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Vol.76 今の自分。

  • 2023.05.16

    Vol.76 今の自分。

発源力

©KASHIMA ANTLERS

20年5月にこの連載をスタートして3年が経ちました。僕にとって、この連載は自分の考えを定期的に伝える唯一の手段で、だからこそ、その時々で自分が感じたこと、考えたことをできるだけ正直に話してきました。初回では「せっかく始めるからには少し踏み込んだ思いを伝えたい」と書きましたが、その言葉通り毎回、チームや僕自身の調子がいい、悪いに関係なく、自分なりの思いを伝えてきたし、いろんなことに頭を巡らせ、考えを整理する時間は自分とも向き合う時間にもなってきたようにも思います。

ですが、正直、ここ数回はJ1リーグにスタートから出られない試合が続いている状況もあって、自分自身のことからは少し感情を遠ざけて書いていたところもありました。というか、その時々で伝えたいと思ったことを言葉にしてきたのは事実ですが、肝心の自分のことについてはどう言葉にしたらいいのかわからなかったという方が正しいかもしれません。鹿島に戻るにあたっての経緯、自分に課された責任と照らし合わせても、言葉にし難い感情と戦い続けてきた気がします。でも1ヶ月という時間の中で、少し自分の気持ちを整理できたので今の胸の内を、ここで書き記してみようと思います。

VOL.67でも書いた通り、鹿島アントラーズへの復帰にあたっては吉岡宗重フットボールダイレクターから「新しい鹿島を作るために、『鹿島とは』を体現できる選手が誰なのかを考えたときに源のことが真っ先に浮かんだ」という言葉を掛けていただきました。鹿島でプロになり、成長させてもらった僕にとってそれはすごく嬉しい言葉でしたし、ピッチ内外でその姿を示すことを自分の役割の一つだと考えてシーズンをスタートしました。結果的に、シーズンが始まった直後にケガをしてしまったのは情けない限りでしたが、戦列に戻ってからも、先発を外れている今もその思いに揺らぎはありません。

でも、一方で「このままでいいのか?」という自分への疑問もずっと渦巻いています。いうまでもなく、僕にとって鹿島らしさを体現する方法は、『ピッチに立って、プレーで示す』ことだと思っていたからです。
それに対して、今の自分はといえば、J1リーグ戦では8節・ヴィッセル神戸戦で先発を外れて以降、控えメンバーに回る時間が続いています。そしてチームは、僕が出ていた試合では一度も勝てなかったのに対し、僕が先発メンバーから外れた試合は神戸戦を除いて全て勝利しています。その事実に「俺のせいだったんか?」という思いが日に日に大きくなり、それは時間の経過とともに「鹿島に帰ってきた意味はあるのか?」という思いに形を変えています。そしてそう感じることは正直、苦しいです。

もちろん、プロの世界は結果が全てで、自分が出た試合で勝利を掴めなかった事実には責任を感じています。チーム内には常にポジション争いがあって、結果を出さなければポジションを追われることも、頭では理解しています。アルビレックス新潟戦からセレッソ大阪戦までの4試合は、無失点で4連勝とチームとして結果を出せている事実からも、先発しているナオ(植田直通)や郁万(関川)が素晴らしいパフォーマンスを続けていることを考えても尚更です。また、前回にも書いた通り、そういった個々の選手の成長も、何よりチームが勝っているという事実も、一点の曇りなく嬉しいし、喜んでもいます。
ただ、そのことと僕自身に渦巻く思い、悔しさ、クローザーで終わってたまるか、という気持ちは全く別の感情です。というより、プロサッカー選手として30歳という年齢を考えても、今の状況に納得していいはずはなく、自分にとって特別なクラブであるこの鹿島ででも、その感情がしっかりと芽生えてよかったな、とも思います。

もちろん、どれだけ考えても、そんな自分に折り合いをつけるのはピッチに他ならないと理解しているので、朝が来て、グラウンドに立てば、自分に矢印を向けてやり続けるだけだと気持ちは切り替わりますし、日々のトレーニングに全力で向き合うことにも変わりはありません。練習で仲間を鼓舞することや、フィールド最年長として常に自分が後輩たちに見られている立場であることも忘れていません。控えメンバーに回ることが決まったのなら、その役割に徹してチームを盛り上げることに全力を注いでいますし、たとえ限られた時間でもピッチに立つ限りは、その責任を全うしなければいけないとも思っています。満男さん(小笠原)の背中に教わったように、鹿島のために自分にできることに全力で取り組むこともまた、このエンブレムを胸に戦う責任だからです。
また、18年のワールドカップ・ロシア大会の際、控えが続く状況でも常にチームを盛り上げ、仲間に寄り添い、戦い続けた槙野智章くんの姿を思い出し、改めてリスペクトの念を抱くとともにたくさんの学びも得ています。

そうした戦いの先に、自分が思う鹿島への貢献の姿を示せるのか、今はまだ正直、わかりません。でも、一方で初めて味わっているこの悔しさからどう這い上がり、ポジションを取り返せるのか。ここからどんな姿を見せられるのか、という意味で自分への期待もあります。試合が終わるたびに息子に「なんでパパは試合をしないの?」「またパパは出ないの?」と尋ねられる悔しさは、また前に進もうとする力にも変わっています。
そして、今の日々を積み重ねた先に、きっと僕が鹿島に戻ってきた意味を見出せると信じて戦い続けようと思います。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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