©VEGALTA SENDAI
彰さん(伊藤彰ベガルタ仙台監督)が退任した。去年の夏からやってきて、今年始まるときはJ2優勝っていうのを目標にみんなとつくり上げてきたけど、それがなかなかうまくいかなかった。彰さんが思うサッカーっていうのも表現できず結果も伴わなかった。そういう意味では彰さんに申し訳ないな。うちら選手のとらえ方の問題もあっただろうし。やっぱり、伝えることってすごく難しいんだなって思った。監督目線で考えると、自分の考えていること、「こうやれば勝てるのに」っていうのを浸透させていくのは難しいんだろうね。オレらベテランも若手にいろいろ教える機会がある。伝え方ってすごく大事なんだと改めて思った。自分の理想とするものをぶつけたとしても、それだけじゃやっぱりうまくいかない。彰さんの理想を選手たちもくみ取り切れていなかった。だから退任のとき取材を受けて「選手の責任が7~8割」と話した。彰さんのサッカーは嫌いじゃないし、サッカーには正解はない。これがいい、これが悪いっているのはないからさ。彰さんは熱い人で、サッカーが大好き。多分、誰よりもサッカーを見ていたんじゃないかな。キャンプ中も選手は空き時間にマッサージ受けたり、散歩したり、みんなで話したりといろいろやっていたけど、彰さんに「何しているんですか」って聞いたら「ずっとサッカー見てる」って話していた。
理想と現実がうまく折り合わなかったんだろう。やっぱり試合中にいろいろ考えてやるようじゃ全部遅くなる感じはする。監督の思うことを自然とできるようになって初めて、戦術が浸透したといえる。考えながらサッカーをやっていたら、動きだし全てが一歩遅くなり、思い切りがよくなくなる。監督の意図を理解して動き、戦術の指示がハマらなくて負けていたら、それは監督が悪いって言えるかもしれない。そういう試合もなかったわけじゃないけれど、やっぱり試合するのはグラウンド上の選手だし、自分たちがやりやすいように微調整していかなければならなかった。勝つために必要な作業がきちんとできていたかという意味で、選手の責任はかなり大きいと思う。
何が目的で試合に臨むのかといえば、勝つためじゃん。監督のサッカーをやるためなのかといったら違う。全部が全部うまくいくわけじゃない。勝つためだったら理想を一回捨ててやらなきゃいけない時間帯は絶対にある。自分たちが、現実を見ながらやるべきことはやるべきだった。そういう意思統一はできていなかったのかなって思う。みんな勝ちたいとは思っている。当たり前だ。でも、監督の言うことを表現するほうにばかり意識が傾いちゃっていることもある。そうなると難しくなるんだよね。オレは彰さんがしてほしいと思っているプレーを100%やっていたわけじゃないと思う。自分で考えてそのとき必要なプレーを自分の経験なんかでやって、結果を出したりいい方向に導いたりとか。そこはオリジナリティー。いつも言っているよね。自分を出さないと。これが「遠藤康」だよっていうのを。監督の言っていることプラスアルファ自分の武器を出すことが大切。
退任を知ったのは名古屋での天皇杯から帰ってきた13日。14時半からの練習が14時からミーティングになって、彰さんから退任のあいさつがあった。本当に急だった。天皇杯ですごくいい試合をしたからみんなびっくりしたと思う。去年もハラさん(原崎政人前監督)が1年持たずに変わっていて、チームの骨格というか、ベガルタってこういうチームというぶれない何かがまだつくれていないよね。昔だったらテグさん(手倉森誠元監督)のサッカーが確立されていて、何も言わなくてもみんなそれを体現していたわけじゃん。ナベさん(渡辺晋元監督)にしてもポジショナルサッカーを志向しつつ、現実路線にかじを切れば4-4-2のある程度戻れる場所、ある程度勝ち点が見込める場所があったということじゃないかな。そういう部分は1~2年で結果が出るわけじゃないから、短期間に監督が何度も変わると難しい。鹿島も理想を求めすぎてシーズン最初の方はあまり勝てなかったりした。でも、確固たるベースがある中で選手の争いがあって、替わって出た選手はどうしても勝ちたい、勝てば試合に出られる、負けたら試合に出られないというのを毎回繰り返しているから自然と上にいるのだろう。
今は現実的にJ1昇格プレーオフ圏内を目指す戦いになる。モチベーションは「応援してくれる人たちにいい試合と勝つ姿を見せたい」だね。チームが苦しいときでも、どんなに悪いときでも応援してくれる人たちのためにも勝ちたい。みんなで喜び合いたいじゃん。栃木での試合もアウェーにあれだけ来てくれるし、自然発生的な応援も気持ちがものすごく伝わってきた。ベガルタにしかない熱さだなって感じた。それに応えるためにどうすればいいのか。これまで関わってきた監督たちが重要視していたことは、人を尊重することとチームを勝たせるための自己犠牲だった。誰かがボールを失ったらみんなで奪い返す、抜かれたらカバーする、シュートを外してもポジティブな声を掛けるとかね。みんなで支え合ってやっていくしかない。チームのために自分が何をできるのか。新しく監督になった堀さん(ベガルタ仙台堀孝史監督)も「まずはやれることを全力でやろう」と言っていた。そう、まずはできることから全力で。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。