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Vol.14 法隆寺FC U-15監督/倉内清共

  • 2020.03.04

    Vol.14 法隆寺FC U-15監督/倉内清共

指導者リレーコラム

大学卒業後、生まれ育った奈良の地に戻り『サッカー』と深く関わりながら生きてきた。95年に地元の強豪校、平群中学校に赴任してからは、故・中瀬古宣夫氏との出会いによってサッカー感に大きな刺激を受け、それが指導者としてのベースになった。「サッカーにおいても、人としても子供から大人への移行期」だと話す『ジュニアユース年代』の選手育成に面白さを見出し、熱くも、温かくも選手に寄り添いながら育成に力を注ぐ、倉内清共監督に話を聞いた。

ーFCリアンの小谷泰監督からご紹介いただきました。

倉内 小谷先生とは、かれこれ20年以上の交流があります。小谷先生が大阪市立友渕中学校サッカー部の監督をされていた当時、私が勤務していた平群町立平群中学校サッカー部と練習試合をしたんです。中瀬古宣夫(2015年に逝去/元ディアブロッサ高田FC U-15総監督)監督のもとで私がコーチをしていた時代です。その際、監督が所用で不在だったため私が指揮を執ったのですが、試合後、サッカー談義をしたことで交流が始まりました。以来、毎年春に行っている奈良中学生サッカーフェスティバルにも参加していただいていて、試合後の懇親会では夜を徹してサッカー談義に花を咲かせています。

ー現在の法隆寺FCを発足するに至った経緯を教えてください。

倉内 少し私自身のお話をさせていただくと、86年に中京大学を卒業後、なかなか教諭の採用がなく、高校や中学で非常勤講師をしていた時期があったんです。そんな中、ある知的障害を持った男の子と知り合ったのをきっかけに、88年に仏教大学通信教育部で養護学校教員免許を取得し、90年4月に奈良県立高等養護学校に赴任しました。そうこうしている間にも、サッカーからは離れることなく、母校の王寺中学サッカー部の外部コーチをしたり、王寺FCユースチームを設立したり。奈良県の国体チーム(成年の部)のコーチや監督をさせていただいていました。その繋がりから中瀬古先生を紹介され、「平群中に来いよ」と声をかけていただいて赴任したのが95年4月です。当時の平群中は近畿地区でも強豪と知られていましたし、何より中瀬古先生の指導力、人間力にすごく惹かれていたことからぜひ近くでその指導力を学びたいと考えました。結果的に、中瀬古先生が転勤されたあと、99年からは私が監督に就任しましたが、今の僕の指導者としてのベースはコーチをしていた4年間とその後も続いた中瀬古先生との交流を通して築いたものだと思っています。話が逸れましたが、その監督時代は高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権大会・奈良大会で準優勝や3位になるなど、それなりに結果を出せていたのですが、公立中学なので、どうしても赴任10年目くらいには転勤の話がでてきてしまう、と。その中でありがたいことに保護者の方から「転勤しないでほしい」というようなお声がけをいただいたこともあり、また中瀬古先生が築かれた地域との信頼関係をしっかりと受け継いでいくためにも、地域に根ざしたクラブが必要だと考え、08年4月にNPO法人『法隆寺スポーツコミュニティ』を設立し、法隆寺フットボールクラブU-15の監督に就任しました。

ー中瀬古先生から学んだことで一番印象に残っていることを教えてください。

倉内 中瀬古先生は選手の『心のコップ』を上に向けるのがすごく上手な方でした。普段からよく選手を見ているからでしょうね。いつも抜群のタイミングで、的確な言葉をかけていたのが印象的でした。そういう声かけって、早くてもダメだし、遅くても手遅れになってしまうので、我慢はしつつもタイミングを逃さないのが大事なのですが、中瀬古先生はその見極めが素晴らしく、選手をその気にさせるのがすごくうまかった。だから、選手もどんどん中瀬古先生の言うことを吸収しますし、目に見えてプレーが変わっていきます。事実、今の時代はサッカーに関するありとあらゆるDVDや指導書が売っていますが、どんな指導も『心のコップ』が上に向いていなければ選手の心に届くことはありません。であればこそ、今も選手と接する時にはまず、その子の内面を見ることを第一に考えています。サッカーのプレーや生活を『結果』だけで判断するのではなく、まずは本人が「その場面で何をしたかったのか?」を知るということです。それによって、選手もその場面で起きたことが偶然で起きたのか、必然で起きたのか、あるいは成功か失敗だったのかを学ぶことができ、そこから改善することにも繋がっていきます。と言っても、最近はその「何をしたかったのか」の選択肢を持てない選手もいるので、その場合はこちらが場面に応じて選択肢を伝え「自ら選んで選択していく」という意識づけを行っていきます。

中学1年生。
小柄ながら足元の技術がしっかりした選手が多い。

ー選択肢を持てない理由として考えられることはありますか?

