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Vol.13 東京キラキラFOOTBALLスクール コーチ/内山環

  • 2021.05.05

    Vol.13 東京キラキラFOOTBALLスクール コーチ/内山環

PASSION 彼女たちのフィールド

サッカーをはじめスポーツには勝ち負け以外にもプレーすることを楽しむという本質的な意義がある。海外や国内トップリーグで活躍する選手も、全国大会に出場する学生選手も誰だって最初は初心者であり、ボールを蹴る喜びや仲間とサッカーをする楽しさがベースとなって継続のモチベーションになってきているのではないだろうか。今回はそうしたサッカーの楽しさを伝え子どもをキラキラと輝かせる東京都足立区千住のサッカースクール、東京キラキラFOOTBALLスクールでコーチを勤める内山環氏にお話を伺った。

ーはじめに、内山さんのサッカーに関する経歴をお聞かせください。

内山 私がサッカーを始めたのは小学3年生の時なのですが、小学校にあった女子サッカー部に友人に誘われて入部したのがきっかけです。小学校で女子サッカー部があるというのは全国的にもめずらしいかもしれませんが、私が生まれ育った兵庫県神戸市には周りにも女子サッカー部はありました。反対に中学校では女子サッカー部が無かったので、神戸フットボールクラブの女子チームである神戸FCレディースでプレーしていたのですが、クラブが1989年に¬㈱田崎真珠(現、株式会社TASAKI)のサポートを受け田崎神戸FCレディースとしてLリーグに参加することになったので、その最初のメンバーになりました。その後プリマハムFCくノ一(現、伊賀FCくノ一三重)に移籍し、2000年までプレーしました。
その間日本代表にも呼んでいただき、第1回から第3回までの女子ワールドカップや女子サッカーが正式種目に採用されたアトランタオリンピックに出場させていただきました。当時はオリンピック予選というものがなく、オリンピックの前に行われるワールドカップの成績上位の国がオリンピックに出場できるというルールだったのですが、ワールドカップもオリンピックも始まりの年代にプレーできたのは光栄です。2000年にシドニーオリンピックがあったのですが出場を賭けたワールドカップで成績が振るわず、シドニーオリンピックに出場することができませんでした。ケガも重なっていたので、1999年のシーズンで引退しました。
サッカー引退後はフットサルを始めました。初めは遊びでしていたのですが、現在のバルドラール浦安ラス・ボニータスの前身チームに誘っていただき真剣にフットサルに挑戦しました。数年プレーして、マカオで開催されたアジアインドアゲームズという大会に初めて女子フットサル日本代表チームが招集されたのですが、そのメンバーとしても呼んでいただき出場することができました。その後2007年にフットサルを引退しました。

ー歴史あるクラブの初期メンバーであったり、日本代表として初回の女子ワールドカップやオリンピック出場。さらには1回目のフットサル女子日本代表など、日本の女子サッカー界の歴史を築いてこられたのですね。

内山 私はすごく運良くやってこれたという感覚で、どのチームでも一緒にプレーしたメンバーに恵まれましたし、一緒にプレーできて楽しかったです。

ー引退されてから指導者の道に進まれたのですか?

内山 私はもともと指導者になりたいと考えてはいなかったので、指導者ライセンスの取得もしていませんでした。子どもが好きで引退後は子どもに関わる仕事をしたいなと思っていたところに、高倉麻子さんからスクールを立ち上げるので手伝ってほしいと声をかけていただき、私に手伝えるならぜひということで現在のスクールに携わらせていただいて、今年で6年程になります。スクールは週1回の開催なので、基本的にはサッカーを楽しんで好きになってもらえるようにしています。スクール立ち上げの時はまだ高倉さんはなでしこジャパンの監督ではなかったのですが、代表監督に就任後も代表の活動が無い時にはスクールに来てくださいます。

ー元日本代表選手や現日本代表監督に見ていただけるスクールって、子どもたちはものすごく恵まれた環境なのではないかと思うのですが。

内山 そうですね。チームではなくスクールなのでセレクションがあるわけでもなく、サッカーを始めたばかりの子どもや普段は中学校や高校の女子サッカー部に所属していてもっとうまくなりたいというような子が通ってくれていたりします。スクールは千駄ヶ谷から代々木に移転し、2020年6月から千住で活動しています。オリンピックや新型コロナウイルス感染症の影響で移転を余儀なくされていたのですが、移転によってスクールに通えなくなってしまった子も多いので、現在はまだ少人数でサッカーを楽しんでいるといった状況です。

ースクールに携わる決心に至ったポイントなどはありますか?

