いろいろな意味でのV字回復の話。ベガルタ仙台の板橋秀樹社長が22日に退任した。板橋さんはオレがベガルタ2年目、2023年の春にやってきた。いったいどんな人なんだろうという以前に、周りのみんなは「また社長変わったわ」という感覚で受け止めていた。オレは短い周期で社長が変わるのは不思議でならなかった。ベガルタは社長や役員がコロコロ変わる。市民クラブだから仕方がないと思おうとしても、やっぱり衝撃的だった。周囲のみんなも板橋さんのことを知らないという。板橋さんごめん、最初のあいさつを聞いた第一印象は、「サッカー全然見てない人なんだな」だったよ。いいことをたくさん言っていたし、いいフレーズもあった。ところが心にしみ込んでこない。なんでなんだろうなと話を聞きながら考えていた。サッカーのことに一切触れていなかった。体育会系なノリの社長が「みんなで頑張っていこうぜ!」というのが多いこの業界では異質な感じ。前任がベガルタ大好き佐々木知廣さんだったからなおさらなのかな。あるタイミングで板橋さんと話すことがあって、「ベガルタの試合観たことあるんですか」と尋ねたら、「全くない」と返されてずっこけた。
あの年は板橋さんが社長になってから全然勝てなかった。苦しいシーズンだったし、オレもけがもあってベンチに入れなくなっていた。そうなると、スタジアムで板橋さんと話しながら試合を観る機会も増えた。「なんでパスがつながらないんですかね」、「なんでここでシュート打たないんですかね」ってぽつりと言う。それが結構核心を突いていた。そして、どんどん熱が入ってくるようになったのが手に取るように伝わってきた。10試合くらい観たころだろうか、板橋さんは負けると誰よりも悔しがるガチなサポーターへの変身を遂げていた。周囲の見方も変わった。最初はブーブー言っていた人たちも「板橋さんこんなに応援してくれているんだ」って。そして、週に1回は1人で練習を見にくるようになった。しっかり練習着を着ている。ミーティングにも参加するのは、現場に変なプレッシャーがかかると思う人もいたけど、みんなで頑張ろうっていう雰囲気をつくっていた。本当に勝ってほしいという意識の表れだったんだろう。鹿島アントラーズはフロントの人がすぐ近くで働いていて、顔を合わせる機会が多かったから、ベガルタに移籍したら会社の人があまり分からなくて、どっちが普通なんだろうって思っていた。ベガルタは物理的にも離れていることもあって、フロントと現場の距離を感じるチームだった。だからこそいつも、「みんなが同じ方向を向かないと」と言うようにしていた。そこに現れた、遠いのに近い存在が板橋さんだった。堅苦しい人だと思ったのに、熱い人だった。
練習に向かう時に家を出たら、板橋さんが歩いているのを見た。後で聞いたら近所だった。そこから勝手に爆上がりする親近感。ベガルタにいるうちに板橋さんにもっといい結果を、何かタイトルを取らせてあげたいと思うようになった。3年で辞任ということだけど、一番近くのサポーターだったから実はもっとやりたかったのかなとも思う。「選手のために頑張ってスポンサーつかまえてきます」とかストレートに伝えてくれる人だったし、姿勢も常に前向きだった。地元でサッカー選手をやっていれば、周囲からの「サッカー知らないでしょ」という声も聞こえていたけど、半年もたつころから評価が上がりまくって「めちゃめちゃ面白い」「ベガルタ好きだよね」という声ばかりになった。ベガルタのためにと手を打って、いろいろな成功や失敗はあるだろう。そういう歴史の積み重ねがいまのベガルタをつくっている。ベガルタのためにと汗を流すフロントのために頑張りたいと思うのが選手たちだ。心配だらけなスタートだったからこそ、そこからの上昇ぶりはすごかった。
あの年であんなにサッカーにのめり込む人を目の当たりにしたのは初めてだ。新しいファンを増やすのは大変なご時世、サッカーにうといおじさんがスタジアムで社長という立場から試合を観て、そこから大好きになるっていうのも珍しい。勝てなくて苦しい時代を一緒に頑張った戦友で、しかもあの年に黒字にもっていった。そして、育成クラブへの路線変更と森山佳郎監督の招聘がV字回復のきっかけになるかもしれない。板橋さんのやってきたことはベガルタの歴史上残り続けるし、いつかあの頑張りが報われるんじゃないかと思っている。
板橋さんと、新社長に就任した北畠泰之さんの2人は、地域貢献活動に積極的だった。東北人魂やなかのFCの活動については「地元のためにやることは何でも許可するよ」と背中を押してくれた。なかのFCのポスターに写っているオレは、ベガルタのユニホームを着ている。却下されてもおかしくないことなのに、あっさりと使用許可をくれた。オレが中学や高校のときはベガルタってそう身近な存在じゃなかった。オレと近い年代だと、正直当時のベガルタがあまり記憶に無いという人は多いんじゃないかな。板橋さんは地域貢献活動のことをたくさん話していた。「俺はそこをやっていく」って言ってくれていて、それがすごくうれしかった。北畠さんと一緒に尊重し、推進してくれた。だから今も好き勝手やらせてもらえている。今の子どもたちはベガルタをすごく身近に感じていると思う。後押しに感謝している。板橋さんは退任後、普通にサポーターとして観戦に来るんじゃないだろうか。影ながら応援している姿を楽しみにしています。おつかれさまでした。

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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。






