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Vol28「ヒッチハイク」

  • 2024.05.30

    Vol28「ヒッチハイク」

絶康調

ついこの間、奥さんと仙台東インター近くの産業道路を通ったら、「仙台駅まで」と書いたボードを持ってヒッチハイクしている2人組がいた。「乗せてみよっか」と即決し、産業道路には停車できないから近くの駐車場に入って声をかけた。ダッシュでこっちに向かって来て「死ぬところでした」と笑っていた。仙台駅まではこっちのターン。どこから来た? どこの大学? なんでヒッチハイク? いろいろ聞いたところによると、大学2年生の友人同士で、すずめ踊りなどで有名な「仙台青葉まつり」を見に行くために神奈川県からやってきたそうだ。1人が長野県出身でサッカーにも詳しく、昔は松本山雅FCを応援していたと話していた。

その青年は、芸人になりたいと言う。高校時代は芸人のラジオを聴きながらいつもお昼を食べていて、発信する側になりたいと思ったそうだ。ちょっとしたきっかけがなりたい職業を方向づける、夢ができるって素敵なことだと思う。オレは芸人になった友人が「生活もつらいし華やかで楽しいことばかりじゃない」とよく言うものだから、夢を語る大学生に対してついつい「普通にいいとこに就職したほうがいいんじゃないか」って現実的なアドバイスをしてしまった。自分の子どもたちが大学生になったらこういうことを考えているんだろうなとオーバーラップさせてしまったからかもしれない。もう1人は「やりたいことが見つからなくて、いろいろな話を聞きながら探していきたい」と言っていた。オレは大学生というものは、明確にやりたいことがあってなるものだと思っていた。それぐらい世間知らずだから、サッカーやっといてよかった。自分の中でやりたいことが昔から明確だったからある意味、楽だったな。2人と話していて、やりたいことや夢って、無理やり持たされなくても、あるときふと見つかることがあるんだなと思った。

これも縁だと思い、「あしたの夜ご飯一緒に行こうか」と誘った。仙台名物の牛タンはすでに食べたというので、知人の店に連れて行った。練習後、マツ(ベガルタ仙台GK松澤香輝)を「きのうヒッチハイクしてる人をつかまえてさー、夜ご飯行くんだけど一緒にどう?」って誘ったら、「オレが行っていいんすか?」って乗ってきたので4人で食べた。そのときも夢のことを話していた。マツは彼らに「試合に出られていなくても、やるべきことが明確なプロは幸せだ」と話していたような気がする。こうしていろいろな意見を聞くことによって、やりたいこと、目指したいことが見つかるかもしれないしね。あまり大学生とふれ合うことってないじゃん。なかなか出会いがない。普段、出会って話す大学生は、基本的に練習生とかサッカー絡み。普通の大学生の考え方を知る機会がない。将来に迷っているとか、大学2年生だと何も決まってないんだとか。大学に行く意味とはなんだろうかと考える。ふわふわしているのは、みんなこんな感じなんだろうかと思いながら。かといって遊びほうけているわけでもない。何かをやりたい、自分の好きなことを仕事にしたいなど、そういう熱い話も聞けて、パワーをもらえたし、新鮮で楽しかった。

青葉まつり後は、バラバラで帰った青年たち。サッカー好きの子はなんとカンセキスタジアムに行って栃木戦を観戦したと言う。「勝って良かったですね」と連絡が来た。宇都宮からのヒッチハイクもベガルタサポーターの方に乗せてもらったそうだ。ベガサポさん、ありがとう。いつも遠路はるばる応援に来てくれるだけでなく、ヒッチハイクの若者に優しくしてくれるなんて。「ユニフォームを買う」って言っていたから、きっとベガルタのサポーターになったことだろう。なっていなかったら困るよ。しかしまあ、世の中は狭いね。ただ、こうして1人サポーターが増えた。ある日の練習のときに、裕馬(ベガルタ仙台GK小畑裕馬)に「やっさん、ちょっとヒッチハイクした人の話を聞かせてくださいよ」って言われた。ヒッチハイクの青年を乗せたら、オレとの縁でベガルタを応援した子だったというベガサポのSNSを見たそうだ。裕馬もよく見てるもんだな。そのままヒッチハイクの話になったら、みんなは「わざわざ車を止めるまではしない」と言う。意外と拾わないものだなと思ったけれど、多分オレが少数派なんだろう。実は、ヒッチハイカーを乗せたのは2例目。初めてのときは確か、東京から海老名SAまで運んで、連絡先を交換して後日試合に招待した。アウェーのマリノス戦だったかな。試合後にサポーターにあいさつするとき、最前列まで出てきてくれて「ありがとうございました!」って声かけてくれた。地道なふれあい活動はきっとサポーター増に結びつくと信じている。楽しいし。

さて、今回の青年は、「仙台といったらベガルタ」と言っていて、オレのことも知っていた。そこまではいい。けれど、彼の中でオレは鹿島の選手のままだったのがちょっと悔しいから、ちゃんとベガルタの選手だということを証明する必要がある。6月のホームゲームに応援に来てくれるそうなので、会うのが楽しみだし、そのときはピッチに立っていられるようにしないといけないな。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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