鹿島アントラーズの功労者に認定され、20日の柏レイソル戦の前に、同じタイミングで現役引退していた慎三さん(元日本代表FW興梠慎三)と一緒に記念盾を頂いた。先だって「功労者に認定されたのでスケジュール空いてますか」と連絡が来て、これまでのメンバーを確認したら名だたる人ばかりでびっくり。本当にオレももらっていいの?っていう感じだった。メルカリスタジアムになって初の試合という、素晴らしいタイミングに授与式を設定してもらえて、小泉社長から記念盾を受け取った。かつては選手としてこのピッチにいたから、引退して新たな立場として立つのも感慨深かった。功労賞授与式は現役時代に何度か見ていた光景。偉大な先輩方に続いてまさか自分がもらえるとは思わなかった。「僕なんかのことよりきょう勝って優勝しましょう」ってあいさつしといた。今はどこにも属していない鹿島のいちファン。そして、ベガルタ仙台に対しても同じ感情を抱いている。フリーな立場で応援できるのは幸せだ。慎三さんとは控室から一緒だった。「監督をやる」って話していた。昔から慎三さんはウソをつかなくて思ったことを言う人だった。人なつっこいというか、後輩のオレから見たら頼りがいある人で「なんかあったらいつでも言えよ」という兄貴肌だった。まあ、鹿島の先輩方はみんなそうだったな。
そして、監督という目標に一直線に突き進んでいる慎三さんを目の当たりにして思う。自分が目指しているところはどこだろうかと。考えが整理される時もあるんだけど、東北人魂やなかのFC、アイリスFCなどオレにしかできないことをやってみようというのがまず最初にあるかな。ふわっとしているようでいて、オレの中では一つにつながっている。全てはサッカーという大きな風呂敷の上でやっている。鹿島と仙台をつなげることもしかり、学生や子どもたちをつなげていく。それが野望になるんだろうかな。究極はサッカーの発展だと思う。オレは鹿島や関東で長くサッカーに携わってきた。その経験を仙台に持ち込めるのは一つの強みだと思う。宮城の子どもたちにいろいろなことを知ってもらいたい。サッカーの発展は結果として街おこしにもつながると思っている。なるべく自分で思ったことをやろう、直感的にいろいろ巻き込んでやってみようと思っている。巻き込む相手を考え過ぎてスケールダウンすることなく、常に全開で自分の意見を伝え、いいものにしていきたい。
功労賞は取ろうと思って取れる賞じゃないから、本当にうれしかった。在籍年数が長く、タイトルを獲得していたからこそ認定された。当時から優勝するためにどうするかとずっと繰り返してきた中での、一つの答えをもらったような感じ。やってきたことは間違ってなかったという気がした。当時は何が正解か分からない状況でずっとサッカーに打ち込んでいた。勝たなきゃいけない、負けたら評価されない、個人としても試合に出られる出られないという戦いもあった。いろいろなことがある中で、優勝のため考えたことや思ったことを口に出し、ぶつかりながらも前に進んで15年鹿島にお世話になった。最後まで何が正解か分からないまま鹿島を出て、ベガルタでもスタンスを変えずに3年戦った。そして、未だに正解は分からない。勝てば評価されるのは間違いない、優勝すればいいのは間違いない。でも、プロセスに関しては未だに分からない。そんなオレも歴代で30人にも満たない功労者の1人となり、「やってきたことは無駄じゃないよ、正解だよ」って言ってもらえたようだった。
授与式の後、そのまま鹿島とレイソルの試合を見た。終わってみると鹿島らしい試合だったと思うし周りのみんなもそう言う。2-2から相手がPKを外した瞬間、みんなが勝ちを確信する、そんな雰囲気だった。レイソルに後半押されまくりながらも勝つということは、本当にタイトルに近いチームなんだと思う。ああいうのが鹿島の伝統の力じゃないかな。前半は早くに先制し過ぎた時によくある、相手の逆襲に遭って思ったより守備の時間が長くなった。そういう時間の中でセットプレーから追加点を奪ったのに、前半ラストに1点取られた。そのまま後半は攻められなくなり、首の皮一枚でなんとか守っていたのに追い付かれ、そのままPKまでいってずっとレイソルのペースだった。だけど勝った。いい内容でも勝てないと意味がない。話を聞くと全く満足していない。勝ちながら修正している。修正しきれていない部分は心配だけど、みんながサボっているわけでも気持ちが切れているわけじゃない。どこかで歯車がかみ合えばもっとよくなるし、対戦相手はやりづらいと思う。「なんであれで勝てるんだよ」となるもんね。あれだけ押し込んでいたのにレイソルは負けた。修正の仕方に悩むだろうね。今季の鹿島にはここ数年にない粘り強さを感じる。そうなるとやっぱり思う。「僕なんかのことより優勝しましょう」って。
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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。






