サッカー界に実に多くの優れた人材を輩出し続けている筑波大蹴球部の小井土正亮監督に、日本サッカー界における大学サッカーが担う役割や、筑波大独自の取り組み、さらに、Jチームで分析担当コーチを務めた経験を持つ方なので、ゲーム分析の意義や注意すべき点を教えていただきました。
ーまず始めに明治大の栗田大輔監督から小井土監督をご紹介していただきました。栗田監督とのご関係について教えてください。
小井土 筑波大は茨城県にあって明治大がある東京からは距離があるので、プライベートで頻繁にお食事をご一緒させていただくという関係ではありませんが、指導者の一人としてリスペクトしている方です。栗田さんの場合は、指導者と言いながら会社勤めをされています。大学の指導者の場合、栗田さんのようにいろいろな背景を持った方が多く、それが大学サッカーの面白いところの一つでもあって、そこにいる指導者同士が、お互いの異なる背景を含めてのリスペクトを持って、もちろん試合になれば本気で戦う、というとても良い関係性にあると、私は考えています。そういう意味で栗田さんも私をご紹介くださったのだろうと理解しています。
ー小井土監督はJクラブでのコーチ、ジュニアクラブの指導をされた後で、筑波大大学院の博士課程に入り直して、一般公募での試験に通って筑波大での教員としての着任が決まったんですよね。中学でもなく、高校でもなく、大学の教員になりたいと考えたのはなぜですか?
小井土 私が筑波大に入学した時点では出身地の岐阜県に戻って高校の教員になるつもりでいました。筑波大大学院の修士課程を終えた時も気持ちは変わっていませんでした。しかし、高校の教員になるタイミングを逃してJクラブで働くことで、より高いレベルのサッカーにふれる、また、いろいろな人と出会う中で考え方が変わって行きました。
ーどういう変化でしょうか?
小井土 中学や高校の教員だと、生徒との間には、教える側と教えられる側という関係性が強くありますし、また自分が勉強する時間を確保するのも難しいだろうな、と考えました。しかし、大学の教員になれば、教員と学生という関係はそこにありますが、特に筑波大という場所においては自分よりも優れた学生が多いので自分にとっては非常に刺激的であるはずだし、学生と一緒に自分が成長するために学ぶ時間の確保もできるだろう。そういう考えに変わったのです。
ー現在、筑波大ではどういうことを教えているのでしょうか。
小井土 サッカーコーチング論という研究室で、いわゆるゼミと言われるところで、十人単位で教えているのは、サッカーのコーチング論です。それ以外では、一般体育といって、体育学部にあたる「体育専門学群」ではない一般学部に在籍している学生さんにサッカーの授業を行っています。夕方は蹴球部でJリーガーになるような学生を相手に、日中は女子学生や、サッカー好きの男子学生にサッカーを教える日々です。
ー日本サッカー界において大学サッカーが担っている役割は何だと考えますか?
小井土 二つの見方があると思います。一つはプレーヤーですね。ピッチ上でどんな選手が活躍しているか。例えば去年のJリーグのベストイレブンを見たときに、外国籍選手が4人、高校卒とクラブのユース出身の選手が合わせて3人なのに対して、大卒の選手が4人(GK林彰洋=FC東京/流通経済大卒、DF室屋成=FC東京/明治大卒、FW永井謙佑=FC東京/福岡大卒、FW仲川輝人=横浜F・マリノス/専修大卒)というように、大卒選手が当たり前のようにいるのが日本のプロサッカー事情です。つまり、大学がプレーヤーを育てる場所として機能しているというのは、そういう数字から見ても間違いないところだと思います。
ーもう一つの見方とは?
小井土 Jリーグを含めて日本のプロスポーツをスタッフ側として支えているのは、やはり大卒の人たちです。JクラブやJリーグ本体を動かしている人もやはり大卒の人たちですし、スポーツを支える側を育成する場としても大学は機能していると思います。大学サッカーの場合ですと『学連(大学サッカー連盟)』でリーグ戦を運営する側に回っている学生さんたちは、のきなみクラブでのスポーツ経営に進みたいとの意欲を持っていると聞いていますし、そうやってスポーツを支える人材づくりの場として大学は今後も機能していかなければならないと思っています。
ー最近のJクラブにおいては、大卒選手の獲得に意欲的ですし、実際に彼らはピッチで活躍もします。大卒選手がプロの世界で活躍できる理由は何だと思いますか?
