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Vol.66 ガンバサポーターの皆さんへ。

  • 2022.12.20

    Vol.66 ガンバサポーターの皆さんへ。

発源力

©GAMBA OSAKA

12月8日に発表された通り、鹿島アントラーズへの移籍を決めました。ガンバサポーターの皆さんには挨拶するタイミングがなかったので、この場を借りて僕の気持ちを伝えさせてもらおうと思います。契約の話なのでさすがにクラブ間の話など、細部までは明らかにはできませんが、僕の胸の内は素直にお話しします。少し長くなりますが最後まで読んでもらえると嬉しいです。

正直、難しい決断でした。自分をプロサッカー選手にしてくれた古巣、鹿島から必要としていただいたことは素直に嬉しかったですが、言うまでもなく、ガンバで過ごした3年間も自分にとっては特別な時間です。加入した時には「昌子源という個性がチームのプラスアルファになるように、チームに新しい風を吹かせることも使命だと思う」と気持ちを伝えていましたが、それをどのくらい体現できたのかを含め、答えを出すまでにこの3年間を振り返りながらいろんなことを考えました。

実は、今年の夏にも、鹿島からはオファーをいただいていました。当時は、自分も試合に出たり、出なかったりという状況が続いていたこともあり、クラブには正直に自分の胸の内を伝えたのを覚えています。
「このまま試合に出られない状況が続くのなら、プロサッカー選手として(他のクラブに)出ることを考えたいです」
一方で、チームとしてもあまりうまくいっていない時期だったことを踏まえ、自分がそのタイミングでチームを離れることの影響も考えました。貴史(宇佐美)がケガで離脱していたことなどを考えても、年長者である僕が、試合に出られないからという理由だけで移籍を考えていいのかも悩みました。もちろん、自分がどんな状況に置かれても、練習は絶対に手を抜かないと決めていたし、試合に出られないのなら監督にチョイスしてもらえるまで練習でアピールするだけだという思いはありました。ですが、選手であれば当然のことながら試合に出たい気持ちが薄まることはなく、日々そのジレンマと戦っていました。
もちろん、トゥールーズFCで足首を痛め、戦列に復帰していない僕を獲得していただいたガンバには、大きな恩を感じています。メディカルスタッフをはじめ、たくさんの方にサポートいただいたからこそ再び、ピッチで戦える自分を取り戻せたという思いもありました。何より、僕自身は、ガンバジュニアユースを離れて以降は、一生、交わることのないクラブだと思っていたガンバに再び縁をつなげていただいたことも、こうしてまたガンバのユニフォームを纏って戦えたことも、すごく嬉しく感じていました。ですが、それ以上にプロとして試合に出て、プレーすることでクラブに貢献しなければいけないと思っていたのも正直なところでした。
ただ、その時は、クラブとも何度か話し合いの場を設けていただき、小野忠史代表取締役社長や和田昌裕取締役に色んな言葉をかけていただき『ガンバには源が必要だ。この先も源にはプレーや言葉でガンバを引っ張っていって欲しい』と求めていただいたこと。そして僕自身も、先に書いたような縁、恩を考えても、このタイミングでガンバを離れるのは違うんじゃないかという思いが拭いきれなかったこともあり、最後は『必ずJ1に残留させます』と気持ちを伝えてガンバに残ることを決めました。思えば鹿島時代の18年夏にも似たようなことがあり…その時もクラブからの慰留もあって『AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で絶対に優勝します』と伝えて移籍を断り、それを実現したのを覚えていますが、今回も敢えて自分の思いを言葉にし、有言実行にしてやる、と覚悟を決めました。

結果、ギリギリの状況でしたがJ1残留を決めることができ、アイントラハト・フランクフルトとのプレシーズンマッチを戦い終えた後、再び、鹿島からオファーをいただきました。その中では、一度はお断りしたにもかかわらず、再び求めていただいたことを素直にありがたく受け取りながらも、夏のオファーの際に考えたことをもう一度、自分の中でリマインドし、かつ1プロサッカー選手としてこの先自分がどうありたいか、何を目指すべきかを考えました。ガンバに加入するにあたって自分の中で目標の1つに据えていた今年のワールドカップ・カタール大会への出場が叶わなかった中で、もう一度『日の丸』を背負って戦える選手になるにはどうすべきか。ピッチでどういう姿を示さなければいけないのか。自分のことだけに目を向けました。その答えを考えているうちに、鹿島への移籍に気持ちが傾いていきました。

