暑くなってきました。みなさん、体調は大丈夫ですか?
さて、前回お伝えしたように、今回はJリーグ復帰の決断について話をしたいと思います。
ガンバに加入する際の記者会見でも少し話しましたが、Jリーグの復帰を決意した理由の1つは、トゥールーズFCのメディカル体制にありました。その際は端的に「僕には合わなかった」と表現したけど、具体的な説明はしませんでした。ガンバへの加入会見の場で、トゥールーズの話に時間を割くのは違うと思ったからです。ただ、自分なりの決意と覚悟を持って臨んだ『海外』から日本に戻るという大きな決断の理由をこのまま封印したくないと思い、ここで話すことにしました。
結論から言うと、トゥールーズのメディカル体制と僕が経験してきた日本でのメディカル体制は大きく違いました。日本で当たり前としてきたことが当たり前ではないというか…。もちろんそういった違いは海外に渡る前から覚悟していたし、トゥールーズのグラウンドやクラブハウスなどの設備面が日本より遥かに劣悪な状況でも異を唱えることはありませんでした。与えられた環境で最善を尽くすことだけ考えてサッカーに向き合っていたし、移籍してすぐに20試合続けて先発のピッチに立たせてもらっているというクラブからの信頼に応えたいと思っていました。事実、いろんな状況はあるにせよ、家族にも支えてもらって海外へのチャレンジを楽しめていた自分もいました。
そんな自分に心境の変化が起き始めたのは昨年夏にケガをしてからです。試合中に右足首を大きく捻り、単なる捻挫とは思えない痛みを覚えたものの「骨や靭帯に異常が見られなかった」という診断から、その後行われた治療は1ヶ月間、1日20分間のアイシングだけでした。これはアイシングが最適な治療と判断されたから、ではなくトゥールーズに、Jクラブにはあるような超音波やラジオ波など、電気治療ができる器具が何一つなかったからです。いや、クラブスタッフによると正確には「あるけど、潰れているから使えない」と(笑)。しかも4人のメディカルスタッフは他に仕事を持っているため毎日二人ずつしか出勤してこないとなると当然、全員に目は行き届かないし、ましてやリハビリを見れるスタッフはいません。かと言って、日本に帰国して治療することを望んでも、チームが不振に苦しむ状況もあり「ドクターが3週間で治ると言っているから、3週間でピッチに戻ってくれ」と言われて受け入れてもらえず…。アイシングだけで治るとは思えなかった僕は、これまで関わりのあった日本のトレーナーに連絡して、自分でできる範囲のリハビリメニューを教えてもらい、それを一人でやってみる毎日が続いていました。ちなみに、それと並行して、チームから「この病院にいいドクターがいるから行ってこい」と言われて7〜8件を回り、MRIやレントゲンを撮りましたが、結果はいつも同じ「骨や靭帯には異常がない」で、進展はゼロでした。
ですが、一向に腫れも引かないし、痛みも取れず、その足の状態を見て、チームドクターに「3週間」とされていた診断が、「やっぱり6〜8週だった」と言われ…考えたら、そのくらいから自分の中にクラブのメディカル体制への不信感が芽生え始めていたんだと思います。(つづく)
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。