小井土 一概には言えませんが、大学で“考える力”を養っている選手が多いことが一つの理由かもしれませんね。私はプロの世界にもいたので、18歳から20歳くらいの若い選手がどれだけ素晴らしい能力を秘めているかを知っています。しかし、そんな彼らが自分のことを客観視して『ここでダメだったらこの先はないんだ』という危機感を持ってやれているかというと、そうではない選手もいるような気がします。どこかで『ここでダメでも別のクラブに行けばいい』という考えがあるから能力を伸ばし切れず、そのまま消えていく選手を何人も見てきました。大学生の場合だと『この4年間で何とかしないと先はない』という本当の危機感の下、自分を見つめる時間もありますし、同じように葛藤している、同じ釜の飯を食べる仲間もいて、その中で、人として成長するためには考える能力を身につけなければならないと理解していくように思います。
ー「考える能力」とは具体的にはどういったものでしょうか?
小井土 監督さんが求めていることは何か、その中で自分にできることは何か、ということを頭の中でしっかり整理する。そして、いざそれをピッチ上で表現しようとした時に、そこには相手がいるわけで、相手の出方も踏まえて自分に求められたこと、自分にできることをどうやって表現していけばいいのか、それを考えられる能力というものが、大学の4年間を通して高くなっている、鍛えられていると思います。
ープロ選手やスポーツ界を支える人材育成の場になっている大学サッカー界の中でも、筑波大だからこその特徴はありますか?
小井土 現在の筑波大蹴球部の部員数は195名です。そのうち、推薦枠と言われる、サッカーの競技能力を評価されて入学してくる学生は各学年5人、4学年で20人のみです。残りの175名は一般入試で入ってくる学生です。もちろんプロ選手を目指す学生もいますが、その隣りには整形外科医を目指す医学群の同級生がいて、またアナリストを目指す情報学群の先輩がいる、というように、大学のサッカー部に入ってきている時点で本気でサッカーに向き合おうとする学生であることに変わりはないのですが、サッカーに関係する、しないは別にして、その先に自分がこういうふうなキャリアに進みたい、こういうふうに生きていきたい、と、明確な目標を持っている学生が多い。かなり幅広い人材を抱え、いろいろな思いを持った者が、いろいろな方向に向かって頑張っている、それが筑波大蹴球部の特徴の一つだと思います。
ー筑波大蹴球部には『パフォーマンス局』というものが存在するとか。それはどんなものですか。
小井土 学生たちが自分たちの興味ある分野で、何でもいいから自分やチームのパフォーマンスを向上させるために取り組んでみよう、という考えでスタートしました。体育専門学群に入ってくる学生でも、スポーツ心理学に興味がある学生がいれば、運動生理学に興味がある学生もいますし、体育専門学群以外の例えば情報学群の学生ならプログラミングに興味があるとか、かなりスキルも能力も違う学生が蹴球部には集まっています。そういうふうにピッチでプレーする以外のところで使える素晴らしい能力を持っている学生がたくさんいるのに、その能力を埋もれさせたままにするのがもったいないと常々思っていたので、ピッチの外でみんなが持っている能力や、やる気を出し合えば、最終的にはもっとプレーがうまくなって、サッカーを楽しめるはずだから、やってみようと言って始めたのが2015年のことです。最初は自分が分析をしていたこともあって『アナライズ班』という班をつくって学生たちと一緒になって対戦相手のスカウティングすることから始めて、そこから派生的にいろいろな班ができることになりました。
ーいま、パフォーマンス局にはどんな班があるのでしょうか。
小井土 全部で8班。アナライズ班、フィットネス班、ビデオエディット班、データ班、メンタル班、ホペイロ班、ニュートリション班、トレーニング班です。
ーホペイロ班というのは?
小井土 スパイクが好きで、海外のプロ選手がどこのメーカーのスパイクを履いているとかに詳しい学生がいて班をつくりたいと言ってきたのですが、「トップチームの選手のスパイクを磨くだけの班ならノーだ」と言ったら彼はいろいろと考えたんでしょうね、「スパイクのソールの減り具合からケガのリスクを測ってケガの予防やパフォーマンスアップにつなげたい」と言ってきたので「それならやってみるか」と。去年、ホペイロ班にいて、今年は大学院に進んでバイオメカニクスの研究をしている学生は、スパイクの開発に携わりたいということで、メーカーへの就職を希望して動いているようです。
ーニュートリション班というのは?
小井土 スポーツ栄養に興味を持っている学生がいろいろな取り組みをしている班です。例えば、「ある選手は夏になっても走力が落ちない」、「その秘密が彼の食事にあるはずだ」との仮説を立てて、その選手の1週間分の食事を写真に撮って全体ミーティングで発表するとか、栄養の面からパフォーマンスアップを考える班ですね。
ーそのパフォーマンス局には何人の蹴球部員が所属しているのでしょうか?
