大阪府高槻市で活動する「高槻サッカーアカデミー」。今年2023年から本格始動したチームは、教員によるスタッフで構成され、在籍するのも中体連に所属する選手たちです。クラブ設立の背景には時代の流れに合わせた活動理念とサッカーに対する情熱がありました。指導者と選手サッカーに対する代表を務める竹屋俊祐氏にチーム立ち上げの意図と経緯を語っていただきます。
―まずは設立の経緯を教えていただけますでしょうか。
竹屋 理由は大きくふたつあります。ひとつは教員の働き方による問題。現代では教員の労働時間の多さが課題になっていて、これまで教員が顧問として担当してきた部活動を地域のスポーツクラブに移行しようという動きになってきています。しかし、サッカーを教えたくて教員になった人はかなり多いんです。かくいう私がそうですし、高槻市以外の地区を見ても選抜チームを組むなど積極的な指導活動をしている方は多くいらっしゃいます。そういう先生方からすると、地域に完全移行することは、部活動を取り上げられたようで、なんのために教員になったのか分からなくなってしまいます。
しかし部活動とは別の団体を作ることで、そこで我々は引き続きサッカーの指導にあたることができます。高槻サッカーアカデミーのスタッフは全員教員です。私自身も高槻第四中学校の顧問をしながらアカデミーを見ています。
また選手もみな中学校の部活動に所属している子たちです。実は昨年までは高槻市の3年生だけを集めた選抜チームとして活動していたのですが、それがひとつのチームとして形を変えたのがこの「高槻サッカーアカデミー」なんです。
―サッカーの指導をやりがいとしている教員の受け皿になると。
竹屋 はい。そして、やる気がある選手の受け皿にもなればいいなと思っています。これが設立の理由のもうひとつです。
現在は部活動ガイドラインというものがあり、平日のうち1日、土日のいずれか1日を必ずオフにしなければいけない決まりがあります。かたやクラブチームはそういった制限はないため毎日練習や試合に励むチームもあります。そうすると部活動とクラブチームの差はどんどん広がっていきます。じゃあ、やる気がある子はみんなクラブチームに行けばいいという話になりますが、経済的な理由で通わせられない家庭も少なくありません。ですからやる気はあるけどクラブチームには通えない子たちが、このアカデミーを通して上手くなってほしいと考えています。
―そんなガイドラインがあったのですね。
竹屋 はい、教育現場にいない方には意外と知られていませんが、時代の流れとともに部活動はどんどん制限されているのは事実です。僕は12年間教師をやっていて、近年はますます中体連とクラブチームの差は開いてしまっていると感じています。中体連の中にももっと活動したいという子はいますし、もっとやらせてあげたいという保護者や指導者の方はいます。なので、クラブチームほどではないにしても、好きなだけ練習をしたり、府外に遠征に行ったりと、そういう経験をさせてあげたいなと。そのプレーの場を与えてあげたいと思ったんです。
―部活動とは別のチームを作ることが、時代の流れに合わせた活動の仕方になりそうですね。
竹屋 はい。そしてもうひとつ付け加えると、高槻のサッカーを盛り上げたいという私の個人的な想いもあります。私は高槻の中学校に赴任して7年くらい経ちますが、もともと小・中・高時代は高槻の学校に通っていました。
昔は高槻と言えば、「サッカーの街」として知られていたんです。他県に行った時に「高槻出身なんです」と言うと、年配の指導者の方からは「ああ、あのサッカーが強い街ね」と言われるくらいです。高槻南高校が全国大会に出たり、芥川高校がベスト4にいったり。でも今は高槻市内の高校は府内の大会で1回戦、2回戦で負けてしまうこともざらです。今も日本代表の守田英正選手や、ガンバ大阪の倉田秋選手、東口順昭選手など高槻出身の選手は少なくはありませんが、最近は高槻の中体連や高体連の力が落ちていて、上手い子は他の地区や私立校に進む傾向があります。
そういった現状に少しでも歯止めをかけて、もう1回高槻のサッカーを復興させたいなと。高槻の公立高校に進学して、全国大会や大阪の上位に食い込んでいけるような選手を育てていきたいという想いがあります。地元で育っている僕なりの恩返しといいますか。
―今、上手い子はクラブチームに流れがちですよね。
竹屋 もちろんクラブチームは、すごく良いと思うんです。環境も整っていますし。我々も高槻にある4つクラブチームとは上手く連携を取って、様々な取り組みを計画しています。ただクラブチーム以外にも、中体連に行っても、我々のような団体があることを知っていただいて、選択肢のひとつとして考えていただけたらいいなと。
―現在は3年生で活動をしているとのことですが、これはどういった理由ですか?
竹屋 先ほども言ったように、もともとは高槻の3年生を集めた選抜チームを私と監督の京本(尚也)で見ていたのが始まりで、今年からチームとして切り替えたんです。もちろん1、2年生のアカデミーもありますが、2年生までは中体連での活動がメインです。我々は任意団体なので、日本サッカー協会への登録はしていませんし、中体連と重複してしまうため選手登録もしていませんから、所属する選手の多くは7月末など早い段階で中体連を引退した3年生になるわけです。
―では、どういった活動をしていますか?
