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Vol.111 国立で戦うということ。

  • 2024.11.05

    Vol.111 国立で戦うということ。

発源力

©FCMZ

11月9日は今シーズン4度目となる国立競技場で、FC東京戦を戦います。ここ5試合は白星のない、苦しい戦いが続いていますが、僕たちにはまだ『タイトル』の可能性が残っています。この終盤戦での結果を受けて、周りは「失速した」とか「町田の優勝はもうないだろう」と見ている方も多いかも知れませんが、僕たちは3位にいて、首位・ヴィッセル神戸との勝ち点差は7です。残り3試合と考えても当然、覆すのは簡単ではないし、FC東京戦の結果が自分たちの可能性を繋ぎ止める上で重要な試合であるかは言わずもがなですが、僕は微塵も諦めていません。と同時に、クラブにとって初めてのJ1リーグで、みんなで我慢強く積み上げてきた勝ち点を、今シーズンだけではなくFC町田ゼルビアの将来につながるものにするためにも、この残り3試合で自分たちがどんな戦いをして、どんな結果を得られるのかは、大きな意味を持つと思っています。ゼルビアが紡いできた歴史を考えても、今、そのユニフォームを着てピッチに立つ選手には、そこに携わってくれた色んな人の思いを繋げ、戦い抜く責任があります。東京戦はその思いを今一度みんなで繋ぎ合わせ、プレーで表現する試合にしたいと思います。

『国立』が東京五輪を境に生まれ変わってから、近年は僕らのようにリーグ戦のホームゲームとして国立を利用するチームが増えました。それによってサッカーにおける『国立』のイメージが以前とは少し変わりつつある気もします。ですが、僕にとっては今も変わらず、特別な聖地です。近年でこそ日本代表戦は埼玉スタジアムで開催されることが増えましたが、以前は『日本代表戦=国立』のイメージがあったし、元日の天皇杯に始まって、カップ戦の決勝戦は決まって国立で開催されていたことを思い返しても、です。

その『国立』には個人的に、特別な思い出がいくつかあります。それこそ、本気で『国立』への憧れを強くしたのは米子北高校時代。当時、高校サッカーでプレーする誰もが高校サッカー選手権大会の『決勝・国立』に夢を抱いたように、僕たちもそれを合言葉に3年間を過ごしました。もっとも、自分たちの実力や他県との力関係を想像して、心のどこかでは「絶対に立つことができないだろうな」と思っていたのも正直なところで……。そういう意味では夢のまた夢の舞台だと思っていました。

そんな僕らが奇跡的に国立に近づけたのは高校2年生の時に戦った高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会です。そのグループリーグを2勝1敗で突破した米子北高は決勝トーナメントに駒を進め、初戦のジェフ千葉ユース戦に勝ってベスト8に進出しました。当時の高円宮杯は、準決勝から国立で試合ができることになっていたため、あと1つ勝てば、国立のピッチに立てるというところまで上り詰めたのです。ですが、準々決勝・三菱養和SCユース戦は0-2で惨敗。ボールに触れる気がしなかったというくらい、手も足も出ないまま試合を終え「やっぱり国立は遠かったな」と思った記憶があります。

プロになって、初めて『国立』の舞台に立ったのは鹿島アントラーズでのプロ1年目、2011年のJリーグヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の決勝・浦和レッズ戦です。正確にはメンバー入りしただけで、プレーはできませんでしたが、満員の国立、両チームのサポーターで真っ赤に染まったスタジアムに身震いしたのを覚えています。

そして、初めてプレーしたのは、その翌年、12年のナビスコカップ決勝戦の清水エスパルス戦です。直近のJ1リーグ戦でも清水と対戦し、敗戦してしまったことを受け、本職ではない僕がいきなり左サイドバックで先発に抜擢された試合で、初めて固定式ポイントのスパイクで臨んだことも印象に残っています。というのも、センターバックを本職とする僕は普段、天候やピッチ状況に応じてポイントを変える前線の選手とは違って、一年中、ポイントが長くて芝に刺さりやすい、取替式のポイントのスパイクを履いているからです。なのに、決勝戦があまりにも晴天に恵まれ、あまりにも芝のコンディションが良かったこともあり、また、サイドバックを預かったこともあって、初めて固定式ポイントのスパイクで臨みました。結果、2-1。スタジアムの雰囲気にも背中を押されて、大会連覇に貢献できたのがすごく嬉しかったし、自信を掴んだ試合として記憶しています。ちなみに、一度も足を滑らすことはなかったです! 

また、僕のJリーグ初ゴールも実は、14年の国立でのJ1リーグ開幕戦で決めました。ヴァンフォーレ甲府のホーム、山梨中銀スタジアムが大雪の影響で使用できないことになり、急遽、会場が変更された試合です。僕にとってはプロになって初めての『開幕スタメン』で、いい緊張感のもとでピッチに立った記憶がありますが、2-0で折り返した後半立ち上がりに、満男さん(小笠原)のフリーキックをニアサイドでバックヘッドっぽく合わせてゴールを決めることができました。

そんな過去の記憶も相まって、今も僕にとっての『国立』は特別な場所。何度プレーしても、慣れることはなく、毎回、襟を正すような気持ちでピッチに立っています。ゼルビアとしては4度目とはいえ、ここでプレーできるチーム、選手はごく限られていることを考えても、その幸せを忘れてはいけないとも思います。

ましてや、今シーズンの国立での試合を振り返ると、4月のヴィッセル神戸戦での39,080人に始まって、7月の横浜F・マリノス戦は46,401人、8月の浦和レッズ戦は48,887人もの方たちが国立に足を運び、試合を盛り上げてくださいました。普段、町田GIONスタジアムでのホーム戦における観客数は、12,000人前後だと考えてもすごい数字です。クラブ関係者の尽力もあってそれだけの人たちが集まる国立でプレーできている事実に、チームとしての成長を促してもらっているところも多分にあると感じています。

また、国立で試合をする場合、どちらかのサポーターということではない、たくさんの『サッカーファン』が足を運んでくださっていることからも、その前で試合をすることは、ゼルビアのサッカーを知ってもらう意味でも、新たなファンを獲得する上でもすごく意味があると感じています。あくまで僕の体感ですが、国立での試合を重ねるごとにゴール裏のサポーターの数が増えているように感じるのも、すごく心強いです。

そうしたたくさんの感謝をリマインドして9日、国立でのFC東京戦に臨みます。過去3試合はいずれも白星を掴めていないだけに、絶対に勝ちたいし、勝つことでしか味わえない国立の景色を、ゼルビアに関わる全ての人たちと楽しみたいと思います。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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