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Vol.2 RIP ACE SOCCER CLUB U-15監督/今村康太

  • 2019.06.04

    Vol.2 RIP ACE SOCCER CLUB U-15監督/今村康太

指導者リレーコラム

指導理念は、戦術的ピリオダイゼーション理論に独自の動作理論をリンクさせることで、選手のハイパフォーマンスを引き出し『サッカーIQ』の高い選手を育てること。そして、それを勝利につなげること。
一昨年は町クラブながら、全国ベスト8入りも果たした今村康太監督の指導論とは?

■認知度を高めるため「目立つことをやりたかった」。

興国高校サッカー部の内野智章監督からの推薦で取材に伺いました。お二人の関係性を聞かせてください。

今村 うちのチームにウッチー(内野監督)の息子さんが所属してくれているので、今は指導者と選手の保護者の関係でもありますが、そもそもはウッチーが興国の監督になる前、確か堺東高校の臨時コーチをされていた時に知り合いました。同級生とはいえ、僕は千葉の習志野高校出身でウッチーは初芝橋本高校出身だったので、それまでは接点は全くなかったんですけど、今ではうちのクラブからも興国高校に行く選手もいるので…って関係でもあります。

ー内野監督はサッカー感が似ていると話されていました。

今村 似ている…のか?ウッチーがそう言うなら似ているのでしょう(笑)。ですが決定的に違うのは、カテゴリーは違うとはいえ、うちは全国大会への出場経験があるのに対し、興国はないこと。ウッチーにもいつも「面白い指導をしているんだから、その姿を全国で見せてくれ」ってプレッシャーをかけていますが(笑)、なかなかその壁を超えられないようです。

「選手育成は天職」だと語る今村監督。
その指導を求めて加入する選手も多い。

ー関東出身の今村監督が関西でチームを立ち上げた経緯を教えてください。

今村 僕は桃山学院大学出身でサッカー部にも所属していたんですが、当時の監督から「関東と関西のサッカーは違う」と言われ、ここでやっていてもプロにはなれないと確信したので3年生で引退したんです。
そのタイミングで地域の竹城台FCという少年団でコーチのアルバイトをしていた先輩が卒業を機に辞めることになり「やってみたらどうだ?」と言ってもらって。その時はまだ『指導』に興味があったわけではなかったのですが、卒業後はどこかの企業に就職するより自分で何かをやりたいと考えていたことや、サッカーに関われたら嬉しいな、という思いもあったので、自分の適性を試す意味でもやってみようかな、と。
そしたら意外と面白くて。ただ、竹城台FCは毎年、6年生の保護者の方が監督を務めるような少年団でしたからね。「それなら僕に監督をさせてもらえませんか」とお願いして監督になりました。なので、選手も20〜30人いて、チームの基盤もあったので、立ち上げから全てを自分たちで作ったわけではないですが、チーム名を今の『RIP ACE SOCCER CLUB(以下、リップエース)』にした時に本格的に自分たちの『色』を出すようになりました。とはいえ、最初はかなり手探りでした。今も一緒にチームを運営している守山真悟と、ああでもないこうでもないと考えながら…しかも僕は習志野高出身で守山は草津東高校出身ということから、やってきたサッカーも全然違ったし、最初はユニフォームの色から揉めました(笑)。

ー結果、迷彩のユニフォームに行き着いた、と。

今村 草津東高のユニフォームは青だったけど、習志野のライバルだった市立船橋高校が青だったから青は嫌だ、とか、そんなことで喧嘩をしていました(笑)。で、結局はファーストユニフォームを赤、セカンドユニフォームを青にしようと落ち着いたのですが、しっくりこない。そこで、どのチームも使用していないユニフォームカラーは何色だ?って話になり、迷彩になりました。
それが10年ほど前ですが、最初はかなり批判を受けました。今の時代は迷彩のユニフォームも珍しくないですが、当時は異色だったので。

忘れられないのは、関西大会でレフェリーに注意を受けたんです。「グラウンドの後ろの木とかぶって見えにくいから、ユニフォームを変えてくれ」と。相手チームのユニフォームとかぶると言われることはあっても、木とかぶるとは想像したこともなく、そこは盲点でした(笑)。
あとは戦争を喚起するからダメだと言われたり…最初は何かと大変でしたが、ただ、立ち上げた頃の僕らはとにかく弱くて誰にも相手にしてもらえなかったので、とにかく目立つことをやろう、と。それに僕は東京、守山は滋賀出身で、他のスタッフも宮崎県や福島県など、大阪以外の出身者ばかりでしたからね。その分、大阪では冒険ができたというのもあります。それぞれの故郷に戻れば高校時代の恩師を含め、いろんなしがらみがあるので無茶はできないけど、大阪では誰一人として知り合いがいないのをいいことに、本当に好き勝手やっていました。
それもあって当初は「リップエースと試合をするな」ってファックスが堺市に流れたこともあります(笑)。今になって思えば、金髪、ロン毛で、ワコマリアの洋服を着て、サングラスをかけた20代前半のオラオラ系の指導者ときたら、仕方ないですよね(笑)。

