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Vol.52 奈良・生駒FC 代表兼監督/奥田智

  • 2023.03.08

    Vol.52 奈良・生駒FC 代表兼監督/奥田智

指導者リレーコラム

奈良・生駒FCで代表兼監督を務める奥田智さん。生粋のサッカー小僧だった少年時代には、一度はサッカーから離れた時期もあった。それでも指導者として再びサッカーと向き合い、高校時代に受けたスパルタ指導を反面教師に、子どもたちには何より“サッカーを楽しむ“ことを伝えようとしている。スペインで学び感じたことも生かしながら、オンライン講座で『サッカーの教科書学習』を行うなど、新たな指導方法も取り入れる奥田さんの挑戦に迫った。

―奈良クラブのダリオ・ロドリゲスさんからご紹介いただきました。本日はよろしくお願い致します。現在はどのようなスケジュールで指導にあたっているのでしょうか。

奥田 普段は火曜と水曜が生駒FCの練習で、小学1年生から中学1年生を複数の指導者で教えています。土日は基本的に試合となります。

―奥田さんご自身はどんなサッカー少年だったのでしょうか。

奥田 兄の影響もあって5歳くらいからサッカーを始め、ボールを蹴るのが本当に好きで、遊びがずっとサッカーでした。小学校にドリブルで登下校して、足元にずっとボールがあるような生活ですね。田舎だったからそれが許されて(笑い)。小学4年生からは地元の生駒FCでサッカーを始めました。

―登下校中にドリブルしている姿が目に浮かびますね。生駒FCではどんな選手だったのですか。

奥田 自分は成長期が早くて、小中学生の時は背も高かったんです。関西トレセンにも選ばれ、海外遠征も経験しました。比較的運動能力が高くて、ドリブルには自信がありました。でも高校に入って運動能力の部分で周りに追いつかれ始めた時に気が付きました。その時まであまり考えずに相手をドリブル抜けていたので、抜けないってなった時に、自分はサッカーを考えてなかったんだな、理解してなかったんだなって感じました。そういった部分はスペインに留学した時(後述)に気づいて、ちゃんと勉強したらこんなにプレーできるんだと。

―その高校時代は奥田さんにとって転機だったそうですね。

奥田 小中学校では自由にプレーをさせてもらっていました。しかし、奈良育英高校に入って、毎日のように監督に怒られ、朝練と夕方練もやって年間を通しても休みもなく、完全に“やらされていた”って感覚にどうしてもなってしまいました。怒られるのが嫌でドリブルもしなくなり、だんだんとサッカーの面白さを忘れてしまい、サッカーが嫌いになりましたし、当時はとてもしんどい思いをしながらサッカーをしていました。

―インターハイベスト8の実績を持つなど、全国大会にも出場されていました。そうした喜びよりもしんどさのほうが上回ってしまったのでしょうか。

奥田 全国大会出場は高校生にとって大きな目標ですし、その当時は全国大会出場はもちろん嬉しかったし、達成感もありました。しかし、高校を卒業後、社会に出た時に、全国大会の出場経験や、今までやってきたことが全く結びつきませんでした。自分はサッカーしかしてこなかったし、監督やコーチから言われることしかやれなかった。大学生になって就職活動する時も、「自分には何ができるんだろう」ってすごく考えて。教育実習にいった時に、教科書に沿って授業はある程度できるけれど、子どもから質問されたりすると、いきなり頭が真っ白になってしまっていました。そこで、サッカーしかしてこなかった自分が子どもたちに伝えられることは少ないって実感したんです。

―実際に高校でサッカーからは一度離れて、再びサッカーと触れることになったきっかけを教えてください。

奥田 高校の時にサッカーが嫌いになって、大学でも始めはサッカーをやりませんでした。それでも大学生の時、地元の中学校に本当にボール蹴りに行く感覚でコーチをやっていたことがあって。久しぶりにサッカーをやって、指導することの楽しさもその時に初めて知りました。

―指導者の入り口となったのですね。奥田さんはサラリーマン経験もお持ちだとうかがっています。どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

