11月16日はいわてグルージャ盛岡のホーム最終戦だった。今季限りで引退するダイゴくん(DF西大伍)とアツ(MF中村充孝)を見届けるために盛岡へ行ってきた。2月にグルージャがキャンプで茨城県神栖市に来ていた。キャンプ見学の予定だったのがダイゴくんの粋な計らいなのかグルージャの練習に参加した。若い選手に何か伝わればという気遣いや思いがあったのだろう。1日だけアスリートに戻ってグルージャの選手と体を動かし、オレ案外邪魔になってないなって思ったな。そしてダイゴくんには「今年で最後かな」と伝えられていた。オレの最後の試合にダイゴくんは来てくれたし、プロ生活で一度しかないこと。スケジュールの都合をつけて、盛岡での最後の試合を観戦した。
相手はクリアソン新宿だった。そして、オレがベガルタ仙台でともにプレーしたマサト(FW中山仁斗)がいた。しかもマサトが2点取ってクリアソンが勝っちゃったもんだから、マサトに「お前、こういうときに決めるんかーい」って突っ込んだら「まあ2点取ったんで」って返ってきた。このかみ合わない感じもマサトっぽくて懐かしかったな。
試合後のセレモニーでは、なぜかオレが花束のプレゼンターに。ダイゴくんは独身だから、慣例だと両親やお世話になった指導者が花を渡す。でも、「最後だから行くわ」って連絡したら「花束やっちゃう?笑」と返信が来た。さらにダイゴくんのお父さんまで「ヤスでしょ」って言ったものだから、それが決定打になった。ところが、それ以降全く連絡が来ない。焦ったオレが「本当にやるんだよね?」と確認したら、「そうだよ」という返信とともに再び音信不通に。そして、直前になって突然運営用のスケジュールだけが送られてきた。試合前日だったからそっとしておき、なんとかなるだろうと当日関係者受付に行った。試合中もどのタイミングで下に降りて準備するのか分からない。そもそもチームに話が伝わっているのかと不安でいっぱいだった。終了10分前にはさすがに説明があるのだろうと下に降りたけど、誰も声をかけてくれない。きっと何の段取りもしていない。この無精ぶりもダイゴくんらしいなと、ある意味感心しながら運営の方に「花束渡す係になっている遠藤なんですけど」と声を掛けて、担当者とコンタクトを取り、ようやく話が進んだ。楽観的なダイゴくんらしい。
そして、セレモニー。ダイゴくんからオレのふくらはぎをいじってきた。西大伍を応援する岩手の人を前にして俺のふくらはぎをいじったところで、「誰?」ってなるだけじゃん。身内トークをここでやるんか、とがくぜんとした。試合は1-3で負けて、さらに1失点目がダイゴくんのミスが原因だった。それが悔しすぎてあいさつの言葉が出てこないのがダイゴくん。それほどまでに強いプロ意識を持ってしっかりサッカー選手をやっている。地元でもない盛岡で、38歳まで、最後まで鹿島のときと変わらず、ただ勝ちたい、グルージャをJ3に上げたいというというモチベーションを下げることなくやり遂げたのはすごいね。戦場が鹿島、神戸、浦和などの日本のトップクラブからJFLになっても、ダイゴくんは変わらず勝つためだけに全力だった。改めて尊敬したダイゴくんはロマンを追い求める人だからずっとやり続けるのかと思っていた。とんでもなくサッカーが好きだから、あれほどの輝かしい経歴も関係なく、どんなカテゴリーでもプレーし続けると思っていた。
ダイゴくんが鹿島に入ったころは、よくサブで一緒になった。釣り、ごはん、サッカー、いろいろと話す機会があった。戦術よりもとにかく2人で感覚を合わせる作業が多くて、それがすごく合っていた。中盤で足が速くない同士、共通していたのは「とにかく楽して勝ちたい」という気持ち。その時のサッカーの主流は、サイドハーフは守備で相手のサイドバックのオーバーラップについていかないといけなかった。そうすると攻撃に切り替わった時にパワーが出ないし走り勝てない。ダイゴくんは「ヤスは中へのパスだけ切ればいいよ」って下がらないでいい守備をさせてくれていた。2人だけで話し合って決めちゃった。結果的には監督命令を無視する形になるけれど、2人で「違う形になるけれど、相手にやらせないようにするから」と説得した。そういうことが結構多かったな。サイドバックは足が速くてオーバーラップを仕掛けていくイメージ。だけどダイゴくんはそんなに上がっていけないから中で起点をつくる。起点やゲームがつくれるサイドバック、偽SBのはしりなんじゃないかと思っている。ダイゴくんは自由に動いていたとよく表現される。実はよく考えて動いていた。周りが合わせてそのスペースをカバーしながら戦っていた。今で言う可変システムの先取りなんじゃないかな。
アツも最後の試合となった。鹿島に入ってきたとき、「こんなうまいやつがいるのか」ってビビったんだよね。無愛想な感じに見えて、礼儀正しくて面倒見もいい。同じポジションのアツに負けないようにと頑張っていたことを思い出す。最後はけがでずっとつらそうだったな。鹿島でもけがが多かった。サッカーIQも高くてうまい。一緒にやった人はみんな「アツが一番うまい」と言うほどだった。アツは長女が赤ちゃんのときに鹿島にきた。そして、オレが初めてだっこしたときに粗相されたのが最初の付き合いかな。以降は家族ぐるみでの付き合いが続いているから頑張ってほしいという気持ちもあった。この引退で、けがの悩みからは解放されるだろう。
相変わらずうまかったな、2人とも。今後2人が何をするかは分からないけれど、どこかで一緒にサッカーできたらうれしいな。草サッカーでもフットサルでも。オレも引退するときダイゴくんから「おめでとう」と送り出された。
2人とも、引退おめでとう!
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遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。