倉内 時代の流れとともに生活環境が大きく変化していることも理由の1つだと思います。例えば僕が平群中に赴任したばかりの頃は、小学校の校庭が常に開放されていて、誰もがそこで遊べる環境がありました。小学生や中学生が一緒にサッカーを楽しんでいる光景がしょっちゅう見られ、僕はその様子を眺めているのがすごく好きでした。しかもそこから発展して、鬼ごっこや缶蹴りが始まり、ゲームになっていく中で体をぶつけ合いながら自然といろんな『駆け引き』を学んでいく子も多かったんです。ですが、今の時代は小学校が安全のために閉鎖されてしまうなど、自然の中で学ぶ場面がほぼなくなり、駆け引きを知らずに育った子が増えました。それもあって、選手にいきなり、「考えろ!」「駆け引きしろ!」と言っても何をどう考えればいいのか、何をすることが駆け引きなのかを分かっていない子もたくさんいます。であればこそ、まずはこちらが選択肢を与え、選ばせることから始め、それをベースに選手の発想力が育っていくのを促さなければいけない。もっとも、そういう選手ばかりではなくて、中には育ってきた過程でしっかりと『駆け引き』の能力を備えている選手もいます。ですがそういう選手は大概、Jクラブのアカデミーや強豪クラブに行ってしまうので、うちのような街クラブにはそんな風に根本的なところから鍛えなければいけない選手が集まっているとも言えます(笑)。

ー『心のコップ』を上向きにした上で、プレー面ではどんな『栄養』を与えていきたいと考えていますか?

倉内 うちは、体が小さくても、足が遅くても、テクニック(技術)と判断でゴールを奪えるサッカーを理想としているので、そのためにはまず、止める、蹴る、はずす、運ぶ、はがすといったテクニックを備えさせたいと思っています。ある程度の大人になれば、日本人の多くが意識せずとも当たり前のようにお箸を使いこなせるように、サッカーでもそうなるのが理想です。だからこそ、ボールを敵の足が届かない位置に置くとか、体をうまく使うとか、考える、判断するといった頭の中の思考スピードをあげるとか、相手の逆を取るといった『テクニック』をしっかりと植えつけたい。ただ、そのテクニックもボールをずっと見ながら、では意味がないので、あくまで「顔を上げて、周りを見ながら」をセットでできるように求めます。特に中学1年生の時は、そこに特化してトレーニングをすることはすごく多いです。また、この年代は、自分を知りストロングポイントを持つこともすごく大事なので、『個性』を伸ばすこともしていきたいと思っていますし、サッカーの原理原則もしっかり植えつけたいと思っています。簡単に言うと、サッカーは11:11で対戦するスポーツで、点を多く取り、取られた数が少ない方が勝つということから落とし込みます。サッカーではごく当たり前のことですが、実は中学生年代はそういったことを理解しないまま何となくプレーしている選手がすごく多いんです。サッカーというのは守っていたら勝てるわけでも、攻めていたら勝てるわけでもなく常に攻守が表裏一体です。大人はよく『パスサッカー』や『ドリブルサッカー』などと区別して表現しますが、どこからアプローチするのかの違いだけで両方が必要だということを意識させたいと思っています。そういった原理原則を中学生年代のうちに理解し『ベース』として備えられるようになれば、高校年代でどんなスタイルのサッカーをすることになっても、スムーズに適応していけるはずですから。

ー練習を見ていると、どの練習も1つ1つのパススピードがすごく速いのが印象的でした

倉内 それは選手に求めていることの1つです。見ての通り、うちのチームには体の小さい選手がすごく多いので、パススピードが遅いと、相手に体を寄せられてしまいますし、そうなると必ず身体能力が高い方にボールが渡ってしまいます。でも、ボールは汗を書くわけではないですからね。どれだけ走らせても疲れるわけではないので、パススピードを速めることで、相手に寄せられることなく、フィジカルの差を感じずにプレーできる状況を作りたい。そのためには、パスを受ける方も速いボールをしっかりと止め、蹴れるテクニックが必要なければいけないので、さきほどの「テクニックが大事」なのです。

『心のコップ』を上に向けて、
この年代に必要なテクニックを備えさせる。

ージュニアユース年代は、体の大きさや身体能力にもばらつきがあり、時にそれが理由に結果が出ないこともあるはずです。その時に選手の皆さんにはどんな言葉を掛けられるのでしょうか。

