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Vol.124 連載スタートから5年。

  • 2025.05.20

    Vol.124 連載スタートから5年。

発源力

©FCMZ

2020年5月、僕は定期的に自分の考えや、その時々の胸の内を発言していく場所として、この『発源力』を始めました。当時はコロナ禍で、いろんな選手がSNS等を通していろんな発信をしたり、インスタライブを行っていましたが、僕自身はSNSをやっていなかったこともあり、このコラムを通して皆さんと繋がる場になればいいなと思ったのもきっかけの1つでした。その都度、自分の考えを書き留める、書くために考えることで、自分を見つめ直す時間になると思ったのもあります。実際、まっすぐな気持ちをぶつけてきた時間は、僕自身にとって、その時々で直面したことにしっかり向き合うことにも繋がった気がしています。

思えば、僕に自分の言葉で話すこと、伝えることの大切さを最初に教えてくれたのは、鹿島アントラーズ時代の先輩、岩政大樹さん(現北海道コンサドーレ札幌監督)でした。11年にプロサッカー選手としてのキャリアを歩き始めた僕に、同じセンターバックを預かる先輩としてアドバイスをくださいました。
「試合に負けた=失点しているわけで、そこにはセンターバックが関与している可能性が高い。負けた後は誰だって話したくないものだけど、そんな時ほどセンターバックはきちんとメディアの方に向き合って、喋ろう」
もっとも、試合に出始めた頃はなかなか言葉が出ず「なんて伝えるのが正解なのかな」と悩んだこともありました。試合後のロッカールームで着替えながら、記者の皆さんから投げかけられる質問を想像し、答えを整理して取材エリアに出て行ったこともあります。でも、それを続けていくうちに、少しずつ試合を通して起きた事象や、失点の原因を冷静に分析できるようになっていった気がしています。

その過程では、敢えて自分から「話す」というトライを続けたのも懐かしいです。チームのミーティングで監督から「誰か、なんか言いたいことはあるか?」と尋ねられたときには、自ら手を挙げて話してみるとか。スポンサーさんなど、普段お世話になっている方を前にした会で「自分に話をさせてください」みたいなこともありました。当時の鹿島では毎シーズン、ホーム最終戦でチームを代表して選手会長が挨拶することになっていた中で、2016年は似たような場が天皇杯準々決勝の後にもあり、選手会長だった西大伍くん(現いわてグルージャ盛岡)に「俺はリーグの最終戦で一度話したから、今日は源が話をしてくれ」と託され、挨拶させてもらったこともあります。いずれも20代前半の頃の話で、話すのもうまくはなかったし、緊張もしていたし、なんならインターネットなどで調べた定型文を丸暗記して話したこともありました。でも、場数を踏むにつれて、その緊張もなくなり、自分の言葉で堂々と話せるようにもなり、それがピッチでも活かされていると感じることも増えました。

実はこの「堂々と」は、話す必要性を実感してから、自分が心掛けてきたことの1つでもあります。というのも、自分から『話す』というトライを続けていく中では、周りの方たちがどんなふうに話しているか、言葉選びをしているのかへの興味も膨らんで、周りの人の言葉に耳を傾けることが増えました。特にスポンサーパーティなどでの剛さん(大岩/U-23日本代表監督)や井畑滋代表取締役社長、フロントの鈴木秀樹さんが堂々と話す姿や立ち居振る舞いは、僕の憧れそのもので「僕がこの人たちの年齢になった時に、こういう話し方ができるようになったら格好いいだろうな」と思ったのを覚えています。

またキャリアを重ねていった20代後半頃からは、いずれプロサッカー選手ではなくなる日がくることを想像して、きちんと自分の考えを伝える、言葉にできる人間になりたいと思うことも増えました。現役選手であれば『プレー』が最大の表現で、言葉はその次にくるものだと考えれば多少、うまく伝えられなくても許される部分もあるはずですが、一般社会ではおそらくそうはいきません。意見を正しく言葉に変える、それを相手に伝える、という行動は社会人としてもとても重要な要素になるんじゃないかと想像しています。ということもあって、今のうちからきちんと自分の考えを伝えられる人間でありたいと思っていることも、普段から『話すこと』『伝えること』に重きを置いている自分に繋がっています。

この『発源力』も、そんなふうに「話すこと」に感じている大切さの延長で続けてきましたが、正直、まさか一度も休載することなく、5年も続くとは思ってもいませんでした(笑)。これもひとえにこの連載を読んでくださっている読者の皆さんのおかげです。ありがとうございます。毎回、編集部の方を通していただくコメントなどを読む度に、チームが変わっても変わらずに昌子源を応援していただいている方がいることをすごく嬉しく思っていますし、そんな皆さんに、自分の今をしっかり届け続けようという思いもより強くなっています。
また、昨年、FC町田ゼルビアに加入してからは、自分が過去に一度も関わりを持ったことのない初めてのクラブということもあって、ある意味この場を名刺がわりに、僕という人間を知ってもらう場になればいいなと思って続けてきたところもあります。
とはいえ、まだまだ伝えきれていないこともたくさんあるからこそ、この先も自分らしく、まっすぐに言葉を届けていこうと思っているので読んでいただけると嬉しいです。

最後に、第14節・鹿島戦で負傷交代になっていた郁万(関川)が、左膝複合靱帯損傷と診断されたというリリースを見ました。僕にとっての郁万は本当に可愛い後輩で、ケガをした瞬間は勝手に体が動き、気がつけば郁万に駆け寄って、声を掛けていました。ケガの悔しさを想像すればこそ、自分のことのように心が痛み、泣きそうにもなりました。試合が終わってすぐに郁万から電話をもらった時も、翌日、診断結果を聞いた時も、彼の気持ちを慮れば、どう言えばいいのか分からず、今も彼に掛けた言葉でよかったのか、もっと相応しい言葉があったんじゃないかという思いにもなっています。ただ、彼に伝えた通り、とにかく、今は郁万が鹿島の歴代最高、最強のセンターバックとして今以上に逞しくなってピッチに戻ってくることをひたすら待ちたいと思います。郁万、また同じピッチで戦おうな!

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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