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ガンバ大阪ユース/町中大輔監督

日本クラブユース選手権(U-18)大会 ・優勝記念インタビュー<br>ガンバ大阪ユース/町中大輔監督

  • 2023.08.23

    日本クラブユース選手権(U-18)大会 ・優勝記念インタビュー
    ガンバ大阪ユース/町中大輔監督

J.LEAGUE PRESS

高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
photo by @GAMBA OSAKA

ガンバユースのサッカーで立ち向かった7試合。
『とにかく嬉しかったし、選手たちのことが誇らしかった』。

日本クラブユース選手権(U-18)大会において、ガンバ大阪ユースを頂点に導いたのは、自身も同チーム出身で、長きにわたってガンバアカデミーでの指導を続けてきた町中大輔監督だ。4月4日のユースチーム監督就任から約4ヶ月。『サッカーを楽しむこと』と『捲土重来』を目指した氏がチームに求め、植え付けようとしたものとはーー。大会の振り返りと共に、監督自身の信念にも触れた。

チームワークを強調して臨んだ大会。

―第47回日本クラブユース選手権(U-18)大会での優勝、おめでとうございます。ガンバ大阪ユースとしては07年以来、16年ぶりの頂点でした。

町中 ありがとうございます。これまでは練習や試合が終わるたびに、みんなで集まって輪になって、僕が感じたことを伝えて手拍子で締めるというのがルーティンだったのですが、なぜか今大会はグループステージの初戦からそれを忘れてしまって(笑)。その流れで、今大会は「優勝まで、締めずにいこう」と決めて戦ってきたので、その言葉通り、優勝後に締めることができてよかったです。

―プリンスリーグでは思うように結果が出ない試合が続いていた中での今大会でした。選手たちにはどんなことを伝えて試合を迎えたのでしょうか。

町中 チームと、個人に対して求めたものもありますけど、まずは第一に『チームワーク』を強調して大会に入りました。特に今回は、グループステージはほぼ連日試合がありましたし、ノックアウトステージも中1日での短期決戦というレギュレーションだったのもありました。結果的に、その『連戦』をチームの勢いにしながら、また勝ち進むにつれて選手たちが結束を強めながら、本当に攻守に逞しく戦ってくれたと思っています。僕自身、そんな彼らを誇らしくも感じたし、素直に凄いなと感動すら覚えました。

試合後は味の素フィールド西が丘に駆けつけたサポーターと喜びを爆発させた。

―グループステージはFC東京U-18、ジュビロ磐田U-18、AC長野パルセイロU-18と戦い1勝2分、2位でノックアウトステージ進出を決めました。この3試合をどのように振り返りますか。

町中 今シーズンのプリンスリーグではなかなか得点を奪えていなかった中で、磐田戦こそスコアレスドローに終わりましたが、どの試合も得点チャンスは作れていたし、東京戦、長野戦ではそれが確実に得点に繋がったな、と。また守備のところでしっかり粘れるようになり、失点が減ったのも大きかったと思います。大会前は主に攻撃の練習に取り組みましたが、大会を通してその攻撃と表裏一体にある、自陣ゴールまでの守備とセットプレーへの対応は強調していましたし、結果的にそこが安定したことが結果に繋がったと思っています。

―今おっしゃった攻撃のところでは、個々が特徴を発揮しながら、流動的にのびのびとプレーしていたのが印象的でした。

町中 僕自身は「自由にやれ」と伝えているだけなので、そこは選手の判断です。普段から僕は例えば、どう攻めるか、という話をするときも、基本的なところで『誰かが幅をとったほうがいいんじゃないか』とは伝えても、それをどのポジションの選手にして欲しいということは言いません。サイドバックが幅を取るなら、サイドハーフは内側にポジションを取ればいいし、サイドハーフが幅を取るなら、サイドバックは中に切れ込んでいけばいい。僕が就任した当初は、役割を与えられないことに選手が戸惑っている感じもしましたけど、最近はクラブユースも含め、ピッチに立った選手が自分で戦況を感じ取りながら、相手の出方を見て判断を変えていけるようになってきたし、それはチームとしてポジティブなことだと受け止めています。

