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Vol.11 京都サンガF.C.ホペイロ/松浦紀典

  • 2019.12.10

    Vol.11 京都サンガF.C.ホペイロ/松浦紀典

サッカーのお仕事

ポルトガル語で、サッカー選手の用具係を指す『ホペイロ』。91年にブラジルから持ち込まれたこの仕事を松浦氏が学び、日本人初の『プロホペイロ』になったのが93年のこと。以来、3クラブに在籍しながら、26年にわたってこの仕事に情熱を注いできた。「プレイヤーズファースト」を心がけながら愚直に裏方の仕事に徹してきた松浦氏のプロフェッショナルイズムに触れた。

ーヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)で10年、名古屋グランパスで14年、ホペイロの仕事をされた後、17年夏に京都サンガに加入されました。現在の仕事内容を教えてください。

松浦 京都サンガでは主に、選手のスパイクやユニフォーム、キーパーグローブといった備品の管理や練習中に飲むドリンクの準備などがメインの仕事で、選手のこだわりを全て頭に入れた上で、準備やケアを行っています。練習後のスパイクを見て「指が少しあたっているな」と感じたら選手に確認して皮を伸ばしたりもしますし、GKグローブなども選手の要望に応じて手入れを行います。普段はそれらをクラブハウス内で管理していますが、試合になると、選手それぞれに必要な用具を僕の方で個別の袋に詰めてトラックで運んでもらい、スタジアムでは各選手のロッカーに並べます。当日のピッチコンディションを確認して、適したスパイクをチョイスしておくのも仕事の1つです。

練習前には、松浦氏が必要な用具を準備して
各選手のロッカーに置いておく。

ーチームによって、ホペイロの仕事内容は違うのでしょうか。

松浦 ヴェルディ時代は、今の仕事に加えて、選手が練習で使用するありとあらゆる道具、備品を揃えるのもホペイロの仕事でした。これは僕の師匠であり、日本にホペイロの仕事を持ち込んでくださったルイス・ベゼーハ・ダ・シルバさんから学んだことです。日本ではまだまだ認知度が低いですが、南米やヨーロッパにはプロのホペイロが多数在籍していて、選手と同じように移籍なども行われます。日本のJリーグではよく外国籍監督が自分の信頼の置けるスタッフをコーチに据えますが、海外では自らホペイロを選ばれる監督も多いです。実際、クラブ内でもすごく重要視されている仕事であるため、南米やヨーロッパではトップチームに3〜4人、ユースチームに1人、ジュニアユースチームに1人、ジュニアチームに1人、ホペイロを置いていることも珍しくありません。

練習着はサイズごとに分別。
選手ロッカーにかけやすいよう
1枚ずつハンガーに吊るしておく。

ー松浦さんがベゼーハさんの下で働くようになった経緯を聞かせてください。

松浦 学生時代にサッカーをしていた時に…サッカー雑誌でホペイロの仕事が紹介されていたんです。本当に小さな記事でしたが、もともと僕は昔からスパイクを磨くのが好きだったこともあり、その記事が目に止まったんだと思います。と言っても当時はまだJリーグも発足していない時代だし、それが日本で仕事として成立するなんて考えてもみなかったので、高校卒業後は一般企業に就職しました。そしたら、僕が働き始めた少し後くらいにサッカー界が「日本にプロサッカーリーグができるぞ」とざわつき始めたんです。しかも、当時、常にサッカー界の最先端を走っていた読売クラブが、90年に加入されたカズさん(三浦知良/横浜FC)やラモス瑠偉さんの「プロ化を目指しているのにホペイロがいないのはおかしい」という意見を聞き入れて、ベゼーハさんを招聘することになった。…と言うことがサッカー雑誌に紹介されていたのを読んで「ああ、あの時の仕事だ!」と記憶が蘇りました(笑)。

