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Vol.23「東日本大震災と東北人魂」

  • 2024.03.21

    Vol.23「東日本大震災と東北人魂」

絶康調

©VEGALTA SENDAI

東日本大震災から13年が経った。震災からの復興に何か寄与できないかと始めた東北ゆかりのJリーガーたちでつくる「東北人魂を持つJ選手の会(東北人魂)」の活動に参加し続けている。東北人魂は満男さん(元鹿島MF小笠原満男)が中心となって設立した団体。被災地のみんなに対して、オレたちが何かできないかということで東北ゆかりのJリーガーが集まった。最初は必要な物資を集めて届けようというところから始まった。震災直後に満男さんは地元の岩手県大船渡市に行き、何が不足しているかを目で見て肌で感じて行動を起こした。受け入れ先がないところに物資を送っても迷惑をかけかねないから、ピンポイントで必要な物を届けるようにした。最初は寒かったから服や食料を送った。ただ、程度の差こそあれど、オレらのいた鹿嶋も被災していたから、心情的には難しいところがあった。そして、少しずつながら東北の被災地の生活も落ち着き、徐々にサッカーをやりたくてもできない子が出てきていたから、オレらはサッカー選手だし、サッカーで恩返しができたらと思い、サッカーに必要な物を持って、出向いてサッカー教室をやろうという流れになった。満男さんをはじめ、東北人の聖真(元日本代表MF土居聖真、山形県山形市出身)、岳(元日本代表MF柴崎岳、青森県野辺地町出身)、脩斗くん(元日本代表DF山本脩斗、岩手県盛岡市出身)だったりでやってみようと。今野さん(元日本代表MF今野泰幸、宮城県仙台市出身)とも連絡がついて協力してくれる人がどんどん増えた。すぐ行動に移した満男さんはすごいと改めて思った。あのときオレは何をすればいいのか分からなくて、ぼうぜんとしていたから。

そう、あのとき。実際オレは被災したっていうほどではなかった。親を亡くした友人たちがいる。なんとも言えない、その人にしかわからないつらさがあるから、震災被害についてはうまく話せない。ただただ、なんでこんな大きい地震が起きたんだろうという気持ちはあった。試合前日のバス移動中で、東京駅に向かう高速道路上で被災した。オレはバスの中で寝ていて、揺れていたことにも気付かなかった。バスが止まって外を見たら道路に亀裂が入っていて、高速道路がストップしてて車から降りる人がたくさんいた。バスに設置されているテレビを見たら仙台空港に津波が押し寄せてくる映像が流れていた。「え?うちの実家、海から近いぞ」と焦った。両親とも連絡がとれなかった。結果的に実家の被害は兄ちゃんの車1台が津波に流されただけだった。実家近くのアウトレットに行っていた兄ちゃんは、車を置いて逃げてきたそうだ。両親も学校に避難していた。当時はただただもどかしく、何もできない無力さを感じながらずっとテレビを見ていた。いまだに言葉が見つからない。根本的に何もできなかった無力感にあらがうために、東北人魂の活動を続けているのかもしれない。

東北人魂は支援活動として、震災から3カ月後の6月から宮城県石巻市でスポーツイベントを始めた。みんなで行ったのもあれば、おれ単独でやったのもある。そこに参加していたのが、当時小学生で今チームメートの龍(ベガルタ仙台FW菅原龍之助)だ。練習参加に来ていて突然「オレあのときいたんですよ」って。最初は誰か分からなかったけど、話を聞いてすぐ満男さんに連絡した。「東北人魂に来てた子に会ったんですよ。練習参加に来たんですよ。同じチームになるんですよ」って。満男さんは「そいつに頑張れって言っといて」って。スタッフにもみんなに話した。うれしくて鳥肌がたったよ。元々復興のために、サッカーができていない子たちのために機会を作ろうという活動だった。でも、続けているうちに「ここからJリーガーが出てくればいいね」という気持ちも強くなってきていた。まさか同じチームになるなんて。奇跡だよね。龍もちゃんと覚えているのがすごい。うちらとしては心に残るイベントを提供できたという感覚より、子どもたちと一緒にサッカーしたっていう感じだった。東北からJリーガーがなかなか出てきていなかったから、きっかけになってくれていたのならうれしい。

龍も東北人魂の活動に参加してくれるようになった。まずはもっとベガルタで活躍してチームの顔になるとか、FWといえば菅原龍之助っていうぐらいの選手になれるよう頑張ってほしい。東北人魂ありきじゃなくて、サッカー選手としての菅原龍之助を確立してほしい。龍はすごく頑張ってるし、点を取ってチームを助けてくれている。去年1年間はコンスタントに試合に出られない中の練習で、何か爪痕残そうと必死でやっていた。がむしゃらにルーキーらしくやっていた。それが最後の試合の得点につながったと思う。ジュビロ戦でも取った。出た試合で何か残そうとやっていた。ありがたいし、ああいう姿勢が普通というか、くさらず1年やり続ければ結果は出ると教えてくれた。ずっと努力していたし、練習試合でも結果を残していた。林くん(ベガルタ仙台GK林彰洋)と見ていて「あいつは点を取るよね」って言い続けていた。チームメートからの評価って案外出場につながるし、ピッチに立ったときにボールが回ってくる確率も上がると思う。もちろん、龍はまだできないことも多いから、今年も改善するのに必死に取り組んでいる。アカデミー育ちだし、ベガルタの顔になってほしいと思っている。そして、東北人魂で龍が伝える側になってくれたらうれしいことこの上ない。

震災は人の命をはじめ、いろいろな大事なものを奪っていった。でも、龍は「あのとき、ここまで水が来たんですよ」って言いながらも、プロサッカー選手として前向きにサッカーに打ち込んでいる。そのきっかけの一つが、東北人魂のサッカーイベントだった。未来を信じて前を見て進めば、道は拓ける。今はJ1を目指して頑張っていきたい。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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