―自分で考え、プレーを判断していくことは、ガンバアカデミーが大事にしてきた伝統でもあります。

町中 そうですね。僕もガンバユース出身ですが、選手だった当時も今も「ゴールから逆算して、一番速いプレーを選択できるのがいい選手」だと思っていますし、それを試合で判断し、何を選択するのかを決めるのは選手自身であるべきだと考えています。だからこそ、ピッチにいる選手には常に『戦況に応じて、いろんな選択肢から何を選べば得なのか。どのプレーなら自分たちに有利に働くのかをしっかり考えろ』と問い掛け続けています。それもあって、クラブユースでも大会期間中は一度も対戦相手の映像を選手に見せていません。もちろん、自分たちの試合の振り返りはしましたし、僕たちスタッフは相手チームについての分析もします。ただ、選手にはその特徴を伝える程度で、あくまで自分たちのサッカーがありきで相手がいると強調していました。

ケガ等で出場できないメンバーの思いと共に戦った7試合。

捲土重来。名門復活の使命を力に変えて。

―グループステージを終えて、休む間もなくノックアウトステージに突入しましたが、準々決勝・大分トリニータU-18戦以降、決勝までの3試合は、より疲労が蓄積していく連戦でも先発メンバーを変えずに臨みました。

町中 ノックアウトステージだからと、特に戦い方を変えるわけではなかったので、選手には「負けたら終わりだぞ。だから後悔するな」ってことだけを伝えていました。その中でメンバーについては、確かに準々決勝以降はスタメンを変えずに臨みましたが、大会を通じてその試合の時点でパフォーマンスがいい選手をそのまま使っただけでした。もちろん、中には「なんで俺が先発じゃないねん」って顔をしている選手もいたし、実際に僕のところに先発で起用されない理由を聞きにきた選手もいました。でも、この世界は年齢、キャリアに関係なく、いいパフォーマンスを示している選手がピッチに立つべきなので。その考えを本人が納得したかはわからないですけど(苦笑)、僕自身はそれが結果を求める上での最善の策だと思っていたので、そこは貫きました。

―決勝のFC東京戦は3-3のハイスコアで延長に突入しました。一度は逆転を許しながらも、追いつき、後半アディショナルタイムに勝ち越した時には、正直、勝利を確信しました。

町中 僕もそう思って…喜びすぎてピッチの中に入ってレフェリーに怒られたくらいでした(苦笑)。結果的に追いつかれて延長戦に突入したことを考えても、相手に流れを持っていかれてもおかしくない展開でしたが、延長戦では特に、大会を通じて積み上げてきた守備のところの成長がより色濃く出たな、と。その姿は、本当に頼もしかったですし、最初に言った通り、素直にピッチで戦っている選手たちを、凄いなと思いながら見ていました。

―PK戦は7人目で決着がつきました。キッカーの順番はあらかじめ決めていたのですか?

町中 いえ、その場で「蹴りたいやつが蹴れ」という感じでした。大会前には1〜2回ほど、PKの練習もしましたけど正直、自分の経験からもPKは上手い下手より、自信を持って蹴れる選手の方が決められると思っていたので。その中で、最初の二人は3年生がキッカーに立ったし、最後も3年生が締めてくれましたが、次から次へと1年生がキッカーに名乗り出たのも頼もしかったです。僕は指導者になってからPK戦で勝ったことがなく…それもあって、最初から最後までずっと『どうなるかな』って感じで見守っていたんですが、実は最後、遠藤楓仁が決めてくれた後のことは、感情が爆発しすぎて何も覚えてないんです(笑)。めちゃめちゃ走って喜んでいましたけど…それも後から映像を見返して「ああ、そうやったんや」って感じで、その瞬間の記憶はない。とにかく、嬉しかったし、選手たちのことが誇らしかったというだけでした。

PK戦を征して頂点に。大会MVPには1年生GK荒木琉偉が選出された。

―監督ご自身は、ユース選手時代の3年間、今大会やJユースカップで準優勝や3位になった経験はありましたが優勝はありませんでした。それを監督として実現できたことへの感慨深さはありますか?