ーかつて読んだ『ホペイロ』の仕事についての記事ですね。

松浦 そうです。と言っても、特に行動するわけではなかったんですけど。でも、ある時、会社の日系ブラジル人の同僚と『読売クラブ対トヨタ自動車』の試合を静岡県まで観戦に行った際、試合後、自販機でジュースを買っていたら偶然、側のドアが開いてベゼーハさんが出てこられたんです。後で聞いたら、そこが関係者の通用口だったらしいんですけど(笑)。そこで僕の方から「ベゼーハさんですよね?」と声を掛け、同僚も交えて話が弾み、後日3人で食事に行くことになった。その時に僕は「実はホペイロという仕事に憧れていました」という話をし、ベゼーハさんも「自分が日本に来たのはフットボールの文化を伝え、日本人ホペイロを育てるためだ」みたいな話をしてくれたのを覚えています。それが91年頃で、以降もたまに食事に行くような関係が続いていたら、ある時、ベゼーハさんから電話が来て片言の日本語で「あなた、私の手伝いする?」と言われたんです。「アルバイト?」と聞くと「そうじゃない。来週、クラブハウスに来て」と。その言葉のままにクラブハウスを訪れたら、チーム統括部の方と面談になり「Jリーグ開幕に向けて忙しくなるからホペイロを補充しようと思う。仕事をしませんか?」と誘っていただきました。

ー二つ返事で引き受けられたのでしょうか。

松浦 いや、そうでもなかったです(笑)。すでに安定した仕事にも就いていたし、当時はバブル期で、一度就職すれば終身雇用してもらえるとも言われた時代だったので悩みました。周りにも相談しましたがほとんどの人が反対の意見ばかりでしたしね。でも、ある時、休みを利用して一人、近くの河口湖に出掛けて考えてみたんです。「このままでも安定した生活は送れるだろうけど、50歳、60歳になったときに『ヴェルディに行っておけばよかった』と後悔しないかな」と。それで夜に、両親に「ホペイロの仕事をしたいから東京に行く」と告げたら親父が「お前が決めたなら、行ってこい。その代わりダメだったからとすぐに帰ってくるんじゃないぞ」と。そのあとに「で、ホペイロってなんだ?」と言っていましたけど(笑)。結果、Jリーグが開幕した93年にヴェルディの一員になりました。その時、ベゼーハさんには「選手やスタッフが100%ピッチでいいパフォーマンスを発揮するためにサポートするのがホペイロの仕事だ。選手がスパイクのことを気にしているようではいい仕事はできない。だからこそ僕らがしっかり管理して、選手がプレーに集中できる環境を作ろう。そのためにも、自分が所属するクラブには常に愛情を注げ。我々の仕事は、愛情がなければいい仕事はできないぞ」と教わったし、カズさんには「選手だけじゃなくて、そこで働くスタッフもプロにならなければ本当のプロの組織にはならない。だからマツもプロ意識をもって仕事をしろ。俺は魂を込めてボールを蹴るから、マツは魂を込めてスパイクを磨くんだ」と言ってもらったのを覚えています。

背番号順に並べられたスパイクを1足ずつ、
丁寧に、心を込めて磨き上げる。

ーホペイロとして最初に行った仕事は覚えていますか?

松浦 当時の読売クラブは、四桁の暗証番号がついた個人のロッカーで、練習前はホペイロがそこにウェア、用具、スパイクなど練習に必要なものを一式、整えておくことになっていたので、まずはその暗証番号を暗記するのが最初の仕事でした(笑)。当時、30人くらい選手がいましたが、誕生日などわかりやすい番号にしている人ばかりじゃなかったので大変でした。

ースパイクの手入れ方法もベゼーハさんから学ばれたのですか?

松浦 基本的なことは教えてもらいましたが、自分で皮革の勉強もしたし、仕事をしながら我流で備えた技術もあります。というのもホペイロの仕事自体はブラジルが先ですが、日本の方が経済的には先進国で、その当時も手入れ用に使う用具や機材ははるかに便利なものが揃っていたんです。なので、当時はそれぞれのいいところを取り入れながら、よりいい仕事ができるようにと考えていました。そういえば、ある休みの日に急にベゼーハさんに近所のスーパーに呼び出されたことがあって。何事かと思ったら「日本のスーパーの陳列は、世界一きれいだ。この姿はある意味、日本人の几帳面さやきめ細やかさの象徴だし、これを見れば日本人はホペイロの仕事に向いていると思う」的なことを言われたこともありました。

ー現状、日本のサッカー界ではマネージャーがホペイロ的な役割を果たしているクラブも多いようです。両者の違いは何ですか?

