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Vol.48 大豆戸FC 代表/末本亮太

  • 2022.08.31

    Vol.48 大豆戸FC 代表/末本亮太

指導者リレーコラム

神奈川・横浜市でその存在感を大きくしている大豆戸FC。代表の末本亮太さんは子どもの頃に影響を受けた“学校の先生“とは真逆の指導方で、誰よりも楽しみながら子どもたちと向き合っている…。地元に根付く街クラブとして「ちょっとだけ自慢できる」チームを目指し、奔走する日々に迫った。

―早稲田大学ア式蹴球部監督の外池大亮さんからご紹介いただきました。お二人のご関係を教えてください。

末本 外池さんの地元が大豆戸町で、彼が大学生の時からクラブの手伝いに来てくれていて、プロサッカー選手(外池さんはマリノス、湘南ベルマーレなどでプレー)になってからも携わってくれました。彼は地元のヒーローで、現役時もクラブに来て中学生に指導してくれたりしていました。主体性を持つことや、経験など、それぞれ大事にしているところで共通することが多いです。私も早稲田大学出身で、そうした共通点もあってすぐに意気投合しました。外池さんが今は大学の監督として指導現場に戻ってきたので、主体性を持って取り組むことや、大学でサッカーをやることの価値、サッカーだけでなく社会の中にあるサッカーの意味、価値、一大人としてのあり方の大切さみたいな話はよくします。

―大学生の時から交流があったのですね。改めてですが、大豆戸FCができた経緯やクラブのことをお聞かせください。

末本 大豆戸は2004年に地域のボランティアクラブがNPO法人化されたクラブです。私は当時大学生でアルバイトとして関わっていました。当時では珍しいくらい、子どもを叱ったり罰を与えるような指導とはまったく逆の指導方針を取っていて、褒めて伸ばす、子どもの考えたプロセスを大切にするやり方でした。当時のスタッフはほとんどが体育会系育ちだったのですが、不思議と大切にしていることが同じ仲間が集まっていました。

―たしかに、今でこそそうした指導が多く見られますが当時ではかなり珍しい気がします。

末本 今思い返しても貴重でしたね。2002年の日韓W杯イヤーに僕らは大学生で、それぞれにそれなりに厳しい環境で育ってきたんですが、選手たちを走らせたり、罰走や、どなることもなく…。逆にまだ若いお兄ちゃんみたいな感じだったからかもしれないですけど、子どもたちもなついてくれて、そしてだんだんと成果が出てきたことも大きかったかもしれません。

―地元の学生がボランティアに近い形で来るような面からも、街クラブとして地元に根付くことは当初から大事にされていたのですか。

末本 当時から地域の誰でも入れるボランティアチームだったので、そこはごく自然とやっていきました。ただチームが強くなるにつれて、だんだんと遠く、外を見るようになってしまう。地域とのつながりが薄くなってしまうこともあったのですが、ある時から地元の人たちと協力することで地域が盛り上がることや仲間になる感覚を味わって。それは中学生のチームを立ちあげた時に感じたことです。

―中学生のチームを立ちあげた時に感じたこととは。

末本 小学校時代は地域のチームにいて、中学生になって大豆戸に入る子が出てきた時、仲間になっていく感覚がすごく芽生えたんですね。「大豆戸っていいな」って話を子どもたちや保護者の方からも聞くようになり、ライバルチームにいた小学生が卒業してから大豆戸で指導を受けて、「良いチームだよ」って応援してくれる、それは現役の時だけでなく卒業してからも、良いサイクルができた。やはり地域の人たちと一緒にやったほうが楽しいですし、ゴールは達成しやすいというか。そういったことをすごく感じました。

―街クラブならではの良さですね。末本さんご自身は大学時代からアルバイトでクラブの指導に携わっていたとのことですが、元々指導に興味を持っていたのでしょうか。

末本 早稲田大学の教育学部出身で、教員免許の取得は浪人の反動や大豆戸での時間があまりにも楽しすぎて途中で挫折してしまったのですが、結果的に先生には向いていなかったと思います(笑)。ただ、当時から教育現場やコーチに興味がありました。私は一度卒業して就職をしましたが、その時も企業で、個性が異なる大学生のアルバイトの子と接しながら「どう伝えたら力が発揮できるのか、チームが力を発揮するのはどうしたら良いか」の試行錯誤で得たものと成功体験が自分の中にもあって。それをクラブに戻ってきた時に生かしたいな、とは思っていました。