町中 もちろんです。僕のユース時代は上野山信行さんが監督で、すごくその背中を大きく感じていましたが、その上野山さんと自分が今、同じ立場にあるという事実だけでも、時間の流れる早さを感じて怖いなって思いますし(笑)、本当に感慨深いです。支えてくれたクラブスタッフ、コーチングスタッフ、そして頂点まで連れていってくれた選手に感謝しています。

―選手として戦った決勝の舞台と監督としてのそれとは、どちらの方がより難しさを感じましたか?

町中 監督業ですね。でも、難しい反面、今回のように選手が目に見えて成長していく姿を見られるのは監督業の面白さだと感じています。

捲土重来。名門復活の使命を力に変えて。

―ここからは、少し監督ご自身について伺います。ガンバジュニユース監督として指揮を執っていた最中の今年4月、同ユース監督就任を打診されました。どんな決断のもとで引き受けられたのでしょうか。

町中 正直、20年からジュニアユース監督として仕事をしてきた中で、ジュニアユースの選手のこともすごく大事に考えていましたし、僕が退いた後、彼らがどうなるのかということもあったので、すぐには決められませんでした。ユース監督として僕に何を求められているのか、何ができるのかも含めて、自分が適任なのかもすごく悩みました。でも最終的にはクラブもサポートしてくださいましたし、ジュニアユース監督の後任も、児玉新コーチが引き継いでくれるということになったので、そこは安心して任せて、自分もクラブのために、ユースの選手たちのために頑張ろうという結論を出しました。

―シーズン途中の監督交代はユースチームでは初めてのことで選手にもいろんな動揺のではないかと想像します。チーム、選手にはどんな言葉を掛けて仕事をスタートされたのでしょうか。

町中 そんな難しいことではなく、まずはサッカーを楽しんで、プレーすることを楽しんで、観ている人を楽しませられる魅力あるサッカーをしようということ、『捲土重来』という言葉の2つを伝えました。昨年、プリンスリーグに降格してしまった中で、もう一度ここからみんなで這い上がっていこう、と。そのためにもチームワークが大事だと伝えました。

―現在のユースチームには、町中監督がジュニアユース時代に指導された選手も多いですが、選手それぞれの特徴やプレースタイルを把握していることは指導をする上でアドバンテージになったのでしょうか。

町中 選手の特徴を知っていることはアドバンテージになったとは思います。ただ過去にユースコーチをしていた経験からも、高校生になると一気に大人にも近づくというか、自分の考え方もしっかり備わってきますから。中学生の時のように何でもかんでも指導者の言葉を素直に受け入れることはなく、納得しないと行動に移せないだろうということは僕なりに理解していたので、そこのアプローチは変えなきゃいけないなとは思っていました。また、ユース年代は…これは、さっきの『考えて、判断する』の話にも通じるところですが、指導者が自分で考えて行動する力を備えさせることも必要ですから。そのためには1〜100まで指導者が答えを出してしまうのではなく、時には「伝え過ぎない」ことも大切だということは、自分にリマインドして指導をスタートさせたところはありました。

―16年には海外研修のためベトナムにわたり、クラブが提携した「Promotion fund of Vietanamese Football Talent(PVF)でU-15チームの監督を務められました。そういった経験も今のご自身の指導に役立っていますか?