奥田 一般企業で5年間、事務系の仕事をしていました。仕事をしながらフットサルをやっていたので、仕事を頑張って早く終わらせてフットサルに行くのが楽しみでした。

―5年間の社会人経験を経て、指導者になられたのですね。今に生きている経験はありますか。

奥田 ミーティングの時には、子どもたちにサッカーのことだけではなく、社会や経済のこと、お金のことなどについても話をしています。また地域のごみ拾いを子どもたちと一緒にしたり、英会話講座や山登りなどサッカー以外の取り組みも行っています。それらの活動は、自分が社会人としてサッカーだけをやっていても社会では通用しないと実感したことが影響しています。

―スペインでもサッカーについて勉強されたと先ほど仰っていました。

奥田 最初にスペインに行ったのは30歳の時です。チームを立ちあげてから2、3年の頃ですね。きっかけは元々バルセロナが好きなこともあって、婚前旅行で行ったのが初めてで勢いで結婚式もバルセロナで挙げました(笑い)。その後は毎年、2週間くらいの短期留学を4回しました。

―スペインで感じたサッカー観はどんなものですか。

奥田 初めてスペインで小学生高学年の子どもたちのサッカーを見た時に、「追いつくのは無理なんじゃないか・・」って。日本では子どもたちは習い事の1つとしてサッカーをやっていますが、スペインの子どもたちは来年もこのチームにいられるかわからないという環境なので1試合に対する熱量が全く違いました。常に競争があって、1試合にかける気持ちが本当に強いと感じました。正直、これは日本人勝てへんなって。さらに、そこの違いだけでなくて、休みも日本より多いし、何より楽しそうにサッカーをやっていたんです。あとは日本より考えてサッカーやってるなって、違うスポーツのような感覚にもなりました。そこで、どうやってそれが作られているのか勉強したくて、スペインでサッカーの勉強をした人に話を聞きに行って、日本に戻ってからも勉強に励みました。スペインで受けた衝撃は大きく、自分の中のサッカー観を一変させたれました。

―スペインは文化としてサッカーが根付いています。日常にありながら競争も促している。楽しさと競争を両立する難しさはあると思います。

奥田 環境面の問題は、日本サッカー協会など大きな組織で変えていってもらわなければならないことが多いですが、、、、自分たちのチーム内では競争は促していて、あとはサッカーへの理解度を深めるためにオンラインで“サッカーの教科書学習”をしています。学校の授業で言えば、教科書で学ぶことが多いですが、実践で学ぶ機会がとても少ないです。しかし、サッカーはその逆で、実践(グランドでの練習)はたくさんするけど、教科書で学ぶ経験が本当に少ないです。僕自身も30年間サッカーをしてきた中でサッカーの教科書学習をしたことはありませんでした。ただ、スペインの指導者はサッカーの教科書を学んでいます。それを知って自分も資料を今たくさん作っています。

―それは指導する上で使うために作っているのですか。

奥田 例えば、オフサイドのルールも最初はわからないけど、プレーしていけばちょっとずつ分かるようになっていきます。またその他にも「マークしろ」「マークを外せ」「サポートをしろ」とか言われると思います。しかし、「マークってなに?」「サポートって何?」と丁寧に教えてもらうことがあまりないんです。コーチたちも経験してきたことを基に「マーク」・「サポート」と言葉を使ってしまう。子どもからしたら“はてな”ですよね。きちんと資料があって、マークの種類やサポートの種類とか、ちゃんと頭でも理解することで、グラウンドで体験することを繋がり、自分で考えてプレーをすることが出来るようになります。そういったことを体感してもらいたくて、オンラインで教科書学習をスタートさせてました。

―珍しい取り組みですね。やはりスペインで学んですぐに実行したのですか。

奥田 資料つくりは5年間くらいかけて取り組みました。生駒FCの中学生が今年度から勉強しています。週2回はグラウンドでプレー、週に1回はオンラインで教科書学習にしようと。昨年の4月から、毎週金曜に行っています。

