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Vol.12 STFC.Partida/田中章博総監督

  • 2020.01.06

    Vol.12 STFC.Partida/田中章博総監督

指導者リレーコラム

日本サッカー界の父と呼ばれるデットマール・クラマー氏との出会いなど、様々な刺激を受けながら、アカデミー世代の指導は40年以上を数える。時代の流れに応じて『育成』の形は変化させても、その情熱やサッカー愛は一貫して、深く、熱い。たくさんの『栄養』を与えながら、選手の成長を促す育成のスペシャリストに話を聞いた。

(取材日/2019.12.6)

ー大阪体育大学の松尾元太監督からご紹介いただきました。

田中 大学の後輩ですが、年齢差がありますからね(笑)。一緒にボールを蹴る機会はなかなかないですが、元太も私も日本サッカー協会の公認コーチで、指導者養成のインストラクターなので、そこではちょくちょく顔を合わせています。

ー現在、総監督を務めていらっしゃるSTFC.Partidaはいつ発足したのでしょうか。

田中 摂津市立第五中学、第四中学、第二中学の合同クラブとして、摂津パルティーダFCをスタートしたのが2003年4月です。ただ、私自身は60歳の定年を機にサッカーに関わることからは全て退き、指導者養成のインストライクターだけを続けていくつもりでいたんです。そしたら、2010年の南アフリカW杯後に教え子である本田圭佑がやってきて「摂津市には町クラブが1つしかないし、学校の部活動でうまくいかなかった子の受け皿として続けてください。僕もサポートします」と言われ、現在のSTFC.Partidaとして継続することになった。結果、68歳になった今もこうして指導者を続けていますが、指導者としては一通りのことを経験し、2周目に入ったと思っていますから。今は1周目で蓄えたいろんなものをいかにそぎ落とし、切り捨てていくかを考える毎日です。

この日は摂津市立第四中学校のグラウンドでの
トレーニング。ナイター設備もある。

ー時代の移り変わりやサッカーの変化を踏まえ、いいもの、悪いものを整理して育成を考える、ということですか?

田中 そうですね。私が初めてライセンスを取得した30歳当時と現在では、選手も親御さんも大きく変わっています。ともすれば、サッカーでも、かつて言っていたこととは真反対の現象が起きていることもあります。であればこそ、若い頃にライセンスの取得や研修を通じて、あるいはトレセンの指導者などをする中で培い、指導の肥やしにしてきたものも、そのままでいいはずがない。蓄えてきたもの中には悪いものもたくさんあるからです。例えば、今になって振り返ると、当時は正直『与える』指導が多かったんです。サッカーにまつわる技術や精神的なことはもちろん私生活まで、我々指導者が「これをしろ」「あれをしなさい」と選手に与えるばかりでした。でも「コーチが教えてくれる」「言ってくれるまで待とう」という雰囲気がチームに充満してしまうと、選手が自分で考えなくなってしまう。いろんなものがすぐに手に入り、与えられることに慣れてしまっている今の時代だからこそ尚更です。もっとも、普段の練習からそこに導くための技術や判断、考え方など、彼らがチョイスするための材料をできるだけたくさん伝えることはするんですよ。でも、その中から何を選ぶか、というところでは教えたい、伝えたいのを我慢して『知らんぷり』をしたり、敢えて察しの悪いフリをして選手に「今のシーンはどう思う?」「なんでそうなったんや?」と揺さぶりをかけることも必要になる。それにサッカーにおける『答え』って1つじゃないですから。私が正解だと思って求めることが、選手にとっての正解とは限らない。であればこそ、最近は私の考えを押し付けるのではなく、そのプレーに至った理由や状況を選手に確認しながら、選手それぞれにとっての正解を一緒に探していく指導を意識するようになりました。

ー近年は情報過多の時代と言われ、選手の皆さんはサッカーにまつわる情報や世界各国の試合、選手のプレーを手軽に観ることができます。そのことは『考えること』にもプラスに働いていますか。