―人に伝える楽しさを一般企業でも感じたということですね。就職先ではどのようなお仕事をされていたのですか。

末本 「フォーシーズ」という会社で、主に「ピザーラ」などを展開し、多岐に渡る展開をしています。すごく面白い会社で、年齢、学歴を一切重視しない、面白い人材が揃っていました。そういった企業風土で3年間働いたのですが、そこで試されることはたくさんありました。
初めて行く地方店舗で人間関係をどう作るか? 対、人というところでどのような行動やスタンスを持つことが大切なのか?社会人として大切な始まりをこのような環境で働けたことはすごく自分のためになりました。

―今の指導にも生きている。

末本 経営、マーケティング、人材育成、などもやっていたので、ビジョン、ミッションの重要性、クラブをどう経営していくか、顧客満足度やサービス、従業員満足度、社会的責任などといった視点も学びました。他にも、実際に自分の店舗の大学生を伸ばすため、弱点ではなくて良いところを見る、適材適所にどう配置していくか、チームはどういうふうに構築していけばまとまっていく、成果を出していけるか、などその社会人経験の中で学びました。

―指導者そのものに興味を持った背景には、ご自身の幼少期や学生時代も影響しているのでしょうか。

末本 そうですね。小学校5年生の時、僕らのクラスがいわゆる学級崩壊をしていて、めちゃくちゃだったんですよ。6年生に上がるところで、新しい先生が来たんですけど、それはインパクトがある先生でした、いわゆる建て直しとして適切な先生だったんでしょうけど、本当に印象に残っています。生徒が、学級が、変わっていく姿が鮮烈で、日々の授業もとんでもなく面白かった。あとはその先生が来ていきなりサッカーチームを作ったんです。当然、僕らも入ったんですが、サッカーと学校の2つのコミュニティの中で大きく僕たちは変わっていきました。その時に先生というか大人っていいなと初めて感じて、自分の中で大きく変わった瞬間でした。今その先生は、週末はミュージシャンとしてステージにも立っていて、もう50代後半だと思いますがバリバリ現役をやっている。当時からバイタリティ溢れる先生でした。
私も一人でもそうやって子どもたちに影響を与えられる大人でありたいな、とは思いますね。

―サッカーもそれがきっかけで始めたのですか?

末本 私は低学年までソフトボールをやっていたんです、ちょうど先生が来た時くらいにサッカーを始めたんですよ。本当にバッチリのタイミングで、どんどんサッカーにのめり込んでいきました。

―その先生も末本さんと同じように褒めて伸ばす指導方の先生でしたか?

末本 面白いことに真逆ですね(笑)。怒るとそれはそれは怖くて、今では考えられないけれど、学校ではケツバットやおでこにデコピンなどありました、もちろん愛は感じていましたよ(笑)。サッカーのゲーム中は、直接的な指示が非常に多かったですね。
ゲームと先生の大きな声はセットでした(笑)。こういった指導を受けましたが、私が感じたのは、先生がいなくなった時に何も考えられなくなる。中学生になった時に先生の声がなくなって、どうしたらいいかわからなかったんですよ(笑)。そんな自分の経験もあり、学校での面白い授業や面白いゲームといった側面は取り入れつつ、サッカーの指導やゲーム中のコーチングについては自分なりに変えました。

―ご自身の経験から今の指導スタイルができあがったのですね。大豆戸FCの活動理念にある「ちょっと自慢できるクラブ」の「ちょっと」を入れた理由が気になります。

末本 子どもにとっては学校という日常があります。学校は時間割通りに生活し、先生もいて、人間関係、勉強など大変なこともたくさんあります。親御さんは日々働いていて、色々なストレスを抱えているかもしれない。そんな日常とは別に、週末は特別な時間、空間になってほしい。子どもたちは、決められたものではなく、自分がやりたいからサッカーをやり、行き帰りの会場までのプロセス含め、自分たちで考えて旅に出る。ピッチの中では、自分で決められることがたくさんあって、1人ではなく、仲間と一緒にその瞬間を楽しんでほしい。
親御さんには、サッカーを一生懸命やっている、楽しそうにボールを追っている、勝ち負けに一喜一憂している、そのような我が子の姿を見て幸せを感じてほしいし、子どものサッカーという共通項で知り合った保護者同士の出会いや時間もクラブに入ったからこそ大切にしてほしい。週末の食卓を、平日とは違う空間にしたいのです。
全国的に名の知れたJクラブではないけれど、そんなクラブに通っていて、こんな幸せな時間を過ごせ、ちょっと自慢したいそういうクラブが地元にある。そう想ってもらえるクラブを目指したいですね。

