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18年以来、5年ぶりに鹿島アントラーズに復帰することになりました。クラブからリリースに載せるコメントを求められたときは、「ただいま!」という一言に僕なりの思いを込めましたが、少し時間が経ち、ガンバを離れることへの気持ちの整理を終えた今、改めて新シーズンに向かう僕の気持ちをもう少しお伝えしようと思います。
復帰にあたって、どういうことを考えたのかは前回の発源力でもお話しさせていただきました。古巣、鹿島に必要としていただいたことは素直に嬉しかったですが、一方でガンバへの恩も縁も感じていたからこそ悩みました。そして、両クラブそれぞれに感じているクラブへの愛情、恩を天秤にかけて移籍か否かの選択はできないと思ったからこそ、純粋に1プロサッカー選手としての将来、向かいたい場所、そのために自分が活きるサッカー、チームはどこなのかに焦点を絞り、移籍を決めました。
鹿島からオファーをいただいた際、吉岡宗重フットボール・ダイレクター(FD)にはこんな話をしていただきました。
「新しい鹿島を作りたい。だけど、それは選手を全部入れ替えて、まっさらの状態から作るという意味ではなく『鹿島とは』というクラブが育んできたDNAを土台にしたいと思う。その『鹿島とは』を体現できる選手は誰なのかを考えた時に、源のことが真っ先に頭に浮かんだ。直通(植田)の復帰も決まった今、直通も源も戻すとなれば、世間的にはもしかしたら過去に戻る、というイメージを抱く人もいるかもしれない。でも決してそうではなく新しい鹿島を作るために『鹿島とは』を体現できる土台が不可欠だと思っている」
正直、その言葉はすごく心に響いたし、嬉しかったです。言うまでもなく僕にとっての鹿島は、自分をプロサッカー選手にしてくれただけではなく、選手として大きく成長させてくれたクラブです。その古巣を離れて5年が過ぎた中で再び必要としてもらえたこと、1プロサッカー選手としてこんな幸せなことはありません。
5年の月日が流れても『鹿島とは』と言われて、自分の中に思い浮かぶものは確かにあります。思えば、以前に在籍した8年間では偉大な先輩、レジェンドの皆さんの背中を見ながらプロサッカー選手として、一人の人間として、多くのことを学びました。その1つ1つを言葉に変えるのはすごく難しいですが、どんな時も、鹿島のためにという想いを気持ちのど真ん中に据えて戦う先輩方の姿はとにかく格好良く、若手だった僕はそこにしっかりついていくことだけを考えて過ごしていました。そして、その背中を追いかけ続けていたことが結果的に僕に鹿島に伝統的に流れるDNAを植え付けてくれた気もします。
であればこそ、僕も自分の背中で、行動でしっかりと伝えることから始めたいと思っています。正直、離れていた5年間のチーム状況は全くわかっていません。試合結果やハイライト映像を目にすることはあっても1試合を通して試合を観たことはほぼなく、今の鹿島に足りないものは何なのか、吉岡FDが作りたいとおっしゃっていた新しい鹿島がどういうものなのかも、まだ想像できていません。過去に在籍した時代には自然とそこにあった鹿島のDNAがどのくらい今の所属選手に受け継がれているのかもわかりません。
だからこそ、まずは自分がその場に身を置いて素直に感じたことを、そのままプレーで、行動で表現していきたいと思います。もちろん、自分が思うこと、気づいたことを言葉に変えていくことも大事だと思っていますが、まずは自分が思う『鹿島とは』をそのままピッチの上で示していきたいと思います。そして、そのことは僕をここからさらに成長させ、もう1ランク上の選手にしてくれるんじゃないかと思っています。
移籍に際しては、鹿島の諸先輩方ともいろんな話をさせてもらいました。満男さん(小笠原)には「お前の経験で感じたことをどんどん伝えていってほしい。勝者になるには、技術や戦術以外に何が求められるのか。どんな雰囲気が勝ちを引き寄せるのか。みんながそれを自然と感じ取っていたあの時代にはどんな空気があって、今のチームには何が足りないのか。お前の経験も踏まえて積極的に伝えていってほしい」というような話をしていただきました。ソガさん(曽ヶ端準)にも満男さんと似たような言葉をかけていただいた上で「こんなに心強いことはない。戻ってきてくれて嬉しいよ」と言っていただきました。中田浩二さんには「今の鹿島にとってこの上ない補強だと思う。しっかり自分の持っている経験を若手に伝えていってほしい」と言葉を掛けてもらいました。
そんな偉大な先輩方の言葉を改めて聞きながら、改めて僕自身も、そういった先輩方のプレー、振る舞いからそれを学び取れたことが、今の自分を作り上げてくれたと再確認できました。そして、そのことは30歳になった自分が復帰する上での『責任』に変わっています。
正直、トゥールーズFC時代に移籍して以降は、手術やリハビリを乗り越えて戦列に戻っても、思うようにプレーできない時期を過ごしたこともありました。自分でも情けないと感じるようなプレーをピッチで露呈してしまったこともあります。それも込みで鹿島サポーターの皆さんが以前に在籍した際の僕と、今の僕を比べてどう感じているのかもわかりません。日本代表に求められない時間も長くなった今、かつての昌子とは違うだろう、と思っている人もいるかも知れません。
ただ僕自身は、ケガも、うまくいかないことも、常にプラスに転じてピッチに戻ることを意識しながらキャリアを積み上げてきた30歳の今の自分には、当時とはまた違う力があると信じています。もちろん、僕よりいいセンターバックがたくさん出てきたから僕は日の丸をつける場所にいないという現実は真摯に受け止めていますが、だから自分が後退したとは微塵も思っていません。それをピッチで証明するために、勝利に繋げるために、僕はもう一度、鹿島のユニフォームを見に纏い、そのプライドをしっかり激らせて戦います。その姿を通して、僕がリリースで伝えた「ただいま」の意味を、皆さんなりに感じ取っていただければ嬉しいです。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。