田中 確かに、海外の試合も含めてこれだけいろんな情報が手軽に手に入る時代ですからね。それによってプレーの想像力を膨らませるのは決して悪いことではないと思います。でも一方で、子供たちの目が常に外にばかり向けられてしまい、自分に矢印が向かないのは気になっていることの1つです。ピッチでも「あの時、お前がプレッシャーにいかへんから、こうなってんぞ」とか「なんでパスを出せへんねん」とか周りのことばかり気になって、肝心の『自分』のプレーが二の次になってしまっている。でも、先に名前を挙げた圭佑しかり、私が関わらせてもらってきたプロサッカー選手の少年時代を思い返すと、彼らのほとんどが小さい頃から自分にしっかりと矢印を向けられる選手だったんです。圭佑なんかは、キッズの頃から常に自分、自分で「先生、あのシーンの時、僕はこうやったよな」ってことばかり尋ねてきていました。そうした姿を思い返しても、常に自分に目を向けて、何が足りなくて、何を備えなければいけないのかを考えて行動できる選手にならなければ、将来、どこでプレーするにせよ結果を出せないんじゃないかと思います。

「狭いスペースでもボールを受けに行って
ビルドアップをしよう」
「ボールを受ける前の作業をさぼらずにやろう!」
田中監督の檄が飛ぶ。

ー中学生を教えるにあたって特に意識されていることはありますか。

田中 いかに長所を見つけて、自信を持たせるか、です。ただ、問題は自分の長所が何かを分かっていない選手が本当に多いということ。これは教員時代に気づいたことですが、中学生年代の子供たちって褒められることに慣れていないせいか、自分の長所を把握していない子が本当に多いんです。例えば、受験前の面接練習で生徒に「何でもいいから自分の長所を教えてください」と問いかけても、ほとんどの子が答えられない。「偏食なく何でも食べます、とか、早起きが得意です、など、自分が得意なことをい言えばいいんやぞ」と言っても、「何て答えたら○をもらえるのかな」と考え込み、答えあぐねてしまう。その状況を目の当たりにした時に、これは指導する側である自分たちにも責任があると思い、子供たちを褒めることを意識するようにしてみたんです。例えば、放課後の掃除をサボっている子に対して「掃除をしろ!」と怒るのではなく、頑張っている子に対して「○○さんは、遊んでいても掃除はちゃんと頑張ってるな! 助かったわ。ありがとうな!」と言うように。そしたら面白いもので、褒められた本人だけではなく、周りの子の見る目も変わってきて「ああ、それをしたら褒められるのか」という意識が働くようになり、いいことをしようというマインドがあちこちで見られるようになった。それと同じでサッカーでも自分の長所をわかっていない選手が多いからこそ、できないことを叱るのではなく、できることを褒めてあげたいな、と。例えば、スピードがない選手にその事実を指摘するのではなく、「君はスピードがないことを自覚しているから、相手に当たられる前に周りをよく見て、先に動くようにプレーしているんやな」とかね。だって、スピードがないことなんて、自分でも気づいているはずだから。そしたら、周りの子にも「あのプレーはコーチに○をもらえるんや」とインプットされるし、本人も自分の長所だと思えるようになる。そういうものが1つ持てれば選手の目の色も変わるし、プレーにも自信が持てるようになりますしね。ただ、遅刻や挨拶など、人としてやったらアカンことは徹底的に怒りますけど(笑)。

指導においては
「選手にいかに自信を持たせるか」を
大事にしていると言う。

ー百戦錬磨の田中監督でも、指導者としてご自身のサッカー観を磨く働きかけみたいなこともされていらっしゃるのでしょうか。

田中 常々、自分の感性、サッカー観を信頼できなくなったら教えるのはやめようと考えているので、そこを磨くことは続けています。最近も「自分が見ている中学3年生のプレーって、どの辺まで通用するんかな」と、ふと疑問を持って。でも代表の試合を見ても、J1リーグの試合を見てもどこかピンとこない。そこで、FC TIAMO枚方という教え子が関わっているチームが出場していた全国社会人サッカー選手権大会を観に行ってみたんです。そしたら、社会人チームってプロではないけど思っていたよりすごく巧いし、判断もしっかりしながらプレーしているんですよね。でもその反面、やられる時は、ほんまにあっけないというか…ともすれば中学生でもしないようなミスでやられている。でも、実はこれって世界のサッカーを観ていても言えることだと思うんです。そう考えると結局、サッカーってどのステージでも大事なことは変わらないんや、と気がついた。もちろん、体の大きさ、強さの違いはあるんですよ。でも、こういう場面では絶対にこのプレーをしたらアカンとか、このシーンではファーストディフェンダーがほんまに命がけで体を当てにいかなアカンとか。ゴール前、中盤、守備、とそれぞれのエリアでの、絶対にやらなアカンこと、やったらアカンことのベースはどのカテゴリーも同じなんですよね。であればこそ、我々指導者はサッカーの基本的なテクニックをしっかりコーチングしながら、それをきちんと使いこなせるように『サッカー理解』をセットにして選手を育てなければいけないんだと思います。

ー『基本的なテクニック』も、時代の流れとともに求めるものは変わってきましたか?

