あけましておめでとう。2026年も自分の言葉でいろいろなことを伝えていくので、よろしくお願いします。
会う人会う人に「コラム読んでます」と声をかけられるのはうれしいし、ありがたいね。ただ、厳しい言葉を期待されることも多くて、それはちょっと違うんだよなと自分では思っている。第三者目線で話すときに、どこまで言っていいんだろうというのは悩ましいところ。ただの口うるさい偉そうなOBにはなりたくない。自分なりにチームのことを考えて、長くプロサッカー選手として戦ってきた経験から見えてくる足りないところや改善点を言葉にしてきた。根底には選手に頑張ってほしい、活躍してほしいというのがある。チームや選手のマイナスになるようなことは極力避けたいという応援者としての自分と、思うことは正直に伝えたい自分がせめぎ合っている部分もある。オレが当事者に対して直接言葉で言うことと文章として残るコラムとの違いも含めて、これからも楽しんでもらえたらと思っている。
今回は友太(ベガルタ仙台MF郷家友太)と真瀬(ベガルタ仙台DF真瀬拓海)の移籍について。友太はヴィッセル神戸、真瀬は水戸ホーリーホックに移る。ベガルタ仙台を応援する立場としては「残って頑張れよ」と言うだろう。そういう気持ちもある。でもオレは、2人とももう十分ベガルタのために頑張ったと思っている。プロ選手生活を考えたら、気持ちだけで一つのチームに収まってほしくない。特に上のカテゴリー、J1でプレーするチャンスがあるならいくべきだと思う。
真瀬からは、ベガルタで一緒にプレーした3年間ずっと、「J1で戦いたい」と聞いていた。J2降格前からベガルタでプレーしているただ1人の選手として、真瀬自身は再びベガルタをJ1に上げて、ベガルタでJ1を戦いたいという強い思いを持っていた。だからベガルタをJ1に上げるために必死だった。年々成長して頼れる存在となり、躍動感ある試合をつくってくれた。時には戦術・真瀬な部分もあったし、真瀬がいたからこその今季のあの順位だったと思っている。そして、シーズン最終盤にスタメン落ちした。調子は悪くもなかったし、悔しい思いもあっただろう。でも、全部かみしめて途中出場で奮闘していた。ずっと見てきた側からすれば、集大成として真瀬にずっと頑張ってほしかったという思いはある。それで駄目だったら自分に何かが足りないと思うだろうしね。そんなタイミングでのオファーだったんだろう。
サッカー人生は短い。J1でもできる能力はあると思っているし、また真瀬がJ1で戦っているところを見てみたい。チャレンジして駄目だったら、また頑張ればいい。ベガルタでJ1に上がるというモチベーションでずっとやっていたことも、仙台に愛着を持ってくれていることも知っている。だけど、それだけに縛られなくてもいいんじゃないか。チャンスをつかみにいくことだって大事なことだ。だからオレは「正直になれ、オレは行くべきだと思う」と伝えた。
それは友太もしかり。地元に戻って、ベガルタ仙台で3年間しっかり戦ってくれた。キャプテンもやってくれた。決断を前に友太は「苦しいです」と胸中を語っていた。ヴィッセル神戸以外からもオファーがあったわけだし、そこはキャプテンとか関係なくいけよって。選手はまず第一にお金で評価してもらうのが本質。一番自分の価値や立ち位置が分かるしね。自分のサッカー人生を最優先に考えろと言った。ベガルタにいれば主力として試合に出られるだろう。熱狂的に応援してもらえるだろう。それでも、J1の強豪神戸でのポジション争いにチャレンジすることで得られるものは大きいはずだ。監督も替わるタイミングでやりがいはある。友太も成長した姿を神戸に披露するチャンスだと思うし、踏ん張ってもがくしかない。
3年間ベガルタで戦ったモト(セレッソ大阪FW中島元彦)も今季セレッソに戻った。試合に出られない時もあったし波はあったけれど、モトは年間通してチームの力になっていた。次のセレッソを引っ張るのはモトだと思わせてくれた。もっとやれると思うし、ベガルタにいた時から可能性を感じさせてくれたよね。モトだからこそできるチームの引っ張り方とか、「お前J2にいちゃ駄目でしょ」ってぐらいになるほど、ベガルタでの3年間でモトは成長を遂げてセレッソで戦えている。モトはいい時間を仙台で過ごしたと思うよ。
真瀬も友太も、ベガルタにいてベガルタのために全力でプレーしたことは間違いないし、相当悩んだ末の決断だ。2人の頑張りに感謝しつつ、送りだしてあげたいよね。仙台でプレーした時間が無駄ではなかったと思わせてほしいし、J1でどこまでやれるのか楽しみ。2人ともいい決断をしたと思っている。そして、2人がいなくなったベガルタで、誰が台頭してチームを引っ張っていくのか。若手にも楽しみな選手がいるし、新戦力もいる。興味は尽きないし、それもまた楽しみだよね。
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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。






