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Vol.1 ベガルタ仙台加入の背景。鈴木満さん、手倉森誠さんとの絆

  • 2023.04.13

    Vol.1 ベガルタ仙台加入の背景。鈴木満さん、手倉森誠さんとの絆

絶康調

©︎VEGALTA SENDAI

2022年シーズンから生まれ故郷のベガルタ仙台でプレーしている。地元に帰ってきた以上、サッカー以外のところでも子どもたちとふれあう機会をどんどん増やしたい。遠藤康というサッカー選手の経験とか感じてきたこと、選手として何が必要か、何が大事か、そういう部分を含めて、しっかり宮城県に残したくなった。それがきっかけになって宮城から世界に羽ばたく選手が出てきてくれたらうれしいことこの上ない。引退したら選手って忘れられちゃうから今のうちに。というわけで、このコラムを始めた。思っていることをいろいろと伝えていきたい。初回は15年在籍した鹿島アントラーズからベガルタ仙台に移籍した背景を話そうと思う。

俺がベガルタ仙台に来た背景には、いろいろな絆がある。満さん(鈴木満、鹿島の元強化部長)との絆、テグさん(手倉森誠、ベガルタ仙台元監督)との絆。そして家族の影響が大きい。

満さんにはよくしてもらっていた。外に出さないで我慢して育ててくれたので、期待に応えようと頑張ってきた。鹿島はタイトルを取らないと生き残れないチーム。タイトルを取れなかったら新しい選手、有望な若い選手を取るサイクルがある。いつまでも上の人におんぶにだっこのチームじゃ先はないから、鹿島に対して不満は全くなく、やり切った部分はあった。やり切ったから引退というのも考えたし、仙台に帰ってくるというイメージは最初全くなかった。退団イコール引退。鹿島で終われたら幸せって常々言っていた。

満さんが「話はあるから」って用意してくれていたのがベガルタ仙台からのオファーだった。そして、「お前はまだ辞めるべきじゃない」と。ここまで育ててもらったのは満さんのおかげという感謝の思いは大きかった。契約満了となっても「今までありがとうございました」という気持ちだった。その満さんが「辞めるな」と言うから話してみることにした。他のクラブからの誘いもあったけれど、どこからかは内緒。

移籍するに当たって自分からチームを探したくないなというのはあった。声を掛けてくれたのが何チームかあって、それは絶対自分を必要としてくれるチーム。自分で探したらそうじゃなくなっちゃう。当時俺は33で若くはない。その歳の選手を取るってことはチームにとってよっぽどのことだよ。もちろん試合を戦う上での戦力として評価するだろうけど、それ以外のところでも求めてくれているんだろうなと思ったから、最初のベガルタだけ話を聞いた。仙台から話があると言われたときに、今まで自分の生き様を振り返ってみて、行くなら仙台しかないなと思った。仙台で育って鹿島に入り、鹿島で長くやって最後仙台に帰って終わるのがサッカー選手としていい生き方じゃないかなと。そういうふうにできる選手なんてなかなかいないし。なので、持ち帰って家族と話し合って決めた。ベガルタ仙台への移籍は家族のためでもある。妻も宮城県出身。お父さんお母さんも喜んでくれているしお兄ちゃんや親戚もいるし、喜んでくれるかなと思った。移籍が決まったときにいろいろ報道させてもらったのもあって、帰ってきたら宮城のいろいろな人から応援された。そんなに?なんでみんな俺のこと知ってるの?ってぐらい歓迎された。帰ってきてよかったと妻と常々話している。

俺はテグさんに取ってもらったようなものだ。テグさんと満さんの師弟関係もあったし、いろいろ話はしてくれていたんだろう。テグさんが今年のキャンプに顔を出してくれたんで、「呼んでくれてありがとうございます。テグさんじゃなかったら声が掛からなかったかもしれない」と言ったら、「一緒にやりたかったな。またどこかでやれたらやろうな」と返してくれた。テグさんとは「東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ」という復興試合で一緒にサッカーをやったことがある。俺はテグさんが率いるベガルタと鹿島の混合(東北出身選手やデル・ピエロも入った)チームで、Jリーグ選抜と戦った。ベガルタでは一緒にやれなかったけれど、俺はテグさんはいい監督で人格者だと思う。なんだかんだで俺の周りには鹿島の血がある。テグさんは住金(住友金属、鹿島アントラーズの前身)でやってたし、よく鹿島まで顔を出しに来てくれていた。

2021年は鹿島の最終戦の相手がベガルタだった。ユアスタ(ユアテックスタジアム仙台)でやったとき、あれが俺にとって鹿島での最後の試合だったんだよね。試合が終わったあと、洋平さん(佐藤洋平、鹿島GKコーチ)が原さん(原崎政人、ベガルタ仙台前監督)としゃべっていた。2人は強い絆で結ばれていて、洋平さんが「やれるから大丈夫だよ」と話してくれていたと聞いた。その絆もあったのだろう、原さんもなんなく俺を受け入れてくれた。テグさん辞めちゃってたから、移籍に関しては原さんと強化部長と話した。選手として評価してくれていると感じて光栄だったし、しっかりやらないとという思いにしてくれた。J1に上げるのは大前提として、プラス自分が何ができるかといえば、経験をどれだけベガルタに残せるかということを考えていた。

初めての移籍だったけど、不安は全くなかった。子どもの転校大丈夫かなって思ったぐらい。自分が思っている以上に歓迎してくれたし、期待に応えたい。むしろなんかタイトル取らないと駄目だな、J1に上げないと帰ってきた意味がないなと思う。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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