倉内 基本的に、日本一の街クラブを目指しているので、勝利は常に意識させていますが、仮に結果が出なかったとしても必ずその理由は伝えるようにしています。「今は練習してきたプレーが通用しなかったように感じたかもしれないけど、やっていることを続けていれば体が大きくなった時に必ず通用するようになるぞ」と。要するに、暦年齢と成熟年齢の説明です。これは選手に限らず親御さんにもよく話をしていますが、様々な研究論文からも明らかになっているように、小・中学生の暦年齢と成熟年齢は前後3歳の差があると言われています。つまり成長の一番早い選手と、遅い選手では時に6歳くらいの差が開くことだってあります。でも暦年齢が増えるにつれてその差は確実に縮まっていくので、焦る必要はありません。にもかかわらず、実はこの年代は、成熟年齢が低い選手ほど、早い段階でその競技を諦めてしまう傾向にあるんです。サッカーに限らずですが、体が大きくならない=才能がないと結びつけてしまい、競技から離れていってしまう。でも、そうなる原因の多くは、僕は指導者にあると考えています。画一的に選手を見てしまい、成長速度の低い選手に「できないこと」ばかりを指摘するから、その競技が嫌になってしまう。そういえば、以前に中瀬古先生に言われて今も心に留めていることがあります。中瀬古先生が転勤された後の話ですが、久しぶりにお会いした際にチームの様子を聞かれたので、僕が「先生、うちのチームの選手は小さい選手ばかりです」と答えたら、「それはいいことやないか。体が小さくて、足の遅い選手がいっぱいいたら、自然と工夫してプレーすることを覚えるよ。それが大きくなった時に彼らの大きな武器になる」と言われたんです。その言葉を聞いた時はまさに目からウロコでした。と同時に、改めてこの年代の指導者はグッドオーガナイザーでなければいけないと責任を強くしたのを覚えています。

ーお話を聞いていると、法隆寺FC出身選手のその後が気になります(笑)。

倉内 私も気になります(笑)。なので、今でも高校や大学の試合は常にチェックしています。昨年末の全高校サッカー選手権大会の奈良県予選の準決勝2試合でも、ちょうど解説を頼まれていたので会場に足を運んだら、法隆寺FC U-15の出身選手が4チームの先発メンバー44人中9人もいて、密かに喜んでいました。実は、僕のクラブチームとしての理想の姿は「知る人ぞ知るチーム」というか。のちに大人になった選手が活躍して、注目され「この選手、どこの出身なの?」となった時に「法隆寺FC U-15なんや!」と言われる選手をたくさん育てることなんです(笑)。

2020年1月の時点で、U-15チームには
1年生26名、2年生26名、3年生が29名在籍。
生活面での指導も徹底して行う。

ーチーム発足から今年で12年目を迎えています。今後、クラブとしてどうありたいと考えていますか。

倉内 まず『法隆寺スポーツコミュニティ』は私が見ているU-15以外にも、社会人チームやシニアチームがあり、社会人チームの70%がU-15出身の選手で構成されています。これは、U-15を巣立った選手が将来的に帰ってこれる場所を作っておきたいという考えから立ち上げましたが、そんな風にうちのチームに関わった仲間が将来的にもサッカーを通じていい絆を築いていくことで、サッカーを通じた人間関係の構築とか地域での交流が深まっていけばいいなと思っています。またU-15に特化してお話しすると、今の時代は情報過多の傾向にありますがそれに振り回されない選手育成を今後も考えていきたいと思っています。といっても僕も、サッカーにまつわる情報は逐一チェックもしていますし、サッカーのトレンドも意識しています。本も読むのが好きなので、むしろ情報はたくさん持っている方だとは思います。その中からチームに必要だと思えば…それこそメンタルトレーニングを取り入れるなど、いろんな取り組みも行っています。ただ、指導者が情報だけに振り回されて、あれもこれも、となってしまったら、選手が混乱してしまいますし、この年代で備えさせたいことを見逃してしまうことにもなりかねません。だからこそ、先ほどお話ししたよう選手の『ベース』を育て、将来、どんなスタイルのサッカーに出会っても臨機応変に順応できる選手をじっくり、じっくりと育てていきたいと思っています。

練習後には必ず、
選手だけでミーティングを行っている。

ー次の指導者を紹介していただけますか?

倉内 静岡の富士市立高校の杉山秀幸監督にバトンを渡します。昨年の選手権の優勝校、静岡学園と静岡県大会決勝で戦ったチームで、杉山先生は、同校に事務所を置く総合型地域スポーツクラブ、NPO法人『富士スポーツクラブ』を10年に設立した時には代表も務めていらっしゃいました。私は同クラブのジュニアユースチーム、FC Fujiの活動を通じて杉山先生に出会い、同クラブの組織づくりやサッカー感の面白さに惹かれて以来、今も友好関係が続いています。サッカーどころ静岡で、新しいチャレンジをされつつ結果も出されている杉山先生の話は、きっと全国の指導者が興味を持っているはずですよ!

<プロフィール>
倉内清共(くらうち・きよとも)
1964年1月24日生まれ。
奈良県出身。中京大学体育学部卒業後、中学、高校での非常勤講師を経て90年に奈良県立高等養護学校に赴任。95年4月に平群町立平群中学校に赴任し、96年より同サッカー部コーチに、99年に同監督に就任した。08年4月にNPO法人『法隆寺スポーツコミュニティ』を設立し、法隆寺フットボールクラブU-15の監督に就任。10年4月からは再び奈良県高等養護学校で教鞭を執る傍ら、奈良県のサッカー発展に尽力している。奈良県サッカー協会の3種委員長を経て、現在は奈良県サッカー協会の技術委員長、常務理事。

text by Misa Takamura

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