■『サッカー』で上達を目指す。

ーそこからどんな風に今の姿にたどり着いたのでしょうか。

今村 人と違うこと、目立つことをやりたいという思いに変わりはなかったので、あとはそれをどう受け入れてもらうかを考えました。で、呼ばれてもいない地元のサッカー指導者の懇親会に勝手に参加して、頼まれもしないのにビールを注いで僕らの思いを知ってもらったり、それによって生まれた横のつながりを少しずつ広げていきました。

ー指導のベースになったのは習志野高校時代のサッカーですか?今村監督の高校時代は現在、流通経済大柏高校(以下、流経大柏)の本田裕一郎監督が監督をされていたはずですが。

今村 その通りです。ただ、今の時代の子供たちは『本田監督のサッカー』と言うと、流経大柏のサッカーを思い浮かべるはずですが、当時の習志野は今の流経大柏とも違う、めちゃめちゃ面白いサッカーをしていたんです。高校サッカーらしくかなり走らされましたけど、練習はほとんどがミニゲーム中心だったし、ドリブルとショートパスで仕掛けるコテコテなサッカーをしていて、それがリップエースのベースにもなりました。と言っても、そういうコテコテなサッカーって実は関西が発祥らしいです。僕らはそれも知らずに、このサッカーが面白いから、とやっていただけでしたけど。
ただ、そうやって技術ばかりを追求しても、なかなか勝てない。そこで、このサッカーを結果に結びつけるにはどうすればいいのかを考えていくうちに、戦術的ピリオダイゼーション理論を取り入れようという考えに至りました。

U-15チームの隣で練習試合を行なっていたU-13チーム。ユニフォームが目を惹く。

ー戦術的ピリオダイゼーション理論とは?

今村 「サッカーはサッカーをして上達する」という考え方に基づいたトレーニングです。
つまり、サッカーを構成する要素(技術、戦術、体力、精神力など)を細分化して順序良くトレーニングするのではなく、常にサッカー全体を捉えて技術を鍛えながら結果を求めよう、と。あとはそこに独自の動作理論をリンクさせることで、最高のパフォーマンスを発揮できるようになりましょう、というのがうちの基本的な指導理念になります。
ですから、筋トレもさせないし、ただ走るだけの素走りのトレーニングもせず、サッカーはサッカーをすることで上達させています。かつ、勝つこと、ですよね。日本人は「巧い」の捉え方を履き違えているというか。日本で言われる「巧い」って大抵の場合、足元の技術が高い選手を指すと思うんです。でも、僕はヘディングが強い選手だって巧いと思うし、スライディングが得意な選手だって十分に巧いと思う。
例えば、先ほど名前を挙げた流経大柏のサッカーと『セクシーサッカー』で注目を集めた野洲高校のサッカーのどちらが巧いかを聞かれたら、ほとんどの人が後者だと答えると思うんですけど、僕は前者だと答えます。なぜなら、そのサッカーで結果を出しているから。つまり、どれだけ「巧い」と言われても結局、勝てなかったら本当に巧いとは言えないんじゃないか、っていうのが僕の考えで、だからこそ『サッカーをして上達させること』を勝ちにつなげたいと思う。それもあって例えば、コーンを置いてドリブル練習、みたいな戦術的負荷がかからないトレーニングはほぼしません。それよりも、自分で考えて答えを導き出さないと成立しないトレーニングがほとんどです。

ー個人の技術はどこで磨くのでしょうか。

今村 宿題として、毎日「これをやってこい!」ということを書いて伝え、それを動画で撮影してくるように言っています。選手によっては、動画を撮る時だけやっている選手もいるかもしれませんが、それは自分に跳ね返ってくるだけだし、実際に練習に来てみたら、やっているかどうかは明らかなので、それでいのかな、と。

■選手の成長に、いい影響を与えられるトレーニングを。

ー考えて答えを導き出すトレーニング方法を1つ教えていただけますか。

今村 選手に「今、君はどこのポジションでプレーしているとイメージしているの?」って聞いたって時に、明確に答えられないようなトレーニングは、まずしません。
なので例えば、ボールポゼッションのトレーニングで4vs2、5vs3をするにしても、必ず、今は右サイドのイメージで、攻撃方向はこっちだよ、ということを設定してトレーニングを行います。ただボールを回すだけで、ポゼッションも縦関係、横関係も分からないトレーニングでは実戦で使えないし、戦術的ピリオダイゼーション理論からも外れてしまうので。

ー試合前のアップでも、ボール回しなどは行わないのですか?