内山 初めは単純に高倉さんのお手伝いが私にできるのであればという気持ちでした。私はサッカーの技術指導というよりも子どもたちにまずはサッカーを好きになってもらいたい、楽しんでもらいたいという気持ちがあって、その上で年齢を重ねてもサッカーを続けてもらえたらいいなと思っています。技術面については中学生以上のクラスに元日本代表の若い指導者や経験豊富な指導者がいるので、そのコーチが専門的に指導してくれています。私は幼稚園児や小学校低学年をメインに担当しているのですが、本当に遊びながら楽しむとか自由にボールを蹴らせるというような感じでゲームをする時には私も入って一緒にプレーしたりもして、子どもたちに楽しいとかまたやりたいと思ってもらえるようにしているので一般的なコーチとは違うと思います。
ただサッカーだけでなく、人の話をきちんと聞くとか挨拶をするといったことはしっかり伝えていて、時には厳しくする時もあります。私に叱られた時に毎回泣いてしまう子どもがいるのですが、それでもコートに来る時には毎回ものすごく笑顔で走ってきてくれるんですね。その笑顔を見ると本当に楽しいんだなと思ってこちらが元気をもらったり癒やされたりしています。

ー東京キラキラFOOTBALLスクールの、サッカーを楽しみキラキラと輝く子どもたちを育成するというスクール名に込められたメッセージに感銘を受けました。

内山 このキラキラには、子どもたちが輝くという意味の他に高倉さんが現役の時の武器であったキラーパスのキラも含まれている裏話を聞いたことがあります。高倉さんのパスは日本代表でチームメイトだった時は心強かったですが、クラブでは別のチームだったので対戦するときはとてもやりにくかったですね。こうしたパスを出すタイミングやボールの質というのは教えるのも難しいですし、選手本人の感覚という部分もあると思います。スクールの若いコーチが動いて見せてくれているので、スクールの子どもたちは見て勉強できる環境があっていいなと関係者ながら思っています。

ー1日のスケジュールについてお聞かせください。

内山 スクールがある木曜日は、昼過ぎに家を出てコーチと合流し、15時頃にコートに着きます。15時30分からミーティングをして16時から練習が始まります。練習は幼稚園生と小学校低学年がやった後に小学校高学年がスタートし、その後中学生以上の女子クラスが練習するというスケジュールで終わるのは20時です。各学年の人数が多ければ細かく分けることができますが、現在スクール生は25名程なので上下のクラスが混ざって練習することもあります。下のクラスと上のクラスと一緒にゲームしたりするのですが、技術や体格差がある中でゲームをすると危ないのではないかという意見もあったりするのですが、上のクラスの子は身体の当て方やパスの出し方に気を使うなど、お互い相手を思いやりながらプレーしたりするので同年代同士でゲームするだけでは得難いような良い効果もたくさんあります。中学生以上の女子クラスではスタッフと対戦したりもしていますが、こちらも負けたくないので真剣勝負をしています。選手もスタッフチームに勝ちたいという気持ちを持って挑んでくれますが、スタッフチームもまだまだ負けません。
 スクールが無い木曜日以外の日にはまた別の仕事をしていて、放課後デイサービスで働いています。そこは運動のプログラムも多いのでそのプログラムの中でサッカーをすることもありますし、遊びの時間にサッカーをしたりもしています。

ースクールのお話がなければ、放課後デイサービスに就職する予定だったのですか?

内山 ずっとサッカーやフットサルをしてきたので、引退してから次にやりたいことというのがすぐには出てきませんでした。サッカーとは全く関係のない仕事に就いた時期もあったのですが、たまたま家の近くで放課後デイサービスの募集を知って、もともと子どもが好きだったこともあってやってみようと思って申し込んだのがきっかけです。スクールの仕事がなければ、もしかすると放課後デイサービスの仕事だけでずっとやってきていたかもしれません。
子どもはずっと前から好きで、高校生の時には保育への進路も考えていました。ですがその頃はWEリーグやなでしこリーグの前身となる日本女子サッカーリーグがスタートする年でもあり、サッカーと勉強の両立が難しかったのでサッカー一筋でいこうと決めました。その時も神戸FCのスクールにアシスタントという形で手伝っていて、小学生に教えたりしていました。今こうして仕事をする中で、サッカーの指導者ライセンスより保育士の資格などを取得することに興味があって、今の仕事に役立つのではないかなとも考えています。今は新型コロナウイルス感染症の影響で家にいることも多いので、今から勉強して何年後かに資格を取得するというのも1つだなとも思ってテキストを購入して自分で勉強しています。サッカーの指導者も今の選手や引退して間もない若い世代が多くいるので、そういう人たちが資格を取得して指導する方が身体も動くし良いと思います。

ー子どもと接する中で大事にしていることはありますか?

