©FC MACHIDA ZELVIA
1月14日にFC町田ゼルビアでの新シーズンが始まりました。少し前から練習場で体を動かしたり、自主トレをしていましたが、改めて今シーズンも、素晴らしい環境下でプレーできることをプロサッカー選手として幸せに思います。
町田の練習場にまつわる一連の施設は、J1クラブでもトップクラスと言っても過言ではないほど充実しています。と言っても比べる材料は、以前に在籍した鹿島アントラーズとガンバ大阪の2つくらいですが、いずれのクラブと比べても遜色なく、広い敷地にグラウンドやクラブハウス、筋トレルームなどがしっかり完備されてて、午前練習後には必ず昼食が出るのも選手にとってはすごくありがたい環境です。
嬉しかったのは始動日に約500人ものファン・サポーターが練習場に駆けつけてくれたこと。クラブにとっても異例のことらしくその光景は改めてチームへの期待の大きさを感じるものでした。
もっとも、翌日の練習を見に来てくれた人は…わずか6人! 既存の選手たちは「源さん、これも町田です!」と声を揃えていましたが、その数を増やしていくことや、いい意味で注目度を上げていくこともこれからビッグクラブになっていくためには大切なことだと思っています。そういう意味でもいいニュースをたくさん届けられるシーズンにしたいという思いが強くなりました。
40人くらいいる選手のうちの半分近くが20代前半までの若い選手ということや、昨年から継続して在籍している選手も多いせいか、チームの雰囲気はすごく元気で明るいです。練習中、それぞれが声を出してチームを盛り上げているのも、雰囲気の良さにつながっている気がします。あと、若い選手がとにかくピュア。練習中、あるいはそれ以外のところで会話する中でも、いろんなことを積極的に聞いてくるし、僕なりにアドバイスをさせてもらったことをすぐにやってみる素直さも感じます。これまで在籍したチームは経験豊富な選手も多く、いい意味で『自分』をしっかり持っている選手が多かったことを思えば、ちょっと素直すぎて怖いくらいですが(笑)、彼らの姿に刺激を受け、フレッシュにサッカーに向き合えている自分もいます。
始動に際して、黒田剛監督がチームに向けて強調されたのは「せっかく、クラブ史上初のJ1リーグにチャレンジするシーズンなのだから、目標は高く持とう」ということ。J1リーグでは毎年、J2から昇格してきたばかりのチームのいずれかが必ず、J2降格を余儀なくされてきたというデータがあるそうですが、「自分たちはその枠には絶対に入らない。残留争いをするつもりもサラサラない。そのことをみんなも頭に置いて取り組んでほしい」という言葉も聞かれました。チームメイトに聞いた話によれば、昨シーズンも黒田監督はいかなる時も決して弱みを見せない人だったそうですが、まさに始動日も強い言葉の数々にチームの熱がグッと引き上げられたような感覚を覚えましたし、それは僕自身もそうでした。
一方、サッカーについては1月19日から始まる沖縄キャンプや宮崎キャンプを通して本格的に形にしていくということなので、まだ大枠しか伝えられていません。昨年のJ2リーグを連敗せずに終えたことや、優勝という結果が出せたことからも、おそらくベースになるサッカーは大きく変わらないんじゃないか、とは思います。
ただ、どんなサッカーをするにせよ、シーズンが始まる中では、チームも選手もきっと、より高いステージで戦う難しさ、自分たちのサッカーを貫く難しさに直面することは覚悟しています。またJ2リーグとは違いJ1リーグはVARが導入されることや、初めてプレーするスタジアム、対戦相手が多い状況など、慣れていかなきゃいけないこともたくさんあります。特にVARについては実際にピッチで経験して感じないと得られない感覚もあるとはいえ、普段の練習から意識づけをすることで多少はそれぞれの頭にインプットされることもあるんじゃないかと思います。そういった部分については特に、僕を含めたチーム内の数少ないJ1経験者が開幕までの準備期間に積極的に経験を伝えることを心がけながらチームで共有していくことも必要だと思っています。
いや、そんなふうにチームが勝つための仕事を全うするためにも、まずは僕自身がチーム内での競争に打ち勝ち、数多くの試合に絡むシーズンにしなければいけないと思っています。その上で、観ている人たちに「さすが昌子だな。まだまだ戦えるな」と認めてもらえるようなパフォーマンスを魅せたいと思います。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。