田中 止めて、蹴るなどの局面に特化してみれば大きな違いはないけど、今の時代は寄せも早いし、スペースもないし、時間もないですからね。昔のようにのんびりと「はい、ボールが来ました」「周りを見てスペースを探してボールを出しましょう」とやっていては通用しない。そう考えると当然、より正確にボールを扱える技術や判断が求められると思います。ただ、そうは言っても中学生年代は特に個人の成長のスピードにばらつきがありますからね。私が「ここまでおいで」と求めたところで、そこにたどり着くまでの成長スピードは、個人差があります。であればこそ、この年代の指導者は薬剤師さんのような感覚で「この選手にはこの栄養素を食べさせよう」「この選手には違う栄養素の方がいいな」と、その子にあった栄養素を見つけ、与えてあげるテクニックが必要になる。それが本当の意味で選手を成長させることに繋がるんだと思います。

ーそんな風に『育成』が大事だと考えるようになったのは、指導者を始めた時からですか?

田中 いやいや、最初は僕も「勝ちたい、勝ちたい」と思っていました。でも36歳の時にデットマール・クラマーさんに出会い、そのことを伝えたら怒られたんです(苦笑)。1ヶ月ほどの研修期間で2度ほど、クラマーさんと面談させてもらったんですが、1度目に「日本一になるにはどうしたらいいか?」と尋ねたら「君は学校の先生だろう。子供を育てる立場にいる君が勝ちたい、勝ちたいと言うな!」と怒られ、2度目の面談で「魔法のトレーニングはないか?」と聞いたら「どんなシンプルな練習でもそれに魂を入れるのが君の仕事だ。魔法のトレーニングなんか存在しない」と怒られた。その言葉を聞いた時に自分の考え方が変わり、勝つことに縛られずに選手を育てようと考えられるようになった。ただ、だからと言って『育てる』ことに逃げ込んでしまい『勝たなくてもいいから育てよう』というのは違うと思うんです。実際、勝つことの喜びを知らない選手は上手にならないですしね。それに選手って、僕らが勝つことを求めなくても、ちゃんと勝ちたいと思っていますから。そこに上乗せして勝て、勝てと言うからしんどくなってバーンアウトしてしまう。そう考えても、まずはサッカーだ、と。勝ちたいからとボンボン蹴るのはやめて、ボールを大事にしながらビルドアップをし、相手が何人いても怖がらずにボールを受けるというサッカーを追求しよう、と。それに、この年代の選手にとって大事なのは、今、大きな花を咲かせることではなく、次の年代でいかに大きな花を咲かせるか、ですから。であればこそ、花が枯れてしまうことのないよう、我々はしっかりと水と栄養を与えて次の指導者にバトンを渡したいと思います。

中学2年生の終わり頃から月1回、
選手と二者懇談をし、
年明けには親御さんを入れた三者懇談で
卒業後の進路についてのアドバイスを行っている。

ー次回の指導者をご紹介いただけますか?

田中 同じジュニアユース年代のクラブチーム、FCリアンの小谷泰監督を紹介します。育成年代の指導は、教えること半分、育てること半分ですが、その点においては小谷監督もプロなので。今後も教員としてのスポーツ活動を、町クラブの中で引き継いでいってくれるだろうと期待しています。

<プロフィール>
田中章博(たなか・あきひろ)
1951年9月18日生まれ。
京都府出身。大阪体育大学卒業後、教員の道へ。摂津市立第三中学校や摂津市立第二中学校のサッカー部を強豪チームに育て上げた。摂津三中時代の教え子には本田圭佑や森下仁志(ガンバ大阪U-23監督)ら。大阪府トレセンや関西トレセンでも宮本恒靖(ガンバ大阪監督)、稲本潤一(SC相模原)、新井場徹ら育成に関わった選手は多数。03年4月に立ち上げた摂津パルティーダFCは、10年にHPE(Honda’s Philosophical Education)のグループ所属チーム『STFC.Partida』となり、総監督に就任した。JFA公認A級ジェネラルライセンス取得。

text by Misa Takamura

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