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Vol.99 ハセさんと永嗣さん。

  • 2024.05.07

    Vol.99 ハセさんと永嗣さん。

発源力

©FCMZ

日本代表としての戦いを振り返るときに、あるいは自分のプロサッカー選手としてのあり方を考えるときに、決まって思い出される選手が数人います。
4月17日に今シーズン限りでの引退を発表されたハセさん(長谷部誠/アイントラハト・フランクフルト)も、4月27日にJ1リーグ第10節で対戦したジュビロ磐田に在籍する永嗣さん(川島)も、間違いなくその中の一人です。お二人からはプロサッカー選手としてはもちろん、人としても本当にたくさんのことを学びました。それもあってハセさんの引退発表直後に戦った磐田戦は、自分にとっていろんな感情が生まれた、特別な一戦になりました。

僕が初めて日本代表に選出されたのは2014年、23歳の時でした。アンダー世代も含めて『日の丸』にあまり縁のなかった僕にとって、すでに日本代表の中心選手として活躍していた二人をはじめ、篤人くん(内田)、麻也くん(吉田/ロサンゼルス・ギャラクシー)のピッチ内外での振る舞いや、1プレーヤーとしての凄みは僕のサッカー観にたくさんの刺激を与えてくれました。ありがたいことに、皆さんとは代表戦に行くと食事の際に同じ円卓を囲ませていただくことも多く、いろんな話を聞かせてもらったのを覚えています。「日本代表とは?」とか「国を背負うとはどういうことか」といった真面目な話もたくさんしたし、ハセさんの『天然』のおかげでたくさん笑わせてもらいました。
リスペクトを込めてハセさんの天然ぶりを少し紹介すると、僕が日本代表に初選出された時も「ショウジなの? ゲンなの? 名前はどっち?」と聞かれ、実際、最初の頃はなぜかハセさんにだけ『ショウジ』と呼ばれていたこともありました。当時はまだそこまでハセさんが天然だとは知らず、僕自身は早く名前を覚えてもらえるように頑張ろうと思っていましたが、普通に間違っていただけだったらしく…すぐに『ゲン』に変わりました(笑)。そういった天然ぶりは代表内でも有名で、オフ・ザ・ピッチでは決まって誰かにイジられていました。『心を整える』(幻冬社刊)という書籍を出された時も、何か行動するたびに「おい、整ってないぞ」などと、みんなにツッコまれていたのも懐かしいです。円卓で食事中もとにかく天然ぶりがひどく、篤人くんらから「ええって、長谷部! 話題に入ってくんな!」と呼び捨てでツッコまれていたことも、しょっちゅうありました(笑)。
そんなふうにピッチを離れたところでは天然が過ぎましたが、いざオンになると、チームバスに乗り込んだ瞬間から、バスの中も、ロッカールームでも、チームに人一倍ピリッとした空気を漂わせることができたのもハセさんの凄さでした。そんなハセさんだったからたくさんのチームメイトに愛され、信頼されたキャプテンだったんだと思います。僕自身もキャリアを重ね30歳を過ぎた今は、FC町田ゼルビアでキャプテンをさせてもらっていますが、今の立場になって改めてハセさんの凄さを再認識することも多いです。僕がプロになったときにはすでに海外でプレーされていたため、22年のプレシーズンマッチ以外で公式戦で対戦したことはなかったですが、だからこそ日本代表で一緒に戦わせてもらった経験は、かけがえのない時間になったと感じています。
それはハセさんと同い歳の永嗣さんも同じです。GKとセンターバックとして同じピッチに立つ中でも、本当に多くのことを教えられました。
特に強烈なインパクトとして残っているのはロシアワールドカップの決勝トーナメント1回戦のベルギー戦です。2点のリードを奪いながら最終的に後半アディショナルタイムに逆転ゴールを許したあの試合で、永嗣さんは呆然と座り込む僕を抱き起こしながら「まだ10秒あるぞ」と声を掛けてくれました。あの時のスタジアムの雰囲気、静まることのないスタンドの興奮の中、絶望感でいっぱいになっている僕たちに、そんな強い言葉を掛けられる永嗣さんに驚いた反面、改めて本当の意味で永嗣さんのハートの強さ、国を背負う責任感の大きさ、覚悟に触れた気もしました。当時は言葉で言い表せない悔しさでいっぱいでしたが、今になって思い返すと、あの試合を戦えたことはもちろん、あの雰囲気の中で永嗣さんの言葉を聞けたことは、その後キャリアにおいてもかけがえのない経験でした。1プロサッカー選手としての成長を後押ししてもらった出来事としても刻まれています。

27日の磐田戦は、そんな永嗣さんと初めて敵として対戦した試合でした。永嗣さんは日本代表戦で会うたびに…32歳で会えば「32歳、成長期」と言い、35歳で会えば「35歳、成長期」と言って、とにかくご飯をたくさん食べていましたが、41歳になった永嗣さんも変わらず、絶好調でした。
後半、90+6分のデューク(ミッシェル)の完璧なヘディングシュートに対するビッグセーブも、その後のガッツポーズも、まさに永嗣さんらしいパフォーマンス。90分を通した安定感もさることながら、並大抵のGKでは出せない圧巻のオーラを放っていました。
試合後、永嗣さんに「今日のパフォーマンスを見ていたらどこまでも(現役を)できそうですね!」という僕に対し「いっぱいいっぱいだよ。1年1年が本当に勝負だ」と返ってきましたが、相変わらず自分に厳しく向き合う永嗣さんだから、今も現役として戦い、あのパフォーマンスを発揮できるんだなと思いました。あの1本を触るために、永嗣さんがどれだけの努力と苦労を重ねているのかも感じられて、またしても永嗣さんから学び、勇気をもらった気もしています。もちろん、試合としては町田にとって悔しい結果に終わってしまいました。僕がペナルティエリア内でハンドを取られ、PKを与えてしまったシーンを含め、2失点ともチームとしての守備には課題が残ったと思っています。ただ、それと合わせて、個人的には永嗣さん、ハセさんに学んだことを、これからもしっかりと自分にリマインドして戦っていこうと思えたとても大事な時間になりました。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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