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Vol.14 株式会社イングス(『Jフットニスタ』ディレクター)/鈴木悟

  • 2020.04.10

    Vol.14 株式会社イングス(『Jフットニスタ』ディレクター)/鈴木悟

サッカーのお仕事

プロサッカー選手としてのキャリアに終止符を打ち、31歳でメディアの世界に飛び込んだ。バラエティやインフォマーシャル番組に約7年携わったのち、念願叶ってスポーツ担当に。現在は朝日放送テレビに出向し、『Jフットニスタ』のディレクターとして制作に携わっている。サッカー界の発展のために、選手の気持ちに寄り添い、スポーツの本質を伝えることに真摯に向き合いながら。

ー現在、携わっているお仕事を教えてください。

鈴木 テレビ番組の企画制作や、映像編集などを行っている株式会社イングスに所属しながら、現在は朝日放送テレビ株式会社(以下、ABC)のスポーツ部に出向し、主に『Jフットニスタ(毎週月曜/深夜2:10放送 https://www.asahi.co.jp/j-footnista/)というサッカー専門番組のディレクターを担当しています。『Jフットニスタ』はガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、京都サンガF.C.など関西Jクラブを中心に、女子のINAC神戸レオネッサや『高円宮杯U-18プレミアリーグWEST』、U-12の『フジパンCUP』をはじめ、日本代表や海外でプレーする日本人選手などを取り上げている番組です。2015年にスタートした当初は5分間という短い番組だったので、「サッカーとは」というテーマに一人の選手に話していただくだけでしたが、現在は25分間に延びたので以前よりたくさんの情報をお届けできるようになりました。

ー番組づくりにおける『ディレクター』の役割を教えてください。

鈴木 基本的にはどの番組も大きく変わりませんが、まずは番組担当プロデューサーのもと、どんな構成にして誰に出演してもらうか、とか番組MCのアキナさんを使ってどんな風に番組を作っていこうか、などを話し合う構成会議を行います。その上でディレクター陣が各担当クラブの試合や練習に行き、ニュース素材を撮影したり、選手へのインタビューを行ったり、ハイライトシーンの編集なども行います。ちなみに僕はセレッソ大阪の担当です。『Jフットニスタ』のプロデューサーは企画の相談など随時、意見を求めてくれるので、僕もざっくばらんに意見をぶつけながら番組を作っています。

INAC神戸レオネッサの練習にて。
自らカメラを向けて撮影することも。

ー鈴木さんはセレッソ大阪で6年、京都サンガで3年プレーされた後、06年に引退されました。すぐに今の仕事に就かれたのですか。

鈴木 07年にはイングスに入社したので、ほぼすぐ、ですね。といっても最初からスポーツを担当したわけではありません。週末は、スカパー!で放送していたJリーグ中継のフロアディレクターもしていましたが、メインはバラエティ番組やインフォマーシャルの番組など、スポーツとは違うジャンルを担当していました。これは僕自身が希望したことでもあります。引退した時は31歳でしたが、ずっとサッカーしかしてこなかったからこそ、サッカー以外の知識があまりにも少なすぎると自覚していたので、最初は知らない世界に携わり、いろんなことを『受け入れるしかない状況』で仕事をしたかったんです。サッカーのことになると変に知識がある分、それが邪魔をして素直に受け入れられないこともあるかもしれないですしね(笑)。当時は2〜3日徹夜で仕事をするようなこともザラにあって、息つく間もないような忙しい毎日でしたが、仕事を覚える上でも、見聞を広げる上でもいい時間になりました。

元サッカー選手としての経験を活かし、
選手インタビューに臨む。

ーもともとメディアの世界で働きたいと考えていたのでしょうか。

鈴木 少し遡りますが、僕は03年にも一度、セレッソから契約満了を告げられたんです。試合には結構コンスタントに出場していたんですけどね(苦笑)。実際、そのシーズンも、結果的に天皇杯でも決勝まで勝ち上がり、キャプテンだった西澤明訓がベンチスタートだったことから副キャプテンだった僕がキャプテンマークを巻いてピッチに立っていたくらいです。そんな状況でも契約満了になった現実を受けて「ああ、こういうものか」と思うと同時に、初めてセカンドキャリアについて考えたんです。サッカーは好きだし、現役も続けたいけど、もしもそれがなくなったら自分は何ができるんだろう、と。その時に、普段からチームの近くで仕事をされていたメディアの方たちの仕事に興味を持つようになりました。もともと僕自身も選手時代から、プライベートでもメディアの方とゴルフや食事などをご一緒する機会が多かったのもあります。結果的に、その時はサンガからオファーをいただいて現役を続行しましたが、正直、サンガを選んだのも、セカンドキャリアを視野に入れて『関西』にいたかったのもありました。セレッソ時代にできた人脈はほとんどが関西で築いたものだったし、いずれ引退した時にはそれを活かして仕事をしたいと思ったからです。それもあってサンガへの移籍を決めて、3シーズンをプレーした後、再び契約満了を告げられたので引退しました。

ー気持ちはすんなりとセカンドキャリアに切り替えられたのでしょうか。

鈴木 基本的に僕は何事に対しても「しゃあない」と受け入れるタイプなので(笑)。実際、セレッソから契約満了を告げられた時もクラブには「そうですか。6年間、ありがとうございます」ということしか言わなかったですしね。でも、一方で逆にやれと言われたことに対しても素直に受け入れるので、それは今の仕事をする上でも生きている気がします。