竹屋 高校生とのトレーニングマッチが主な活動になります。高校に入るまでの準備段階として、実戦を積んでもらうのが目的です。クラブチームだと学校を卒業する3月末まで活動はあるのに、中体連で引退した子は半年間くらい満足できるプレー環境を得られません。そこでもどんどん差が開いていってしまいます。ですから、中体連の子にも3月末まで、月に数回の高校生との試合や合宿などを通じて技術向上を図ってもらいたいんです。
―中体連で引退した子は、プレー機会がないと高校で出遅れてしまいますね。
竹屋 そうなんです。そういうことも関係しているのか、クラブチーム出身の子と比べて、中体連出身の子は自己肯定感が低く、自信がない選手が多いんです。ですから我々の活動を通じて、中体連出身の子にも「もっと自信を持ってやっていいぞ」と伝えていきたいです。高校年代でも堂々とプレーして活躍する選手を育てていく。それが大きな狙いですね。
―入団するにはどうしたらいいでしょうか。
竹屋 まずはホームページを見て問い合わせていただけたらと思います。ここまでは高槻市の学校に顔を出して説明する時間をいただき、「興味がある方はぜひ!」とアナウンスさせてもらいました。あとは中学校の先生にもご理解いただき、ビラを配ったりお手紙を送付したりして告知していただきました。その活動は時間が許す限り今後も続けていくつもりです。
―現在は高槻市がメインですが、ここから広げていこうというイメージはあるのでしょうか?
竹屋 そうですね。現在は高槻市だけですが、三島地区には茨木、吹田、摂津、島本などがあり、三島全体でやれたらいいねと話が挙がったこともありましたし、高槻市以外の学校の先生からそういう活動はありがたいと声をもらうこともあります。実際にエリアに分けて、指導者を派遣する形で広げていくことはできそうです。ただいきなり大風呂敷を広げるよりは、3年生の選抜活動を活発的にやっているこの高槻市で活動して、様子を見ていきたいなと。
―このチームの特長として、多くのスポンサーがついていることも挙げられると思います。
竹屋 はい。実は北河内にある「北河内フットボールアカデミー」というチームを模倣しています。そこも我々と同じ任意団体なんですが、地域移行が話題になる前から長く活動していて、U-15、U-14、U-13と各カテゴリーに加え女子チームもあるんです。そのチームを立ち上げた門真第二中の東義倫先生は教員なのにラジオ番組を持っているようなカリスマ性のある方で、私は以前からお付き合いさせてもらっている縁があり、アドバイスをいただいて真似させてもらっている感じなんです。北河内フットボールアカデミーはすごい数のスポンサーを集めているんですよ。
―そういったモデルケースがあったのですね。高槻サッカーアカデミーも今年からの立ち上げにもかかわらず、多くのスポンサーがついていますよね。
竹屋 私自身がこれまでサッカーばかりしてきた人間なので、関わりがある同級生もサッカーをしてきた人たちばかりなんです。なので私がサッカーチームを作るとなった時に「おもろいな、それ」と賛同してすぐに協力してくれました。私は今年37歳なんですけど、同級生にはちょうど起業する人も多くて、そういう人が声を上げてくれて本当に助かっています。正直、最初は2社くらいついてくれたら御の字だなと思っていたくらいなのですが、いろんな方々が紹介してくれて、今は10社以上が賛同して乗っかってくれました。
―それだけ魅力的な活動だということですね。
竹屋 本当にありがたいです。スポンサーをしてくれる関係者は同級生や後輩が多いですけど、企業で働いている彼らは教育現場のことは分からないんです。ご自身が部活動をやっていた時期から20年くらい経っているわけですからね。だから部活動ガイドラインとか、部活が地域移行することとかを話すと「今そんなことになってるの?」と驚いて、協力してくれるんです。
―スポンサー集めは苦労しましたか?
竹屋 ありがたいことにみなさんが共有してくれたおかげで、予想以上に集まってくれました。ただ苦労といいますか、私自身は営業の経験はなかったので、そこでサラリーマンのような働き方を知ることができましたね。社長と会うことに緊張したりとか。それはそれで新しい経験なので、面白いですね。
―竹屋さんが学生を指導するなかで一番重要しているのはなんですか?
竹屋 サッカーを通じて行いたいのは人間教育。これはずっと変わりません。サッカーの技術を教えますけど、やはり人間として一人前になってほしいんです。さきほども言いましたが、中体連の子は自信がなくて、サッカーでも技術うんぬんの前に戦う姿勢で相手に劣ってしまいがちです。そういうメンタリティを鍛えてあげたいなと。高校に上がった時に、いくら技術があっても戦えなければ活躍できませんから。
あとは感謝の気持ちを大事にできる子を育てることも心がけています。サッカーは自分ひとりでできているものではありません。チームメイトがいて、保護者のサポートがあって、我々のチームではスポンサーの協力があって、そういういろんな人のサポートがあるから活動できています。ですから、子どもたちには感謝の気持ちは常に忘れずにいてほしい。そういったところは伝えていきたいですね。
―では最後に、この高槻サッカーアカデミーの将来的なビジョンを訊かせてください。
竹屋 これは部活動の新しい形だと思っています。クラブチームと公教育の融合と言いますか。部活動が完全になくなるのは現実的にはまだ先の話かもしれませんが、その時には大会登録もするつもりですし、いつも子どもたちにプレー機会を与えられる存在でありたい。学校やクラブチームと協力し合いながら、子どもたちのために何ができるかを常に模索したいですね。
<プロフィール>
竹屋俊祐(たけや しゅんすけ)
1986年生まれ。大阪府高槻市出身。
学生時代は西大冠FC、高槻市立城南中学校、大阪府立芥川高校、東亜大学でプレー。高校では大阪府サッカー新人大会第3位、大阪府選手権大会ベスト8、大阪府年間優秀選手の実績を残した。
指導者としては、中学校、高等学校教諭一種免許状(保健体育)を保持し、大阪府立芥川高校のコーチをはじめ、高槻市立第六中、寝屋川市立第五中の顧問を歴任。現在は高槻市立第四中の顧問を務めながら、高槻サッカーアカデミーの代表として活動する。
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