町中 そうですね。僕自身にとっても、日本の当たり前が当たり前ではないという環境に身を置いて仕事をしたのは、すごくいい経験になったしいろんなことを考えさせられました。日本でも、中学生年代の指導は、いろんなことをより噛み砕いて伝えなければいけないのに、そこに通訳を挟むとなると、より言葉のチョイスや伝え方も難しくなりますしね。また、これは国民性や国の文化も影響してだとは思いますが、ベトナムってイエスかノーがすごくハッキリしているんです。でも、サッカーってある意味、答えがたくさんあるスポーツで、イエス、ノーでは測れない部分もすごく多い。実際、ピッチでは時にミスがゴールにつながることもあるように、です。そのことを、イエス、ノーの色が強い文化に身を置いたことで改めて自分の中にリマインドできたからこそ、頭ごなしにこちらの考えを押し付けるのではなく、イエスがノーに、ノーがイエスになるのがサッカーだということは今も意識して指導にあたっています。

喜びを爆発させる町中大輔監督、明神智和コーチ(右)、佐野智之アカデミーリードGKコーチ(左)。

―Jリーグ発足時からガンバアカデミーは育成モデルとして高く評価されてきましたが、近年は少し元気がない状況が続いています。『捲土重来』を目指す上で、改めてご自身はどんな使命を感じているのかを教えてください。

町中 もちろん、周りから見れば近年の成績を含めて、少し元気がないと思われるのは致し方ないとは思います。ただ、僕自身は、自分が選手として在籍していた時代を含めて、ガンバアカデミーとしてこだわっていること、大切にしていることの軸は大きく変わってはないと思うんです。実際、クラブとしても僕自身も、昔も今も変わらず、技術、戦術を含めて個人の育成は大事にしていますし、育てた選手をトップチームに輩出しなければいけないと思っています。ただ、そのためには、時代の流れ、サッカーの変化に応じて、僕たち指導者もいろんなアップデートはしていかなければいけないし、逆にそれがないとアカデミーとしての成長も求められないのかな、と。その部分に関しては、近年なら、ユースチームのコーチに、ミョウさん(明神智和コーチ)やオグリ(大黒将志コーチ)らプロサッカー選手として経験豊富な彼らのエッセンスを取り入れていますが、新しい変化を加えることも大事な要素だと感じています。と同時に、かつてトップチームが数多くのタイトルを獲得していた時代は、アカデミー出身選手が数多くピッチに立っていたという歴史を踏まえても、トップチームに昇格するだけではなく、そこで活躍できる選手育成は僕たちアカデミースタッフの使命だとも思います。それによって…今の時代は、いろんな魅力あるサッカー、チームがたくさんありますが、最終的には「やっぱりガンバのサッカーは魅力があるね」「観ていて面白いね」「やっていても楽しいよね」って思われるクラブであるように、そういう姿を見て「ガンバでプレーしたい」と思う子供たちが増えていくように、自分自身も指導者として、努力を続けたいと思います。

―クラブユースの後、チームはすで国内最大のサッカーフェスティバル、第11回MCCスポーツ和倉ユースサッカー大会に参加したり、8月17日からは韓国遠征も予定されています。最後に、改めて8月26日に再開するプリンスリーグに向けた決意を聞かせてください。

町中 和倉ユース、韓国遠征、国体も含めて、いろんなカテゴリーのチームと、いろんな環境で戦う中でも、改めて選手にはここからはもう一度『競争』だということを伝えましたが、選手それぞれの表情を見ていても、クラブユースでの優勝が自信につながっているのはすごく感じます。ただ、一方でクラブユースに絡めなかった選手の中には少し気持ちの面で遅れを取っている選手がいたり、その場にいられなかった悔しさを反骨心に変えて伸びている選手もいるというように、やや温度差があるのも事実なので。そういう選手個々の差をできるだけ縮めながら、いい競争の中で選手それぞれの成長を求めたいし、それをチーム全体の底上げに繋げてプリンスリーグでも巻き返していければと思っています。

表彰式ではガンバユース一期生の、日本サッカー協会専務理事・宮本恒靖氏からトロフィーを受け取った。

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