―実際に子どもの反応はいかがですか。

奥田 教科書学習をすることで子どもたち同士やコーチたちとの間で、共通言語を持てるようになっていると感じます。指導者の言っていることを子どもたちも理解しやすくなるし、子どもたち同士の会話のキッカケにもなる。それはすごく実感していて、サッカーの賢さにつながっているなと。ただがむしゃらにサッカーをするだけじゃなくて、考えながらやることはゲームや練習にも表れているように思います。さらには、オンラインなので保護者の方にも聞いて頂けることに効果を感じています。親御さんがサッカー理解を深めることにも繋がっているので、親子での会話の質が変わり、子どもたちが伸び伸びとサッカーをするための環境つくりに繋がっていると感じます。

―その中でもやはり奥田さんは楽しさも重視しているのですよね。

奥田 練習の中ではできるだけ教えないことを意識しています。もちろん練習はするのですが、ゲーム形式を中心にメニューを考えて、伝えたいテーマに合わせてルールを設定し楽しんでもらいながらこちらの意図を伝えていきます。ジュニア年代は特に、「楽しくプレーをしていたら、いつの間にか上手くなっていた」というような練習メニューを作ることが重要だと思っています。そして僕の場合はオンラインの『教科書学習』で後からサッカーの基礎や細かいことを伝えるようにしています。この実践学習と教科書学習のサイクルがどのような効果が出てくるのか、他にやっているチームはあまりないと思うので。今は実験中ですが継続していきたいと思います。グランドでの実践学習は、練習する・教えるっていう感覚より《一緒にサッカーを楽しむ》みたいな考えです。

―ゲーム感覚のメニューが多いということですね。

奥田 そうですね。子どもたちに「今日は何したい?」と聞くと、ほとんどの子が「ゲームをしたい」と言います。やっぱりサッカーはゲームが1番面白いんです。僕もプレイヤ―の時は早くゲームしたいなぁって思っていました。子どもたちにとっては楽しくてわちゃわちゃ遊んでる感覚だけど、そこにルール設定などを付け加えることで、こちらの伝えたいテーマを言わずして伝えていきます。

―そうした取り組みも取り入れつつ、クラブとしての前進という意味ではどのような感触を得ていますか。

奥田 僕が就いて2023年4月で3年になります。もともとは少年団チームを引き継がせてもらったので、1年目は「もっと厳しくしてください」「コーンドリブルや技術的な基礎練習をもっとしてください」などなど、色々なご意見を頂いたり、実際にチームを離れていく子も多数いました。初めは簡単ではなかったですし、周りからの批判や声で落ち込んだ時期もありました。僕は楽しさを大切にすることから「遊んでるだけ」「あのチームは川遊びをするからダメだ」なんてことも言われたことがあります。それまでの生駒FCもそうですし、周りのチームを見ても、とにかく練習する、基礎練習をしっかりするチームもたくさんあり、他と比べると異質なチームに変わりました。そういった環境でプレーすることは、子どもにとっては楽しいけど、親御さんに理解してもらうことは難しいので、理念や考え方をSNSやYouTubeなどを使って親御さんに丁寧に伝えることを徹底しました。「子どもたちは“なぜ”サッカーをしているのか」「子どもたちにどうなってほしいのか」など本質の部分から一緒に考えてもらいました。1年後、3年後、もっと先を見据えた時に、今は何をするべきなのか。子どもたちの未来を考えた時に大切なことは、<自分で考えて行動できること>や<自分らしく生きられること>で、自立することです。試合に勝つことや上手くなることも大切かもしれないですが、サッカーを通して生きる力を身につけること、そしてサッカーをしていることで子どもたちが(家族が)幸せであることが1番重要だと思います。

―保護者の方に想いを伝えるために行っていることは他にもありますか?