ー元サッカー選手として、サッカーに関わる番組を作るにあたって意識されていることを教えてください。

鈴木 もともと、選手時代に取材を受ける側の立場にいた際に、自分が話したことの一部だけが切り取られて意図とは違う内容で放送されたり、書かれたりして嫌な経験をしたことがあって。もちろん、話したことをそのまま流せるわけではないのは理解できるし、メディア側にも言い分はあると思うんですけど…その経験からも僕は取材対象者である本人が喜ばない報道はしたくないと思っています。テレビ関係者の中にはよく「テレビだから絶対に喜んでくれるよ」的な感覚で仕事をされている方もいますが、それってあくまで取材する側の言い分で、取材される側としてはみんながみんな喜ぶわけではないと思うんです。喜ぶ人もいるだろうけど、そうじゃない人もいるし、ともすれば受けてはくれているものの取材がすごく苦手な選手だっているはずです。そのあたりはコミュニケーションを図ることで、ある程度は察することができるはずなので、できるだけ配慮した上で取材にあたりたいと思っています。これは番組全体の作りというか、制作の際にも言えることです。例えば、あるアスリートがある全国大会で優勝したとして、その大会前に大事な人を亡くされたとします。もちろんそれはとても悲しいことで、そのことが原動力になって頑張れることもあるとは思いますが、かといって、それだけが力になったわけでは決してないと思うんです。その過程にはものすごくたくさんの努力もあっただろうし、仲間の方の存在にも助けられただろうし、指導者や親の影響も受けたかもしれない。なのに取材する側が、そうした過程をすっ飛ばし、作り手の『理想』に選手の現実をあわせていくのは違うと思う。例えば、亡くなった人とのエピソードばかりをクローズアップして過剰に感動ものに仕上げる、とか。この考え方はある意味、取材する側ではなく、される側の選手の立場に立ったテレビマンらしくない意見かもしれません。でも少なからず僕は、選手の気持ちに寄り添い、気を配りながら、スポーツの本質というか、いい時もあれば悪い時もあるという真実を正しく伝えたいし、選手本人にとってマイナスになる報道は絶対にしたくない。というより取材対象者との信頼関係を大事にすることによって撮れる映像、言葉を浮き彫りにできる番組を作りたいと思います。ただし、テレビ番組にしても、ライターさんが書かれる記事にしてもそうだと思いますが、観る人、読む人によって受け取り方は様々で、出来上がったものにこれが『正解』だというセオリーはないですからね。だからこそ、基本的には自分が伝えたいことに信念を持って取り組み、最終的には取材対象者の方に自信を持って「観てください」と言えるものを作りたいと思います。

スタジオでの番組収録の時は
全体に目を行き届かせながら進行を見守る。

ーその思いの先にはどんな野望を描いているのでしょうか。

鈴木 この業界に入った時から、サッカー界の発展のために力になりたい、関西のサッカーを盛り上げたいということが第一にありましたが、今もそれは変わりません。僕は静岡県で生まれ清水商業高校を卒業するまで静岡で育ったのですが、当時の静岡ではローカルメディアが多かったとはいえ、テレビのニュースや新聞で毎日のようにサッカーが取り上げられていたんです。サッカーどころだということもあってだと思いますが、プロじゃなくても、小学生のサッカー大会が生中継されることもあったし、夕方のニュースでは当たり前のように高校サッカーが取り上げられていた。新聞も裏一面は必ずサッカーの記事でしたしね。子供の頃は大会等で活躍すれば小さな記事とはいえ必ず新聞に載ったので、親はそれをよく切り取ってスクラップしてくれていました。ところが、プロになるにあたって大阪に引っ越してきてみたら関西ではサッカーがほとんど話題になっていなかったんです(苦笑)。メディアなどで取り上げられるのも週末のJリーグ絡みか日本代表戦くらいで、アマチュアサッカーについての報道はほとんどされていなかった。今はネット社会になったのでアマチュア世代の記事も目にすることは増えましたが、相変わらずテレビでの露出はごくわずかです。放映権の問題や日本代表選手が少ないといった事情もあるにせよ、この業界では「サッカーを取り上げても数字(視聴率)が上がらない」というイメージが定着してしまっているんだと思います。また、関西に限って言うと、プロ野球の『阪神タイガース』という強敵もいますしね。でも、その状況に屈しているのは悔しいし、サッカー界も盛り上がらないですから。そんな思いもあって『Jフットニスタ』が始まったところもありますが、とにかく今後も関西のサッカー界をもっともっと盛り上げていけるように尽力していきたいと思っています。

仕事を始めた時は
パソコンを使うこともままならなかったが、
今では編集作業もスムーズに。

ーテレビ制作に関わる仕事を目指す人たちに、何かアドバイスはありますか。

鈴木 この業界を目指す人たちって、例えば自分が好きな番組があって「この番組に携わりたい」って考えが第一にあることが多いんです。でも、僕もスポーツに携わるように7年かかったように、すぐに自分のやりたい仕事、担当したい番組に携われるわけではありません。しかもその過程は…脅すわけではないですが、時間も不規則だし、結構な重労働を強いられる大変な仕事だと思います (笑)。つまりテレビで観ているような、楽しい、面白い、ということばかりの世界ではありません。その理想と現実のギャップを受け入れながら、それでも粘り強く自分がやりたいこと、作りたいものに向かって突き進めるか。テレビを観る側であるうちはいいところばかりが目に入ると思いますが、現実はそうではないということを受け入れて仕事に向き合っていける図太さは必要なのかなと思います。

text by Misa Takamura

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