思えば、ガンバでのこの3年、ツネさん(宮本恒靖)やカタさん(片野坂知宏)のもとでのサッカーでは、常にセンターバックは中央に構えて、センタリングに備える守備を求められてきました。それまで自分が経験してきたものとは違うスタイルでしたが、僕自身は、自分のサッカー観を広げようとポジティブに取り組んだし、監督に求められる仕事をピッチで体現するのが選手の役割だからこそ、それを体現することに気持ちを注ぎました。そして、その時間も選手としての幅につながったんじゃないかと自負しています。
ただ、今シーズンの途中に監督に就任されたマツさん(松田浩)がセンターバックに求めた守備はそれとは違うものでした。例えば、相手FWに対して、サイドバックの裏あたりにボールが出されるとします。その際、僕たちセンターバックの対応は、前体制ならボランチ、あるいはサイドバックに任せて自分は真ん中に残る約束でしたが、マツさんにはセンターバックがカバーにいくように求められました。そして、その幅広い守備は、今も鹿島が伝統的に敷いているスタイルであり、自分がプロになってから、ほとんどの時間で取り組んできたスタイルでした。それもあってか、素直に守備をすることを楽しめたし、よりスムーズに自分の良さを発揮しながら終盤戦を戦えた気がします。

そのことを鹿島からのオファーによって改めて思い出し、そのスタイルの中でサッカーをする方が自分の持つ力をスムーズに発揮できそうだと思ったし、それによって自分がここからさらにステップアップしていく道筋も見えた気がしました。もっとも、その時点でガンバの来シーズンの監督は決まっていなかったし、どんなサッカーをするのかは見えていませんでしたが、少なからず鹿島は伝統的にそのスタイルで戦っている事実が目の前にあり、大樹さん(岩政監督)と話をさせていただいた中でもそれは感じられました。であればこそ、鹿島のスタイルの中で、もう一度、自分がどこまで戦えるのか、どんな昌子源を示せるのか勝負してみたいという思いが強くなり、それが移籍の決断につながりました。

この3年間、コロナ禍ということもあってなかなか皆さんとコミュニケーションを図る機会が少なかったですが、僕としてはいつも皆さんを近くに感じながら過ごしてきました。リリースでもお伝えしたように、共に戦ってくれる皆さんをいつも心強く感じていました。試合が終わって場内を一周する際、出来るだけ皆さんに近い場所を歩いたのは、その感謝を伝えたいという思いからでした。スタジアムに足を運んでくださる方にとって目の前の1試合が…大袈裟に聞こえるかもしれませんが、もしかしたら一生に一度の体験になるかもしれないということはいつも自分の中で想像していました。だからこそ試合が終われば勝敗に関係なく、自分のプレーがどうだったかに関係なく、皆さんに『ありがとう』の想いを伝えたいと思っていました。

それはこの3年間、僕なりの言葉で若い選手にも伝え続けてきたことの1つです。それが彼らにどのくらい響いたのかはわかりません。でも、自分がこれまでのプロキャリアで経験したこと、学んだことを伝えることもまた僕がガンバにいる理由の1つだと思い、行動に移してきました。それも含めてほんの少しでもこのガンバに、大好きなガンバに自分が何か爪痕を残せたのなら嬉しいし、僕自身もこれからも変わらず、パナソニックスタジアム吹田に戻ってきた時には、どんなに皆さんにブーイングされても、誰にも歓迎されなくても、平気な顔をして、皆さんに挨拶に伺おうと思っています。繰り返しますが、試合が終われば勝ち負けは関係ありません。仮に鹿島がガンバにボコボコにされたとして、鹿島ファンに『呑気に挨拶にいっている場合じゃないだろ!』と怒られても、僕は必ず皆さんに会いに行きます。

僕がジュニアユース時代、そして、鹿島の一員として敵と対峙した際、ガンバは常に『西の雄』としての風格を備え、特別な輝きを放っていました。サポーターの皆さんはいつも熱く、その応援は特別な圧を感じるものでした。悔しいことに、この3年間は苦しい思いをすることの方が多かったですが、僕は今でも、『西の雄』はガンバだと思っているし、そのガンバと、ピッチでまたバチバチにやりあえるのを楽しみにしています。

3年間ありがとうございました。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月に完全移籍が発表されたトゥールーズFCでもすぐさまレギュラーに定着したが、2シーズン目はケガに苦しみ、長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年2月にガンバ大阪に完全移籍。3シーズンを戦ったのち、22年12月8日に古巣・鹿島への移籍が発表された。
    日本代表にも14年に初選出。18年のワールドカップ・ロシア大会でもレギュラーとして活躍した。

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