―深い意味が込められていますね。先ほどクラブとして成果が出ているといったお話もありましたが、実際に現在J2得点ランキング首位を走る横浜FCの小川航基選手、なでしこジャパンの宮川麻都選手と、プロへ羽ばたく選手も増えています。チームが大きくなっている実感はありますか。

末本 選手たちが本当に頑張ってくれて、プロに行く選手が増えてきた現状はあります。ただ僕らのスタンスは何も変わっていなくて、誤解を恐れず言うならばプロになるとか、大会で優勝するとか、そこは一番には考えてはいない。とにかく目の前の選手たちが楽しめる場所を創り、どうしたら成長できるかをスタッフ全員で考えて、間違っていたら「改善 改善 改善」していく。でも、俯瞰して詰め込みすぎず次のステージに向けて余白を残すこと。サッカーのゲームの勝った負けたが人生の全てではないですし、クラブの全てでもありません。プロになる選手も増えてきましたが、プロ選手に限らず、あらゆる業界で活躍する人材が出てくるのが私の理想でもあります。だからこそ、多感な年代にどんな経験をするか、どんな大人に出会えるか、どんな仲間に出会えるか、はとても重要だと考えています。

―楽しむことを前提にする中で、サッカーで大事にしていることはありますか。

末本 我々は学年で定員制を設けていて、その人数以上は取らない方針です。人数は32人、なぜかと言うと、全員が試合に出られる環境を作りたいから。指導者もきちんと見てあげられる人数で、全員にできるだけ同じプレー時間を提供してあげて、とにかくサッカーをプレーしてほしいし、楽しんでほしい。

―クラブの人気も相当だと思います。

末本 小学生は誰でも入れる形ですので、多い学年で18人待ちといった学年もありますね。中学生は、セレクションという形を取らせてもらっていますが、有難いことに毎年多くの方が希望してくれます。

―代表に就任されてから6年目です。積み上げとして感じることはどんなことですか。

末本 指導方針に共感して頂ける方がクラブに増え、また問い合わせ含め、入会希望者がクラブのビジョンやミッションに共感して集まってきていることですね。我々は広告宣伝などは一切しないのですが、本当にたくさんの方からメッセージを頂きます。また、応援してくださる企業さんが増えたこと、親御さんが卒業してからもクラブを応援してくれること、卒業した子が戻ってきてくれることも増えました。働くスタッフにおいても、高知県から理念に共感し、ここで働きたいというスタッフが今働いています、採用条件として大切なのは理念であり、そういった点でも積み重ねを感じます。

―積み上げが重なる一方で、課題として捉えていることはありますか。

末本 もっと子どもたちを見てあげたいですね。試合もしっかりやりたいし、中学生に関しては心のケアも必要になる。怪我もあるし、勉強との両立もしないといけない年代。サッカーから離れてしまう子がいると寂しいし、責任を感じます。そこはもっとやっていきたいですね。あとは会費。僕らは今、会費をいただいてやっていますが、将来的には0円と言えば極論ですけど、理念に共感していただける方に応援してもらいながら、なるべく会費をいただかないでやっていけるクラブでありたいという目標は持っています。

―会費0円は現実的に高いハードルだと思いますが、企業へのアプローチも力を入れているのでしょうか。

末本 SNSを使ったり、直接お会いしたり、自分たちがやっていることを今は誰にでも伝えられる時代なので、そこは率先してやっています。現場に立つだけでなく、視座をあげて自分たちのやっていること、取り組んでいることの価値を発信していくことも大切だと思っています。

―末本さんの1日のスケジュールがかなりハードそうです。

末本 そうですね、悩みもたくさんありますけれど、私はこれを仕事と思ったことはないんです。好きというか、使命というか。サッカークラブで働いているスタッフたちも幸せになってほしいし、こどもたちの日々の環境をどうすればもっといい環境になるかと日々考えています。大変さもありますけど最高に楽しい日々です。

―指導者も思いきり楽しんでいるのですね。

末本 子どもは大人を見て育ちますからね、何かを見せようとは思ったことはないですけれど、大人の在り方というのは、子どもの成長にとって、とても重要だと思います。

―ご自身もお子さんがいらっしゃいますよね。

末本 小学5年生と3年生と3歳の3人です。我が家がつい後回しになってしまうので、選手たちにオンとオフを切り替えろと言う以上、自分も家族との時間も充実させないといけないと感じています。昔だと土日は現場ばかりで家族と過ごす時間がないのが当たり前でしたけれど、そこも変えていこうと考えています。スタッフも土日の夜は家族で食卓を囲んでほしいですし、選手たちも同様です。
そういった視点で、我々のクラブの活動時間は短いんです。基本的に1日2,3時間。週末はサッカーだけで終わるではなく、サッカーの後にも時間を作ってあげたい、親御さんと子どもがどこか遊びに行けるようにしてあげたいと。1日拘束はやはり大変ですし、家族にとって貴重な週末を有意義に過ごしてほしいですしね。

