天皇杯決勝でヴィッセル神戸に勝利し、クラブ史上初のタイトルを手にすることができました。FC町田ゼルビアに関わるすべての方、ファン・サポーターの皆さん、おめでとうございます! 皆さんと共に掴んだタイトルです。以前から話していた通り、タイトルの歴史は0から1にするのが一番難しいと考えても僕自身、その一員になれたことを誇りに感じていますし、素直に嬉しく思います。
チームは決勝を戦い終えたあと、その足で羽田空港に向かいました。ホテルに一泊して翌朝には韓国に出発というスケジュールでAFCチャンピオンズリーグ・エリート第5節・江原FC戦に臨んだため、タイトルの余韻に浸る時間もなかったですが、移動中を含め、チーム内には、喜びが溢れていました。ACLEモードには入っていたとはいえ、どこか毎日が浮き足立っていたというか…。食事をしていても散歩をしていても「やっぱり優勝っていいよなー」という嬉しさに満ちていました。
とはいえ、黒田剛監督には「決勝戦だけいい戦いができたと思われたくない。江原戦に勝ってこそ、初めて俺たちは天皇杯の王者になれる」と言われていたので。その意思統一のもと、チームとしても集中したいい入りができたし、3-1で勝っただけではなく、神戸戦では出番のなかった仙頭(啓矢)や、ほっくん(下田北斗)、朝陽(増山)らが存在感を示してくれたのもチームとしては大きな収穫だったと思っています。監督の言葉を借りれば、その結果を含めて、僕たちは本当の意味で天皇杯王者になれました。
試合後のTVインタビューやメディアの皆さんの前でも触れましたが、天皇杯決勝に向かうにあたって、改めて自分にリマインドしていたのがJ1リーグ第28節・川崎フロンターレ戦後にサポーターの皆さんが見せてくれた姿、言葉でした。あの時の川崎戦はそれまで共に3バックを形成していた流帆(菊池)がケガで離脱し、大八(岡村)を出場停止で欠いた試合で正直、僕自身、いろんな思いを抱えてピッチに立っていました。
その中で、先手を取られ、でも追いついて逆転に持っていき、また逆転を許して追いつくという展開になった中で、最後は川崎に2点を積み上げられて3-5で敗れました。前線が3点も取ってくれたのに、守備を預かる僕らが5失点を喫した事実もさることながら、守備のリーダーとして流帆や大八の不在を埋めきれなかった悔しさが錘のようにのしかかり、『惨敗』の事実が胸に深く突き刺さった記憶があります。その悔しさを、少し軽くしてもらったのがサポーターの皆さんの『顔を上げろ』『次、勝とうぜ』といった声でした。罵声を浴びせられても当然だという思いのもとでゴール裏に足を運んだ中で、皆さんから掛けられた激励の声に僕自身はすごく救われたし、次の試合に向かう勇気をもらいました。その恩を返すのが決勝だと思っていたからこそ、その舞台を皆さんと共に戦い『タイトル』を獲れたことを本当に嬉しく思っています。
試合前、おそらくゼルビアの歴史では初めて作ったスタンドのコレオグラフィにも力をもらいました。この日の国立競技場の来場者数は31,414人で、試合後には一部のサッカーファンから「天皇杯決勝なのに少ない」とか「国立競技場なのにスカスカだな」といった声も聞かれたそうですが、僕はそうは思っていません。これまでゼルビアは、ホーム戦でも3,000人が集まれば上々だったという時代も過ごしています。それに対し、決勝の来場者数の半分がゼルビアサポーターだったと考えても、僕らにとって国立での31,414人はすごく誇らしい数字です。それに、何より大事なのはその『数』以上にそこに込められた『想い』だとも思います。実際、僕自身はコレオグラフィで作られたクラブの創設年を示す『1989』の文字に、長きにわたってゼルビアを応援してくれてきた人たちの『想い』を受け取ったし、それは歴史を紡いできてくれた人たちを代表してピッチに立つ責任感に変わりました。それはきっと他の選手も同じだったと思います。それを踏まえても、素晴らしいコレオグラフィだったし、素晴らしい応援でした。ありがとうございました。
僕なりに少し試合を振り返ると、J1リーグで2年目のタイトルを獲れた理由は大きく2つあると思っています。
1つは、監督の勝負強さ。試合前、監督は「開始15分で絶対に試合が動く」という話をされていて、実際にその通りの展開になりました。先ほど『想い』が大事だという話をしましたが、それは僕たち選手も同じで、決勝という舞台はタイトルへの『想い』の強さが結果を左右すると考えていた中で、8分という僕たちも予想していなかった早い時間帯の先制点は、その『想い』と『開始15分』を強調していた監督の勝負強さによって動いたように感じました。
そしてもう1つは、チームとしての約束事を、あの舞台でも決して揺らぐことなく最後まで遂行できたこと。戦術に関わるので多くは話せませんが、例えば、神戸戦を前に僕たちはお互いが『セットプレー』を強みにするチームだということを踏まえて、「必ずロングスロー、コーナー、フリーキックを含めて、セットプレーを先に取りに行くぞ」を合言葉にしていました。そこで試合を動かせれば自分たちにとっては大きな自信になり、相手にとっては大きなダメージになると考えていたからです。その中で、立ち上がりすぐの時間帯に、僕たちが先にロングスローのチャンスを掴めたことは試合の流れを引き寄せるきっかけになりました。
また細かい部分で言うと、例えば27分の宮代大聖選手の突破に対する守備の対応1つとっても、試合前から晃生(谷)と決めていた約束事によって防いだシーンでした。
「仮にヘンリー(望月)が神戸の右利きの選手に突破を許した場合、相手選手が左足で仕掛けてきたらスライディングをせずにシュートを打たせるから、晃生が止めてくれ。右足で仕掛けてきたら、流石の晃生でもあまりに守備範囲が広くなって決められる可能性が出てくるから、スライディングで止めに行く」
結果的に宮代選手がヘンリーをワンツーで抜いたあと僕がスライディングで止めに行ったのも、宮代選手が右足で仕掛けてきたからです。ペナルティエリア内だったのでPKを警戒して左足を折り畳んで右足でスライディングにいきましたが、結果的に、その左足に宮代選手が切り返したボールが当たって浮いたことで、おそらくは2タッチ目でのシュートを狙っていた宮代選手は打てず、もう一度その浮いたボールをトラップしに行ったところで晃生が飛び出してきてキャッチしてくれました。
これらはあくまで一例ですが、そうした細かな約束事や準備してきた対策を、仲間を信じて90分間遂行できるか。決勝という大舞台で、メンタル的にも揺り動かされることなく徹底できるかは、間違いなく『結果』を左右するカギになります。そして、それはシーズンを通して積み上げてきたチーム力でもあると思っています。だからこそ、それを出し切って勝利に結実できてすごく嬉しかったし、皆さんとその瞬間を喜び合えて幸せでした。
とはいえ、今シーズンの戦いはまだ終わっていません。これをチームの、選手個々の確かな自信として積み上げていくためにも残り3試合もゼルビアらしく戦い抜きます。それが、このクラブを前進させ、ユニフォームの星の数を増やすことにも繋がっていくと信じています。
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昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。