松浦 確かに日本では混同されることも多いですが、海外ではスケジュール管理やチームが円滑に回るようにサポートするのがマネージャーの仕事で、さっきも言ったような用具の管理をするのがホペイロの仕事というふうに区別されています。日本の場合「スパイクの手入れくらい、選手が自分でやれ」という人もいますし、以前、名古屋グランパスで仕事をしていた時に、親会社のトヨタの方がクラブハウスを見学に来られた時にも似たようなことを何度か言われました。その度に、僕が「F1レースでドライバーが自分で車から降りて給油をしたり、タイヤを交換しますか? 要するにそのサッカーバージョンが僕の仕事です」と伝えると決まって「それは大事な役割だな、頑張ってくれ!」と言ってもらえることが殆どでしたけど(笑)。実際、F1も、監督がいて、スタッフ、ピットクルーがいて、右前のタイヤは誰、後ろの左は誰、給油は誰、という役割分担があって初めてドライバーはドライビングに集中できます。ホペイロの仕事もそれと同じだと思っています。

仕事の際はいつも行動を共にしている
松浦氏専用の仕事ケース。
表には、自ら書き入れてくれたという
三浦知良選手のサインが。

ーホペイロになられて今年で26年目ですが、お仕事にあたる上で常に心に留めていることがあれば教えてください。

松浦 プレイヤーズファーストで仕事にあたること。また、ベゼーハさんには「試合終了を告げるホイッスルは、ホペイロにとっても次の試合の始まりの笛だ」と教えられましたが、シーズン中はある意味、ずっとその意識で仕事にあたっています。ちなみに、周りからはよくキツい仕事だね、と言われるんです。選手の汗だくになったユニフォームやスパイクを綺麗にする仕事だというイメージが強いからだと思いますが、僕自身はキツいと感じたことも、嫌になったことも一度もありません。勝負の世界に身を置いているとはいえ、それが仕事に影響することもないですしね。勝ったからといって手を抜くこともないし、負けたからやめることもない。チームのレベルが違ってもやる仕事は同じです。ただ、その都度、スパイクや用具の状態は違うし、湿度や天候によっても変わってくるので、その日々の変化が僕自身はすごく楽しい。そういう意味では…かつてベゼーハさんに教わった「仕事に対して妥協するな。その瞬間を楽しめ」という言葉のままに過ごせています。それに…選手の汗だくのスパイクって臭そう! って思う人もいるかもしれないけど、それって使ったスパイクを使いっぱなしで放置しているからいろんな雑菌が繁殖して匂いが残るわけで、ちゃんと管理をしていれば全然臭くないんです。実際、僕がサンガに来た時はシューズ置き場が異様な匂いをしてましたが、今ではクラブスタッフの女性陣が「シューズ置き場の匂いが変わった。いい匂いがする!」と言ってくれます(笑)。

ーホペイロになるにはどうしたらいいのでしょうか。

松浦 そういったお手紙や質問は良くいただきます。今は専門学校などでホペイロの仕事について教えているところもあるようですが、正直、現場を経験された方が教えていることはほぼないし、学校を出たからと言ってこの仕事に就ける訳でもありません。先ほど話にも出たように、今の時代はマネージャーが兼務でされているクラブも多く、需要がそう多くはないのも現実です。ただ、この世界で働いている人の多くがそうであるように、夢を諦めずに追いかけること、そこに向かって努力することは大事だし、いつかチャンスが来た時にそれをつかめる準備はしておいた方がいいと思います。僕もそうでしたが、独学でもいいから靴や皮革について学んでおくとか、方法はいろいろあるはずです。そういえば、最近は日本人女性の方が海外のクラブで研修を受けていらっしゃるという話も聞きました。

ー最後に、松浦さんの今後の夢があれば聞かせてください。

松浦 生涯現役でホペイロとしての仕事を全うすること。その一方で、海外でこの仕事をしてみたいな、とも思うし、ベゼーハさんの思いを受け継ぐ意味でも自分の分身のような後輩も育てたい。日本でホペイロの仕事がもっと認知されるように、いろんな形でこの仕事を伝えていきたいとも考えています。せっかくブラジルから日本に伝えてもらったものを…それこそ僕もJリーグの『100年構想』にしっかりついていって、ホペイロを日本のサッカー界に根づかせたいと思っています。

text by Misa Takamura

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