今村 うちの選手に「アップの定義は何?」って聞くと必ず「立ち上がり5〜10分のパフォーマンス」って答えるはずです。つまり、そこにいい状態に持っていくために何をするのか、がアップの定義で、単に体を温めることが目的ではない。そういう意味では…これは極論ですが、別に鼻クソをほじっていたとしても、それが選手が集中して試合に入り、いいパフォーマンスを発揮するために必要なら僕は問題ないと思っています(笑)。

ーリップエースOBには嫁阪翔太選手(グルージャ盛岡)や米澤令衣選手(鹿児島ユナイテッドFC)ら、Jリーガーとして活躍されている選手もいらっしゃいます。クラブとしてはプロ選手の輩出も目標の1つなのでしょうか。

今村 いえ、そこは考えていません。彼らはちょうどうちの幼稚園チームの一期生で、嫁阪は幼稚園の時から片鱗を伺わせる、すごくいい選手だったんです。その彼がプロになったことで、僕の中で「彼くらいのレベルの子がプロサッカー選手になれるんだな」という基準が設けられるようになった、というくらいです。
もっと言えば、周りからは「リップはアタッカーのいい選手が育つね」とか「攻撃的なサッカーをする選手が多いよね」と評価をしていただくこともありますが、僕自身は特にそこに特化して指導しているわけではありません。あくまで総合的に、どの能力も伸ばしてあげたいと思っています。
仮に「どんな選手を育てたいですか?」と尋ねられたら、この先どんなサッカーに出会ってもやっていけるように「サッカーIQの高い選手」って答えますしね。またサッカー以外のところで言うなら『人間性』の成長も大切にしています。『心技体』という言葉がありますが、心はサッカーをする上でもすごく大事だし、このチームを離れたあとも…プロになれる選手なんてほとんどいないからこそ、社会に出ても活躍できる人間性を育てたいと思っています。

将来、どんなサッカーにも対応できる、サッカーIQの高い選手を育てることがモットー。

ーそういった考えの礎になっているものは何ですか?

今村 サッカーでも、それ以外のところでも、その時々で出会ったいろんな方の考え方に影響を受けていることはたくさんあると思います。
僕は日本サッカー協会が定める指導者ライセンスもC級しか持っていないので、うちのスタッフがそれより上のライセンス講習に行った時の話を教えてもらうことも多々あって、そういうことからヒントを得ることもあります。
また、異業種ということではレッドコードってわかります?フィギュアスケートの浅田真央さんら、いろんなアスリートが使用している筋肉を鍛えるトレーニング器具なんですが、そのスペシャリストである和田照茂さんの話がすごく面白いからと、そのトレーニングを取り入れたり…指導のヒントになることはいろんなところに転がっているし、スタッフ間でもよく会話をするし、で自分の指導論が出来上がってきたのだと思います。

ーもともとは指導者には興味がなかったと話されていましたが、指導を続けてこられた中で『指導者』に対する考え方は変わりましたか?

今村 選手を育てる上で、指導者ってすごく大事だなって思うようになりました。
育成世代の選手って、稀に見る例外を除いては、勝手には伸びていかないと思うから。だからこそ選手が伸びるためのいい影響を与えたいと思うし、指導者としての一番の喜びは、やっぱり選手の笑顔ですからね。楽しんでサッカーをやっているのが伝わってくると素直に嬉しい。
特にこの年代は、楽しさが変化や結果につながることも多々あるだけに、指導者としてこれからもいろんな楽しさを伝えていきたいと思います。

ー最後に今村さんがお勧めの指導者を紹介していただけますか?

今村 埼玉の『FC LAVIDA』U-15チームのコーチをしている村松明人を紹介します。このチームは近い将来、確実に全国でもベスト8、ベスト4に入ってくるチームになると思います。
実は村松は習志野高校の後輩で、玉田圭司選手(V・ファーレン長崎)の同期ですが、うちと同じコテコテのサッカーで、迷彩のユニフォームを着ています(笑)。考え方もすごく面白いので是非、訪ねてみてください。

ーありがとうございます。ちなみにリップエースというチーム名の由来を教えてください。

今村 RIPは高度な技術、ACEはスラングで大親友という意味で、その2つを合体させてリップエースにしました。
ちなみに、私事で申し訳ないですが、3月末に我が家に男女の双子が生まれたんです。そこで男の子の名前は『閃(センス)』。女の子は『桜來(オーラ)』と名付けました。リップエースは「センスがあること」の代名詞でもあるので男の子に『閃』、オーラがある子に育って欲しいと願いを込めて『桜來』です。まぁ、確実にイジられますよね。早生まれで学年では一番小さい子になるし…絶対に『センスね〜な』ってからかわれそう(笑)

<PROFILE>
今村康太(いまむら・こうた)
1979年生まれ、東京都出身。
習志野高校を卒業後、桃山学院大学に進学。サッカー部に所属するも3年生で引退し、アルバイトで堺市の竹城台FCのコーチに就任した。02年の卒業と同時に大学の同級生・守山真悟とリップエースSCを発足。
一昨年のクラブユース選手権(U-15)では町クラブながらベスト8入りを果たした。
指導者として自信を持つのは、情熱。「育成は天職。子供たちへの情熱は誰にも負けたくない」。

text by Misa Takamura

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