COLUMN

REIBOLA TOP > コラム > Vol.18「2024年の始まり」

Vol.18「2024年の始まり」

  • 2024.01.11

    Vol.18「2024年の始まり」

絶康調

令和6年能登半島地震により犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。何らかの形で必ず復興に貢献します。皆さんが1日でも早く笑顔を取り戻せる日が来ることを心から願います。

チームも10日に始動し、すぐキャンプに入る。シーズンが近づいてきているね。

年末は毎年恒例になっている宮城県ゆかりの人たちでフットサルを楽しんだ。なかのFCのOBたちとトレーニングがてら始めたフットサルも「せっかくだからみんなでやろっか」みたいな感じで年々規模が大きくなり、今回は5チームが参加。全部で60人ぐらいになったんじゃないかな。タムさん(元ベガルタ仙台DF田村直也)やFリーグのヴォスクオーレ仙台の選手も来てくれた。長くやっていると、イベントやサッカー教室で関わった子とかも参加するようになっていて、「あのときのです」と声かけてもらえることが増えたね。恭平(韓国・大邱FCDF吉野恭平)や堀田くん(ファジアーノ岡山GK堀田大暉)、カイト(東京ヴェルディDF千田海人)と初めて顔を合わせたのもこのフットサルだった。ヒデ(浦和レッズMF武田英寿)はいつから参加してるんだったかな。人の輪が広がっていくのはいいね。せっかく宮城にゆかりのある人たち同士が知らないってのもさみしいじゃん。頑張る若い子たちを知ってたほうがいいし。結果論とはいえ、交流の場になっているのがうれしい。勝ち負けも気にせず、みんなが周りを気にすることなくサッカーを楽しんでいてよかった。オレは塩釜FCの後輩や県工(宮城工業高)OBたちと参加した。優勝したのは雄馬(ベガルタ仙台GK・小畑雄馬)たちのチーム。超強かった。全員めっちゃ動けるし。

今回はブラインドサッカーのコルジャ仙台の協力も得て、空いているチームがブラインドサッカーを体験してみた。違う文化というか、こういうのもあるということを知るのもいいかなと思って。それがまた何かにつながるんじゃないかなと。オレも初めてブラインドサッカーやってみたら楽しかったし、子どもたちも楽しんでた。ブラインドサッカーは見えないからとりあえず怖い。ボール失うと探すのが大変だしシュートも打てないし、ゴールの方向も分からなくなる。どれだけ目に頼ってたんだろうと思い知らされた。デモンストレーションを見せてもらったらあまりにもうまくてびっくりした。いろいろな経験するのはサッカーを続ける上でも大事。サッカーだけの人になっちゃうとつまんないじゃん。ブラインドサッカーもサッカーだけどさ。視力がなくてもサッカーは楽しめるということを感じるだけでもいい。これをきっかけに彼らがブラインドサッカーの普及を手伝うとかあれば最高だね。オレは野球もバスケもフットサルもみんな、宮城・仙台のスポーツ全部好きだから、全部がつながってくれたらうれしいという気持ちもある。次は何っていうのはまだ考えていないけれど、異種交流会とかいいんじゃないかな。バスケはシーズン中だから難しいかもしれないけど、何かしらの形で地元のスポーツ界全体を盛り上げていきたい。みんなにも楽しんでもらいたいし、何よりもオレ自身が楽しみたいってのが一番だね。結果として広がっていけばいいかぐらいの感覚で、いろいろやってみたいね。

今年の分かりやすい目標としてはJ1昇格というのが一番にある。それが大前提。そして、ベガルタ仙台がいろいろと失ってきているものを、しっかりと取り返していく1年にしたい。J1にいるのが当たり前じゃなくなったどころかJ2で低迷し、いろいろなところでリスペクトがなくなっていると感じる。勝っていればなかったであろう残念なことも起きた。勝つのは当たり前じゃないけれど、本質的には勝てないことが根っこにあるようにも見える。だから現場の選手は勝てるようにしていかないといけない。常に言っているように、個々の成長がチームの成長につながる。オレだってもっともっとうまくなりたいし、チームを勝たせられる選手になりたい。手術した足の状態はいいので、最初から全開でいけると思う。

クラブも変わろうとしている。オレも森山さん(ベガルタ仙台森山佳郎監督)と初めて一緒にサッカーをすることになる。オレの高校生のころ、サンフレッチェ広島ユースってめちゃくちゃ強かったんだよね。ユースの全国大会とかに出るとなぜかサンフレユースとやる機会が多くて、いつもズタボロにされて帰ってきていた。当時の監督が森山さんで、なんであんなに強いんだろうなって思っていた。楽しみだよね。そして、レンタル頼みから育成を意識した編成にかじを切った。歓迎というより、やっとかという思いだね。お金がなくて残留のためにやりくりしないといけないクラブに育成する余裕はないよ。でもベガルタはJ2の中では資金力はある方だから、J1昇格に向けて戦うのは当たり前で、それプラスアルファで若手の成長を促すクラブになっておかないと、晴れてJ1に戻れたときに大変になる。そして、オレはどうにかしてやろうと思ってぎらぎらして入ってくる高卒大卒の若者に対して、大きな壁にならないといけないなと思っている。オレは壁であり続けるために努力する、若手は壁を乗り越えようと必死になる。お互いがいいライバル関係でいることがチームを強くする。若手がベガルタで育つということが一番大事。梁さん(元ベガルタ仙台MF・梁勇基)のような存在がずっと出てこなくて、そういう存在を育てられなかったのはベガルタの失点だから。自前で育てていくことが必要だ。そして、勝つためにはみんなが同じ方向を向くことが大切。現状を見ればJ2でがむしゃらになって戦わないといけないクラブ。選手、フロント、スポンサー、サポーター。お互いにリスペクトし合って前に進む関係性を築いていこうよ。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

  • アカウント登録

  • 新規会員登録の際は「プライバシーポリシー」を必ずお読みいただき、ご同意の上本登録へお進みください。

REIBOLA RADIO 配信中!