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Vol.4「サッカー人生の原点、なかのFC」

  • 2023.05.25

    Vol.4「サッカー人生の原点、なかのFC」

絶康調

©︎東北人魂事務局/佐野美樹

2022年から、サッカー選手としてのオレの原点とも言えるなかのFCの代表を務めている。なかのFCをつくった代表の千葉忠志さんが、なかなか練習に来れなくなっちゃっていた。管理する人いなくなってなかのFCをつぶしたくないと思っていた。思いを引き継いでほしいという話は鹿島時代から聞いていたから、ベガルタ仙台に移籍して地元に帰ったタイミングで代表となった。なかのFCの創立は1987年、オレが生まれたころ。最初にお兄ちゃんが入ってオレも幼稚園のときに続いた。今とは環境が違って、昔はとりあえずボール蹴ってサッカーで遊べればいいって感じだった。スパイクを持っていなくても、学校の体育で着る体操服でもよかった。そんな頃からなかのFCにはマイクロバスがあった。少年団で自前のバスって珍しいよね。いろいろなところに連れて行ってくれて、とても楽しかったのを覚えている。夏休みや春休み、土日にも東北各地に遠征していた。親が同行しないので、身の回りのことは全て自分の責任でやらないといけないので、自然と子供は成長すると思った。

実はあまり千葉さんからサッカーは教えてもらってない。千葉さん自身も「サッカー分かんない」って自分で言っていたぐらいだし。確かにサッカーを本格的にやってきた人のボールの蹴り方じゃなかったな。だけど、駄目なものは駄目って言う人で、あいさつとか片付けとか礼儀に関しては厳しかった。実は宮城県で一番Jリーガー輩出したのはなかのFC。武田英寿、道渕諒平、そしてオレ。小さな少年団から3人もJリーガーが出たのってなかなかすごくない?そう考えるとサッカーってがみがみ教えすぎるのはよくないんじゃないかと思う。人間性を徹底的に磨いたほうが、上手になるためにいろいろと考えて勝手に伸びる。オレの自分から言い過ぎないというやり方も、なかのFCでの経験が根底にあるからなのかもしれない。めちゃめちゃ上手な子でも芯が強くないと、自分よりうまい子が現れると諦めて辞めちゃう。最後までやり続けるというか、負けないように練習し続けるとか、気持ちの面に関しては小学校のときにしか言えないこともあるし、そういうスピリッツは自然と染みついていく。これは千葉さんのおかげだと思う。特にあれこれは言われていないんだよ、ずっと見守っていてくれていた。負けて怒るわけでもないし。ただ、いつもできていることをやらないと「なんでしないんだよ」って怒ってた。勝った負けたより、全力を尽くしたかにフォーカスしていた。千葉さんの教えは今でも心のよりどころだ。

千葉さんもさすがに年なのか、数年前に目を悪くしてマイクロバスの運転とかできなくなっちゃってさ。いったんそのタイミングでなくなりそうになり、OBに引き継いでもらいたいって話していた。そうしたらもうオレしかいねえじゃんって思った。だったら自分が経験したものとかを地元の宮城県で還元する第一歩として、まず近くからということで代表に就いた。最初のミッションは、信頼できる人材を確保すること。ちょうどベガルタのスクールにかつて鹿島のスクールで教えていた柏貴洋さんがいて、やるなら柏くんしかいないと思って動いた。2人で会って話して、オレの思いなどを伝えたら乗っかってくれた。結果的にベガルタから人材を引き抜いちゃった。それでもオレにはその人しかいなかった。鹿島で一緒だったし、高校時代国体でも一緒だった。もちろん筋は通したよ。ベガルタ側も「いいことだよね」って言ってくれた。ベガルタの人たちも、宮城県のサッカー環境全体をもっともっとよくしたいという思いがあると感じた。だからオレの考えを尊重してくれたんだろう。考えや経験を落とし込める。子どもたちにとっては絶対いいことだと感じたからそんないい人材を手放してくれたんだと思う。普通は「いいよ」って言わないよ。

最初のほうはオレも現場にも入って教えた。とはいっても、千葉さんの教えだけね。あいさつしよう、荷物をきれいに整えよう、最後の片付けをちゃんとやるようにと口酸っぱく伝えた。千葉さんの思いとして、ジュニアユース(中学生)のチームをつくってほしいというのがあった。いったんつくったけどうまくいかなかった。今はその準備をしているところ。ジュニアユースをつくって子どもの選択肢を増やしたい。ただつくるんじゃなくて、自分の考えとかをしっかり落とし込めるようなチームにしないといけない。小学生が進路に迷わないような場所を用意しておくのも大切。来年4月に始動というか、大きな大会がなくなる6年生が練習できるようにするためにも、年末には準備できていないといけないねと柏くんとは話している。最終決定はオレがするけど、基本的には柏くんに託している。オレの本業はサッカー選手。でも空いている時間はある。その時間を子どもたちのために充てている。

強いチームにという野望はないかな。勝負にこだわることも大事だけど、それ以上に子どもの成長が大事。勝負するのは中学や高校からでもいい。そこで存分にこだわればいい。子どもの成長曲線ってバラバラじゃん。中学校で身体能力がぐっと伸びる子どももいる。6年生で芽が出ていなくても、そのときに教えることをしっかり教えておけばいい。中学校になって体がついてきたときに技術と心があれば、いくらでもチャンスはある。不屈のメンタリティーを身につけてほしい。ボールを奪われたらすぐ奪い返しにいく、チーム全体が落ちていたら声を出して励ます、勝っても負けてもきちんとあいさつをする。根底にあるものがしっかりしていれば、成長できる。そういうことをしっかりやっていて、勝てるチームになることが理想だ。地域の企業から応援してもらえるチームになって一緒に盛り上がっていきたい。WINWINの関係を築きたいと思ってスポンサーも募った。どこの企業にも「子どもたちのために」という気持ちがある。スポンサーまわりも人を雇わないとできないし、運営は大変だけど楽しい。一つの目標に向かってやっていくのが楽しい。柏くんと「こんなチームにしたいね」っていつも話している。中学校からお世話になった塩釜FCもあって、岩沼市にはゴーシ君(元ベガルタ仙台FW大久保剛志、タイリーグで活躍中)のチームもある。3チームで今までにないチームをつくろうというか、裾野を広げて宮城の子どもたちのサッカー環境を整えていきたい。サッカー協会とも手を取り合って進めていきたい。そういうことも宮城に戻ってきたオレの仕事だと思っている。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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