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Vol.133 記憶に残るゴール。

  • 2025.10.07

    Vol.133 記憶に残るゴール。

発源力

AFCチャンピオンズリーグ・エリートのジョホール・ダルル・タクジム戦への遠征を含め、アウェイ連戦が続いてゆっくりパソコンに向かう時間がないため、J1リーグ第32節・ファジアーノ岡山戦が終わった直後にコラムを書いています。というわけで、今回は岡山戦の話にしようと思います。

この試合を迎えるにあたり、僕らはリーグ戦で4試合勝てていない状況にありました。後半戦に入り第20節・湘南ベルマーレ戦から8連勝を含む9戦負けなしの戦いを続けてましたが一転、苦しい戦いが続きました。中でも32節・京都サンガF.C.戦は3試合ぶりに先制点を挙げることができ、ようやくサポーターの皆さんに勝ちを届けられるかも、という状況下、後半アディショナルタイムに追いつかれて引き分けに終わってしまい…。ということもあって直後のロッカールームでは、僕のキャリアで一二を争うほどの勢いで仲間に声を荒げていました。

僕はこの京都戦を前に、また試合が始まってからも、ハーフタイムでも、チームに向けて口酸っぱく言い続けていたことがありました。細かい部分は戦術にも関わるので伏せますが、簡単に言うと、京都のような攻守の切り替えが速い相手に対する『ペナルティエリアでの対応』について、でした。
「エリア内で簡単に足を出すな。浮いたボールには、勇気を持って頭をしっかり出していこう。軽率なプレーだけは絶対にするな」
 にもかかわらず、この試合はそうした軽いプレーが散見し、70分には相手にPKを与えてしまいました。そこは晃生(谷)がビッグセーブで防いでくれましたが、そのタイミングでも、僕は同じ言葉をチームにリマインドしていました。ですが、後半アディショナルタイムにまたしても似たような過ちを繰り返してしまい…。そのPKを決められて土壇場で追いつかれ、引き分けに終わったのは見ての通りです。言うまでもなく、自分たちより上位を走る京都戦は僕たちにとって『6ポイントゲーム』というべき大一番でした。そこでチームとして同じミスを繰り返し、自分たちで勝点を逃すような戦いをしてしまったのがどうにも情けなく、悔しく、ロッカールームではその感情をそのままみんなにぶつけました。
「ゴール前のシーンで、頭を出してきた京都と、足を出した俺らの差や。ああいう局面での差が試合の結果を分けたんじゃないんか!」

前置きが長くなりましたが、岡山戦はその京都戦から中3日で迎えた試合だったこともあり、僕自身も改めて大きな責任を自分に向けて臨みました。厳しい言葉を仲間にかけた責任からも、中途半端なプレーは絶対にできないというプレッシャーもありました。それだけに、まずは自分のタスクである『無失点』で終えられてホッとしたし、加えて、勝利を引き寄せる決勝ゴールを決められたのも素直に嬉しかったです。
正直、0-0で時計の針が進んだ試合終盤、守備を預かる僕たちとしては、攻め急いで相手にゴールを許すことだけは避けようと意思統一していました。それをベースに相手ゴールに迫ることができれば、と思っていましたが、僕自身は黒星だけは絶対に避けなければいけないという思いの方が強かったです。そうした状況下、相馬(勇紀)がとってくれたコーナーキックのおかげであのシーンを迎えました。ちなみに、あの瞬間、僕はなぜか5分のアディショナルタイムのうち、残り時間が3分くらいあると信じて疑わなかったため『これがラストプレーになるかも』とは思っていなかったです。いつもは残り時間をある程度、自分の中で把握して試合を進めていることを思うと、もしかしたら、あの時の僕はゾーンに入っていたのかもしれません。

そして90+5分に、コーナーキックの流れから、ゴールシーンを迎えました。右サイドから北斗くん(下田)が蹴ったボールが自分を超えてセフン(オ)のもとに向かっているのを見た瞬間、「セフンなら競り勝って、折り返してくれるかも」と自然と足が動き、翔太(藤尾)を追い越す形でゴール前に飛び込みました。その上で、自分の体がゴールマウスよりやや外側に外れていると認識していたので、真っ直ぐに当ててしまうと枠を捉えられないと思い「とにかく、内側に」ということだけ意識して頭を出しました。ゴールマウスのどこに決めるかは想定していなかったので、あんないいコースに突き刺さるとは思っていなかったです(笑)。なので結果論ですが、相手GKのスベンド・ブローダーセン選手の守備範囲の広さを考えれば、理想的なコースだったと思います。
その後、みんなを手招きして一緒に喜べたのも嬉しかったです! というか、まさか晃生まで喜びの輪に加わってくれると思っていなかったのでそれも嬉しかったです。また、あの瞬間、バックスタンドにいた最前列の子供が、タオルを回して大喜びしていた姿も脳裏に焼きついています。勝負を決める『ゴール』というのは、こんなにもたくさんの人を喜ばせられるということを知れたのも、センターバックである僕としては新鮮でした。先にも書いたように、あのゴールがほぼラストプレーとは思っていなかっただけに試合再開後、30秒くらいで試合終了のホイッスルが鳴ったことには内心、驚いていましたが、とにかく5試合ぶりの白星を掴めたのが嬉しかったし、ホッとしました。

このゴールで、Jリーグで僕が決めた得点は11点目だったそうですが、あんなにも劇的な決勝ゴールを決めたのは初めてだったこともあり、自分自身に『キャリアで一番記憶に残るゴール』として刻まれていた15年7月の『鹿島アントラーズ対FC東京戦』を上回る一発になりました。
 ちなみに、その『鹿島対東京戦』はシーズン途中に監督に就任された石井正忠さんの初陣で、先制し、追いつかれ、1-1で試合が進んだ状況下、81分に岳(柴崎/鹿島)の右コーナーキックに頭で合わせてゴールネットを揺らしました。日本代表でも一緒にプレーした、リスペクトしてやまない森重真人くん(東京)のマークを振り切って決められたことや、チームとしてあまりうまくいっていなかった状況、ベンチに座っていたモトさん(本山雅志)が一番に抱きつきにきてくれたシチュエーションも相まって印象に残っているんだと思います。今回の岡山戦で決めたゴールはその『記憶に残るゴール』を10年ぶりに塗り替えました。

ただし、ああいった劇的なゴールを決めると、僕が『ヒーロー』として扱われるのがサッカーの常ですが、僕自身は、今回のゴールも自分一人で挙げたとは思っていません。ゴールに至るまでの一連の流れに関わってくれた選手はもちろん、晃生(谷)のビッグセーブ、イボ(ドレシェヴィッチ)の体を張ったプレー、動き回って汗をかいてくれたボランチなどの姿があって、無失点で試合を進められていたから僕のゴールが『決勝点』になったと考えても、です。もっと細かく言えば、目立ちはしないけど、ピンチの芽を摘んでくれた選手がいたり、粘り強くボールを前に進めてくれた1プレーがあったから僕のゴールに繋がったんだと思います。そういう意味でも、改めて仲間の存在を心強く感じた瞬間でもあり、やはりサッカーは一人では戦えないということを強く実感したゴールにもなりました。みんなに感謝!

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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