内山 スクールでも放課後デイサービスでも、基本的な順番を守るだとか人の話を聞くといったことは指導するようにしています。幼稚園児でも人の話を聞かずに砂をいじってしまったりすることがあるので、「そういうことをしたら0点ね」とか「コーチが話す時はちゃんと聞こうね」と言ったりしています。こういった基本的なことは社会に出ても大事なのできちんと伝えるようにしています。子どもであってもメリハリをつけて接するようにしていて、サッカーは自由に楽しく、オフザピッチではきちんとするという感じです。
子どももプライドを持っていたり、それが高かったりするのでうまくできないことがあったり何か指摘されたりすると泣いてしまったりします。負けて泣いてしまったりする時には「負けて悔しいから泣くのは良いけど、自分が一生懸命にやっていないのに泣くのはおかしいよね」とか「自分が必死にやって一生懸命に頑張ったのに負けて悔しくて泣くのは良いけど、やらなくて泣くのは違うでしょ」というような話をしますし、場合によっては「一生懸命練習して負けたら仕方ない」とか「負けて次頑張ろうってなるのは良いことだから、負けて泣く必要はないよ」といった声掛けもしますし、あまりやらないで泣いている時には叱ったりします。すぐに泣いてしまう子やなかなか泣き止まない場合には「泣いていたらサッカーができないよね?だから泣いている人は一度コートから出て、落ち着いたら戻っておいでね」と言っているのですが、そうするとすごく必死に涙をこらえる姿が見られるようになるので、そうやって少しずつ強くなっていきます。

ー将来の展望などありますか?

内山 今させていただいている仕事はどちらもすごく楽しくて、スクールは今後人数を増やしていきたいですし、放課後デイサービスでは私自身の知識をもっとつけて携わっていきたいと思っています。スクールは移転の影響で参加者が減ってしまったこともあるので、以前よりも多くの参加者に来てもらえるようにしていきたいですね。

ーサッカーをされてきた経験が仕事に活きていると思うところはありますか?

内山 サッカーに限らずスポーツをしてきて良かったなということが社会に出てたくさんあります。上下関係などもそうですし、チームや会社の看板を背負っている責任ということも私はサッカーを通じて学んできました。ですので子どもたちにも守らないといけないことややってはいけないことを学んでもらったり、周りの規律なども社会に出て役立つことが多いのでそういったことを自然と身につけてもらって、1つのことをやり続けていく中でその先に「あの時やってきたことが今役に立っているんだ」と感じてもらいたいですね。何か1つのことを頑張って続けるということはすごく良いことですし、それが全てではなくて進学を機に別の競技や物事にチャレンジすることも良いことで、目標を立ててそれに向かっていく過程がとても大切だと思っています。そこに向かっていく道というのがすごく良いことだと思うので子どもたちにも「サッカーを好きでいてね」とかサッカーを辞める子にも「また機会があったらやってね」「次の道でも頑張ってね」など何か1つでも続けてくれることを願っています。サッカーにもこれが答えというものは無くて、いろいろ自由な発想があっていいので、楽しみながらやってもらうこを一番大切にして、これからも子どもたちに伝えていきたいと思っています。

ーありがとうございます。

<プロフィール>
内山 環(うちやま・たまき)
1972年兵庫県出身。
小学校3年生からサッカーを始め、中学生から神戸FCレディースに入団。田崎神戸FCレディースを経てプリマハムFCくノ一に移籍。日本代表にも選出され、第一回ワールドカップから出場、アトランタオリンピックにも出場する。2000年に引退後フットサルに転向しバルドラール浦安ラス・ボニータスの前身チームに入団。フットサル日本代表にも選出されアジアインドアゲームズに出場。2007年に引退後、東京キラキラFOOTBALLスクールにてコーチを勤め、子どもたちにサッカーの楽しさを伝えている。

text by Satoshi Yamamura

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