小井土 そんなにカチッとした組織ではなく、出入り自由なグループなのですが、やるといった以上は、前向きにできる学生たちだけでやろうと始めて、現在195名いる蹴球部の部員のうち90名近く、大学院生を含めると100名くらいがぞれぞれの班で活動しています。将来のキャリアにも直結するとも思いますし、あるデータが卒論のデータとして使われるとか、一石二鳥ではなく、三鳥くらいの形になって、学生たちのモチベーションとうまくリンクして活動できているかなと思います。
ー少し分析の話を。例えば地域の少年クラブを指導している方々に向けて、ゲーム分析の必要性をどう説きますか。
小井土 勝ちたいのに「ゲーム分析をする必要はない」とお考えになる方がいたら、逆に私は問いたいんです、「何のために練習しているんですか?」と。サッカーというゲームで勝つために練習しているのでしょうから、「ゲームで起きていることを正確に言えないのに、どんな練習をしていいかは分かりませんよね?」、と。ゲーム分析の深さに程度の差はあると思いますが、ゲームそのものが答えなのに、それを振り返らないとか、そこで何が起きているかを、正確に見れるかどうかは別として、見ようしないのは指導者として一番やらなければいけないことを捨てているように思えます。
ー見ようとしている、でも「見方が分からない」という方が多いのではないかと思います。実際に、何を、どう見ればいいのでしょうか?
小井土 サッカーには切れ目がありませんし、あらゆる場面で22人が、いろいろなものを錯綜させながら行うスポーツなので、見て分析することが難しいのは事実です。特にジュニア年代の試合を見ることって簡単じゃないんですよね。大人のサッカーを見るときは、ある程度先に起こることが予想できるので、いろいろな場所に目を向けることが可能なのですが、小学生の場合だと、思っていないところでボールを失っているとか、予想外のことがたびたび起きますからね。そういうことがあるにしても、「見方が分からない」とおっしゃる方は、“いつも見ているものが同じ”ように感じます。例えばボールだけを目で追ってそこにかかわる状況しか見ることができていない、というふうにです。そういう方にはぜひ、違うところもみてほしい。「いつもボールがあるところしか見ていないから、今日はボールがないところの状況を見てみよう」とか、「いつも攻撃の方に注目しているから、今日は守備の方に目を向けてみよう」とか。そうやって自分の視点を増やす、広げる、ということをしていけば、全然違った見方になると思います。まず、自分がいつも何を見ているか、あるいは見てしまっているのか、を気づくことから始めれば、見方が変わって、それが自分なりのゲーム分析につながっていくと思います。
ー「やってはいけないゲーム分析」というものがあれば教えてください。
小井土 特に育成年代で明らかに分かるのは、オン・ザ・ボールにおけるミスです。コントロールミス、シュートミス、ドリブルミス、1対1の場面で相手に抜かれた、キーパーがキャッチミスした、というのはすごく分かりやすいことなのですが、そこだけにフォーカスしたゲーム分析は良くないやり方で、「なぜ、そういうミスが起きたのか」について触れることがとても大事だと思います。逆にパスやシュートが成功した時もその選手をほめることはもちろん大切ですが、「なぜ、成功したのか」を考えてほしいんです。だいたいそういう時は周りの選手がおとりの動きをしてくれたから、とか、成功したプレーの近くにあった何気ないけれども効果的なプレーがあるはずなので、そこにも気づいてほしい。ゲーム分析をする上で心がけてほしいのは、ちょっとしたポジティブなプレー、良いプレーに気づくことです。
ー「それでは次の指導者の方をご紹介願います。
小井土 筑波大大学院の同級生である横谷亮を紹介したいと思います。現在は大宮アルディージャのU-15カテゴリーの中にある、U-13の担当コーチを務めています。かなり面白いキャリアというか、大学院を出た後に、とにかく育成年代の指導をしたいということで、ドイツに渡って向こうでいろいろと勉強して、日本に戻ってきた、、育成の指導に対して、とても熱量のある指導者です。
<プロフィール>
小井土 正亮(こいど・まさあき)
1978年4月9日生まれ。
岐阜県出身。各務原高校から筑波大学へ進学、同大学蹴球部でプレー。その後、同大学大学院進学、スポーツ心理学を学びながら、水戸ホーリーホックでJリーガーとしてプレー。現役引退後、2002年(大学院2年次)から筑波大蹴球部のヘッドコーチに就任。大学院修了後の2004年に柏レイソルのテクニカル・スタッフ就任、2005年から10年まで筑波大蹴球部の先輩にあたる長谷川健太監督率いる清水エスパルスでアシスタント・コーチを務める。2011年、茨城県社会人サッカーリーグ所属(当時)のジョイフル本田つくばFCで現役復帰し、チームの1部昇格に貢献。茨城県のジュニアユースチームでの指導を経て、13年に長谷川健太監督率いるガンバ大阪のアシスタント・コーチに就任。14年から筑波大学職員となり蹴球部のヘッドコーチに就任、同年途中から監督就任。16年に全日本大学サッカー選手権大会、17年には関東大学サッカー1部で優勝を果たしている。
text by Toru Shimada