奥田 グランドに来てくださった保護者の方に声をかけさせてもらったり、お父さんサッカーや親子フットサル、年末にはみんなでバーベキューをして皆さんと親交を深めています。子どもの成長を考えた時に、僕たちスタッフだけではなく、保護者の皆さんと協力をして、一緒に子育てをさせてもらいたいという想いがあります。

―そうした中で現在クラブが課題として抱えていることはありますか。

奥田 クラブは2年前に24人からスタートして、2023年度のスタートは約90人になります。子どもたちの数が増えるのはいいことですが、コーチがいないと良い環境は作れないので、信頼できるコーチを確保することです。コーチは誰でもいいわけではないので、考え方が合う方と出会うこと、そしてやはりコーチをしてもらうにはお金が必要になります。資金源が月会費だけで運営していくのは難しい現状ですが、月会費を上げると通えなくなる子どもも出てきます。それは出来るだけ避けたいので、そうではないやり方を考えています。オンラインでの『教科書学習』は、他のクラブの方も受講できるようにしているので、そうしたところから収入を得たり、支援いただける企業を探すこと、そして今後は、地域ともっと繋がっていきたいと考えています。地域にある店舗さんなどにご協力してもらい、お互いにメリットを感じられる関係作り(ソシオ会員制度)を構築していく計画を進めています。今はクラブとして組織の基盤を作っていくことが、向き合うべきことかと思います。

―お話をうかがっていると、年月を重ねるごとにクラブが大きくなっているのだと感じます。目指す理想像を、教えてください。

奥田 最終的には、男子・女子共に、小学生から中学生、高校生、社会人さらにシニアまで、ずっとこのクラブでサッカーできる環境を作りたいと思っています。ただ、そこまでの環境を作るためには自分だけではできないので、近隣のチームとも協力をしながらみんなで地域を盛り上げていきたいと思っていて、数年かけて実現していくプランを考えています。自分の中では、高校サッカーで苦い経験をしたことがこの取り組みに大きく影響しています。今でも高校年代のサッカー(スポーツ)は暴言や暴力など根性論がなくなっていません。サッカー(スポーツ)は続けたけど、休みがないんだったら嫌、怒られて・走らされてまでやるのは嫌だって思う子も少なくないと思います。そこでクラブチームとして、勉強も遊びも恋愛もバイトもしながらサッカーが出来る環境を作ることで、サッカーを続けるための選択肢を増やしたいと思っています。小学生から、おじいちゃんおばあちゃんまでサッカーを楽しめる環境を作りたいです。そして、サッカーを通して世代間の交流や、地域との交流がうまれ、人々が繋がるコミュニティにしていくことを目指しています。

―奥田さんは勉強への意欲も強いですが、今後の目標はどういったものをお持ちですか。

奥田 個人的には海外に行って、自分が知らない世界を見たいと思っています。そして子どもたちに「こんな世界も(考え方も)あるんやで」と人生における選択肢を広げられるようなことをしたいと思っています。なので、自分だけでなく子どもたちも一緒に海外に行けるような取り組みもしていきます。僕の中ではサッカーでの成功(一般的にはプロになることや全国大会に出ること)を目指すよりも、大きい意味で、教育的な観点で人生の学校みたいなイメージを持っています。サッカーは一つのキッカケで、プロになることや全国大会に出ることも大切なことかもしれないけど、サッカーはグローバルなスポーツであり、自分で判断・決断するスポーツです。こういった多様性や自分で考える力は、子どもたちが社会に出た時に必ず求められることだと思います。サッカーを通じて、社会・世界と繋がること。そしてサッカーに関わる人々が、サッカーで幸せになることを目指して活動を続けていきます。

―貴重なお話をありがとうございます。次の指導者のご紹介をお願い致します。

ロドリゲス London Japanese Junior Football club のClub Manager、監督の水野 嘉輝さんです。

<プロフィール>
奥田智(おくだ・とも)
1984年11月1日、大阪府出身。
5歳の頃にサッカーを始め、生駒FC、奈良育英高へ進学。FWとして活躍した高校時代はインターハイベスト8などの実績も持つ。桃山学院大で全国大会準優勝も経験し、2006~11年は一般企業に勤める。関西リーグのリンドバロッサなどでフットサル選手としてもプレー。グラミーゴ三笠FC、LuL(関西女子フットサルリーグ所属)の指導歴があり、21年から現職。

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