―大忙しの末本さんですが、フットサルの指導資格もお持ちのようで。なにかきっかけはあったのですか。

末本 一時期我々のクラブの子どもたちがあるフットサルチームに通いだしたことがあったんですよ。何がそんなに魅力なのか知りたくて見学に行ったら、すごく面白くて。フットサルは5対5なのでサッカーより細かいことが行われていて、ボールに触る回数、ゴールに関わる回数が多い。子どもたちが何より楽しそうだった。それを見て我々もやらないといけないと感じて、フットサルをやろうと。やるには、知識も当然必要だからライセンスを取りに行きました。正直それまでミニサッカーくらいに思っていましたが、すごく奥深さがあって細かい。サッカーにも生きる大事な要素がたくさんあると気がつきました。その後、神奈川県の大会で1度優勝することができましたが、もっと突き詰めていけばサッカーとリンクすると思っています。

―負けず嫌いな面も見えます。

末本 どんな試合もやはり負けたくないですからね(笑)フットサルスクールに通い出した選手の存在によって、自分たちに足りないものがあったことを気付かされた、足りないところは認め、そこは学んでいく、プラスの負けず嫌いだと自負しています。

―子どもや大人、様々な交流を通じて、指導者として今まで印象的だったことはどんなことでしょう。

末本 保護者の方との時間ですかね。30代の頃は、お父さん方から飲み会でご一緒しながら色々とビジネス、経営のことなどを教えて頂きました。他分野の方が集まったお父さんたちによる分科会、「これからの大豆戸FCを考えよう」など、多岐に渡りました。それが今の私の基盤、クラブの礎になっています、

―まさに地域一体となって育ったクラブですね。

末本 当時はクラブがチームからクラブへと、家業から企業へと変わっていく過渡期でした。そういったフェーズで、保護者の方と近い距離感で共にクラブへ成長させていったプロセスは本当に財産です。

―今後クラブとしてどうありたいか。理想像はありますか。

末本 自分のグラウンド、拠点を作りたい思いはあります。街を歩いた時にふらっと立ち寄れるような、OBが戻ってこられるような場所ですね。今は地元の小学校グラウンドを使ったりしているので。最初はなんでも良くて、地域で小さな駄菓子屋を経営して、駄菓子を売ってるみたいのでも良いんです(笑)誰もが気軽に立ち寄れる場所を創りたいですね。

―実現に向けての動きはあるのでしょうか。

末本 地域ではいつも空いている物件や土地を探していますし、スポンサーさんとも話をしています。ネットワークは広がっているので、ゆっくり着々とって感じですね。今はOBの方のご協力で関東大会などは応援金だけで、参加する子どもたちの負担はなしで行けるようにもなっています。先日見かけましたが、筑波大蹴球部がグラウンド改修のためにクラウドファンディングをやっていましたが、あのくらいのチャレンジをしたいと思っています。これは信用と実績だと思うので、筑波大の活動を見た時は、やはり積み重ねだと感じました。

―大きな目標ですね。ご自身のこれからについてはどうお考えですか。

末本 一つは、これまで小学生に関わることが多かったですが、より大人に近い中学生年代に関わる機会を増やしていきたい。私も40代半ばになり、伝えられることもまた変わってきたので。あとはクラブに制限せず、もっと自由になりたいなと思っています。今は大豆戸というクラブでしか指導はしていませんが、より様々な地域で子どもたちにフラットに指導して、「こんな大人がいるんだ」「こんな指導があるんだ」「サッカーは楽しい」という刺激を与えていきたい。サッカーに限らずそういう場を作りたい気持ちがあります。

―ありがとうございます。それでは次の指導者の方をご紹介ください。
名古屋FC EASTの中尾さんです。とある大会の前日の調整相手を探していたところ紹介されて試合をしたのが約10年前、運命の出会いだと思うほどサッカー観含め、価値観が合う方です。

<プロフィール>
末本亮太(すえもと・りょうた)

1978年4月11日生まれ。東京・町田市出身。横浜翠嵐高を経て早稲田大学教育学部を卒業した後、(株)フォーシーズに就職。3年間の社会人経験を積んだ後、NPO法人大豆戸FCの指導者に。2014年から同クラブ代表に就任。JFAのB級ライセンス、フットサルC級ライセンス保持。

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