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Vol54「ジーコの教え」

  • 2025.05.29

    Vol54「ジーコの教え」

絶康調

鹿島アントラーズが毎年開催している「伝説祭 -LEGEND FESTA-」に、脩斗くん(元鹿島DF山本脩斗)とジーコとともにコーチとして参加した。伝説祭の中身は親子サッカー教室で、脩斗くんは対人を教えて、オレはシュートのことを教えた。ジーコは全部を見る感じなんだけど、やっぱり攻撃の選手だったのもあって、オレがシュートを教えているところを見る時間が長い。ジーコの方がオレよりシュートうまいじゃん。だからオレだけがめちゃくちゃ緊張していた。選手としてサッカーしている時より緊張したかも。親子教室ということで、ドリブルからシュートのメニューを親子で競争っぽくやってもらった。慌ててしまいシュートがうまくいかない子が多かったから、オレは「ゆっくりでもいいから落ち着いて打とう」とアドバイスしていた。そこにジーコがやってきた。当然スタッフもジーコにアドバイスを求める。オレと違ったこと言ったらどうしようと、1人ハラハラしていた。ジーコが言うこともほぼ一緒だったんだけど、伝え方が違った。「シュートはゴールにパスするつもりで打て」。なるほど、負けたね。そういうアドバイスは分かりやすいと思った。

イベントまで時間があったから、ジーコともいろいろと話した。当時の給料のこととか、今のJリーグのこととか。ジーコはJリーグは価値も給料も上がって、サッカーでメシを食っていける選手が増えたことを喜んでいた。ジーコが現役の時じゃ考えられないらしい。ジーコは鹿島の創生期にユニフォームを自分で洗っていたそうだ。ブラジル時代もそうだったらしいし、胸スポンサーがないのも普通で、なんならユニフォームも自分たちで買っていたと。今はきれいなユニフォームを普通に与えられるし、いろいろなスポンサーがいて恵まれているよねって。ジーコクラスでもそうだったと衝撃を受けた。オレですら洗濯してもらっていた。恵まれているな。一方で、Jリーグ自体のレベルがグッと上がっている印象がないという。代表クラスも普通にJリーグで戦っていた時代を知るジーコは、いい選手がすぐ海外にステップアップしてしまうことを少し残念がっていた。その代わり、代表はレベルがすごく上がっているとも。お金を払ってでも見たいという選手として浦和レッズのマテウス サヴィオの名前を挙げていた。

ジーコの現役時代は正直分からない。鹿島加入時にハットトリックの映像を見たぐらい。罰当たりなことに、若きオレは鹿島イコールジーコという歴史も分からず加入してしまった。ウイニングイレブンというゲームでジーコを使っていたのを覚えているくらいだった。レアキャラでフリーキックが得意だからめちゃくちゃ点を取れるけど、スピードがなくて使いづらい印象が強かったな。加入当初からの何年かはジーコが鹿島と関わっていなかったため接点は無かった。ただ、クラブハウスの至るところにジーコスピリットが書いてあった。何年目だったかな、ジーコが再び鹿島と関わるようになって「ようやく生ジーコを見れた」って喜んだ記憶がある。ジーコのすごさはミーティングで目の当たりにした。あるブラジル人選手は、スーパープレーを見せる半面、気分が乗ったり乗らなかったり、波が大きかった。ところが、ジーコが話す時だけは目の色が変わる。とにかく真面目に話を聞いていた。ジーコはよく「助っ人で来ているんだから、結果と勝利をもたらさないとここにいる意味がないんだ」と直接言っていた。日本人のうちらは思っていても言えないド正論。「日本人が全員出ているようじゃ助っ人の意味がない。ゴールを決めていないブラジル人は必要ない」って。おそらくジーコはそういう気持ちで日本に来て、結果で示したから名前を残した。これは元ヴィッセル神戸のイニエスタにもできなかった偉業だと思う。ジーコは今でもジーコ。誰もが知っているし、みんなから尊敬されるし、やっぱりすごいのだと思った。引退してなおその印象が増している。おじいちゃんになっても名が残っている。これはお金じゃ得られない名誉だよね。

ベガルタ仙台に移籍してからもオレは常々「普通にいい選手なだけじゃ名前は残らない」ってチームメートに説いた。財前さん(元ベガルタ仙台MF財前宣之)や梁さん(部元ベガルタ仙台MF梁勇基)みたいに昇格を成し遂げた人は今でも名前が残っている。もしかしたら彼らよりいい選手、うまい選手っていたんだろうと思う。ただ、一般的に見たらそういう選手は忘れられている。語り継がれるためにはタイトルを取れ、やり遂げた結果を示せ-。ジーコの教えを反すうする。オレもタイトルを取ったから、こうして鹿島のイベントに呼んでもらえているんだろう。チームでタイトルを取らないと評価されない世界というのもジーコの教えだ。オレが話す言葉の大半は、ジーコや鹿島時代の先輩に教わったことを代弁しているだけなんだよね。それが語り継ぐということでもあると思っている。響く人には響くし、響かない人には響かないだろう。ただ、多くの人に伝わってほしいとは思う。

いつも負けた時のミーティングでジーコが少し話す時間があった。だいたい同じことを話していた。「ユニフォームを着て満足する選手が多すぎる。勝っているだけじゃ名前が残らない。タイトルを取らないといけない」。鹿島はジーコでできあがったチーム。満さん(元鹿島強化部長・鈴木満氏)とかOBも地位を築いたんだけど、やっぱり最初の0から1にもっていくパワーはものすごく必要で、その時にジーコがいたのは鹿島にとってかなり大きかったんだと思う。だからブラジル人選手は鹿島のことをブラジルのチームってよく言うんだよね。ジーコのスピリットがあるからどんなに苦しいところでも踏ん張ることができて、結果勝利につながっていると思う。原点はジーコの言っていることになるんだろう。これからもいっぱい話したい。長生きしてずっとクラブハウスにいてほしい。ピリッと緊張感が走るから鹿島フロントのみんなは大変だろうけどね。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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