいい。状況に応じて的確にチームに必要な変化を求められる雄太や晃生がいたり。常に口を開いて「もっとやろうよ!」「そんなパスじゃ通らないよ!」と要求をしている相馬がいたり。一つひとつの質にこだわりながらトラップの巧さやパスの正確性で周りをピリッとさせたり、戦術的なところを常に冷静に見て言葉に変えられるシラがいたり。的確なパス&コントロールでチームに安定をもたらしてくれる啓矢やヒロもいます。かと思えば、普段はそこまで口数は多くないのに、ピッチに立てば闘志漲るプレーでチームを盛り上げ、熱を与えてくれる流帆や、目に見えたパフォーマンスでチームに喝を与えてくれる拓真(西村)もいます。…というように、本当にそれぞれが自分のキャラクターをしっかりチームに落とし込みながら『勝つ』ことを求めるチームになっています。年齢に関係なく、思ったことを口にできる空気もあります。
まさに、今日の練習もそうでした。少しピリッとしていないなと思った途端に、相馬が「これじゃあ、良くないよ!」と口を開き、チームに奮起を促してくれていたし、それに対して、すぐに他の選手も声を上げて加勢していました。もちろん、そんな彼らに負けず僕もそこに被せて言葉を吐くこともできますが、少なからず今は、その必要を感じていません。それよりも、最終ラインでそうした仲間に信頼して託す、リスペクトして任せる、ということをしながらチーム全体に目を光らせていようと思っています。
実はこうしたチームの雰囲気は、僕が鹿島アントラーズに在籍していた2011年から18年まで…特に自分がコンスタントに試合に絡めるようになった14年以降のピッチに感じた空気とすごく似ています。当時の鹿島には満男さん(小笠原)やソガさん(曽ケ端準)、浩二さん(中田)といったチームの顔となるベテラン選手が常にどっしりとした存在感を示していた中で、中堅選手にあたる大伍くん(西/いわてグルージャ盛岡)やヤスさん(遠藤康)らがそこに続き、僕や岳(柴崎/鹿島)、直通(植田/鹿島)ら若手がのびのびとプレーできる空気もありました。実際、22〜23歳の若造だった僕が試合中、生意気にも満男さんに向かって「ミツさん、そこしっかり!」と声を掛けても、それを咎められたこともなく、満男さんはいつも変わらない温度で受け止めてくれたし、周りにも常に、それを許してくれる空気がありました。もっとも、大事な局面でチームを助けてくれたのは決まって、ミツさんをはじめとするベテラン勢で、今になって思えば、僕たちはその安心感があったから、のびのびとプレーできていたんじゃないかと思います。
そのミツさんの域には遠く及びませんが、今の僕はまさに、そのミツさんたちの立場にある気がしています。そのせいか、仲間の姿を頼もしく感じながら信頼して託す、リスペクトして任せることを続けている中では「当時のミツさんが取っていた言動はこういうことだったのか!」「僕らを信用してくれていたからこそだったんだな」と思うところもすごくあります。というようなことを含め、FC町田ゼルビアに加入して1年目だった昨年に比べて、僕自身、今年はいい意味ですごく肩の力を抜いてサッカーと向き合えています。もちろん、だからと言って競争力の高いチーム状況を踏まえても一瞬たりとも気は抜けないし、自分もうかうかしていられないという危機感は常に持ち合わせています。ですが、そうした心の余裕は、プレーにもポジティブに働いている気がしています。
そんなこんなで今年は全くキャプテンらしい仕事をしていません! みんなに助けられています! という話になっていますが(笑)、ここに書いた話は、僕自身は、ゼルビアが強くなる上で、すごく大事なことだと思っています。だからこそ、キャプテンとしての僕の最大の仕事は今、ゼルビアに流れている空気を、守りながら大きなものにしていくことだと感じています。かつ、仮にこの先、チームに精神的な拠りどころが必要になった時に、みんながそれぞれに発揮している『個性』と同様に、僕もチームの一員として頼られる『駒』でいたいとも思っています。そのために僕が必要だと思う仕事を、チームのために続けます!
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昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。