COLUMN

REIBOLA TOP > コラム > Vol.28 京都サンガF.C. U-15コーチ(U-13担当)/川勝博康

Vol.28 京都サンガF.C. U-15コーチ(U-13担当)/川勝博康

  • 2020.11.06

    Vol.28 京都サンガF.C. U-15コーチ(U-13担当)/川勝博康

指導者リレーコラム

4年間現場を離れて育成に関する指導方針や仕組みづくりに携わったあと、今年から指導現場に復帰。4年間の経験を踏まえて臨む、『サンガの入口』であるU-13カテゴリーでの指導を通じて、いま思うこと、かつての自分を振り返って思うことを話していただきました。

ー大宮アルディージャのU15(U13担当)コーチの横谷亮さんからのご紹介で今回ご登場していただいたのですが、横谷さんとのご関係を教えてください。

川勝 彼が以前、京都サンガのコーチとして在籍していた時からの付き合いになります。最近は同じU-13カテゴリーを指導しているというところで共通するので、今のチームの現状について、意見交換し、刺激し合い、それぞれの指導に生かしていく、そういう間柄ですね。
 
ー横谷さんとはクラブが違いますが、U-13という同じカテゴリーを指導する中で共通する問題点があるものでしょうか。

川勝 今年に関して言えば、新型コロナウイルスの影響ですね。本来なら新年度の4月から活動が始まるのに今年はできませんでした。それでもリモートでミーティングをして、その中でサッカーの理解を深めていく活動をするという難しい状況にあって、それは大宮の横谷コーチも同様だったので、お互いに意見交換をしていました。

ーリモートによる活動はどのくらいの期間続いたのでしょうか。

川勝 3月から6月までほぼ活動はできませんでした。6月になって徐々に接触がないトレーニングをしつつ、本格的に活動できたのは7月からでした。ですから、6月まではリモートによるミーティングが主な活動となり、週1回の全体ミーティングとzoom(web会議サービス)を使った体幹トレーニングくらいしかできない状況でした。

ー中学1年生の子どもたちにボールを使わないトレーニングを行う、というのは難しかったでしょうね。

川勝 そうですね。しかも、いろいろなチームからサンガに入ってきたばかりの子どもたちなので、統一感がないというか、サンガがどういうクラブで、どういうサッカーをして、とか、そういうことをまったく知らないままリモートでの活動に入ったので、余計に難しかった。ですから、そういう基本的なところを全体ミーティングで理解してもらうようにしたんです。

ーそういうマイナスの状況での活動がプラスに転じたことはありましたか?

川勝 先ほど話した週1回の全体ミーティングのほかに空いている時間に個別のもの、ポジション別のものなど入れて、数多くのミーティングをこなしたことで、子どもたちの頭の中の整理はできたように思いました。

ーそれを実感したのはどういうところで?

川勝 7月にJクラブの数チームと試合をした時に、サンガの選手の方がチームとしてのプレーが進んでいることを確認できたんですよね。そういうのを見ると、ミーティングも役に立ったのかなと思いました。

ー川勝さんはまだ京都パープルサンガという名前だったころに、プロ・プレーヤーとして京都に在籍されています。そこで現役生活を3年で終えられていますね。

川勝 そうです、98年からの3シーズンです。ヒザに大きなケガをして1年間のリハビリをした後に戻ったのですが、自分の感覚でプレーすることができなかったので思い切って現役を退いて、指導者の道に進みました。

ー当時、川勝さんは25歳くらいですよね。当時の自分をいま振り返ると?

川勝 最初はU-13チームのコーチをさせていただいたのですが、いま思えば、全然ダメでしたね。育成って何か、ということすらボンヤリとしていたと思います。ただサッカーをやっていた人が、自分のそれまでのプレーの経験や知識を子どもたちに教えているだけ。選手たちにとっては良いコーチではなかったと思います。

ー自分の経験や知識を伝える手段、方法も当時は上手ではなかった?

川勝 育成年代の指導は特に計画性が大事ですが、今から思えば、当時の自分は、現役時代の経験値に頼る側面が多く、計画性という面では、十分ではなかったと思います。

ーそういう指導のやり方を変えたのはいつごろですか?

川勝 いま大宮アルディージャの育成部長を務めている中村順さんという方がいらっしゃるのですが、その中村さんがサンガのトップチームの監督となったピム・ファーベークさんの通訳兼コーチとして働いたあとに、サンガの育成部門に入ってU-15チームの監督を務められたんです。その時に、中村さんからいろいろなことを教えていただく中で、それまで自分が持っていた指導に対する根本的な考え方がまったく違う、ということを感じたのです。それは、僕が指導者の道に入って5、6年たった頃のことですね。そこから僕の中での指導に対する考え方が180度変わりました。

ーその時に、自分の中で一番変わったこと、変えた点は何だったのでしょうか?

川勝 サッカーやトレーニングの捉え方が変わりました。それまではまず技術を教えて、そこからグループ戦術やチーム戦術に発展させていく、というスタンスでしたが、サッカーの全体像から考えるようになりました。こういうサッカーをするから、あるいは、したいから、こういうグループ戦術が必要で、だからこういう技術が必要になる。つまり考え方の順序を逆にしたのです。技術ありきの戦術ではなく、戦術ありきの技術。そうなると例えば、単なるパスのトレーニングが無駄なことのように思えてきたんです。中村さんが指導するトレーニングもまさにそのような考え方の下で準備されたものでした。トレーニングを積んだ後の試合を見ると、「あの練習はこういうところに結びつくんだ」というのが目に見えましたし、こうやって選手を成長させていくんだなということが分かりました。

ー全体像からの逆算ということですね。

川勝 中村さんの考え方に衝撃を受けた2年後くらいですかね、研修という形でスペインに行き、レアル・マドリードやFCバルセロナの育成年代のトレーニングを2週間くらい見た時に、中村さんの教えの中に自分が感じていた“すべてのもの”があったんです。随分と下の年代から戦術的なトレーニングが行われていて、それが技術につながっている。小学校2年生くらいの子どもたちの試合を見ても、大人のようにゲームを構築していくプレーが見られる。「これじゃ、日本はいつまでたっても勝てないな」というものすごいカルチャーショックを受けて日本に帰りました。そこから一気に自分自身の指導哲学を変えました。

ーいま、担当されているU-13のチームというと、中学1年生の子どもたちですよね。そういうお子さんにサッカーの全体像を教えることは難しいのでは?

川勝 難しいことは確かですが、いまの子どもたちは海外のサッカーを比較的簡単に見ることができる環境にあって、例えばバルサやマンチェスター・シティのゲームを見ているので、「あのようにボールをつなごうと思ったら、こういうポジショニングを取らないとつながらないよね」と私が言えば、子どもたちが意外に早く飲み込むんですよね。

ー子どもたちのサッカーにおけるいろいろな環境が昔とは違いますよね。

川勝 環境の変化も大きいとは思いますが、でもやはりサッカーの全体像が子どもたちにうまく伝わるかどうかは指導者次第。指導者がそこをどれだけ明確に伝えることができるか、そこが大事だと思います。あとは、トレーニングの構築の部分で、試合の状況を抜き取ってトレーニングができるかというところもすごく大事です。

ー自分の中でやり方を変える過程で壁にぶつかることはありましたか?

川勝 指導のやり方を変えようと決意して日本に帰ってきたのが2006年だと思うのですが、そのころはまさに試行錯誤の連続で、なかなか良い結果が出ませんでした。結果、というところで言うと、育成年代とは言え、試合の結果も大事な要素として求められます。でも一番大事なのは選手をどうやって成長させるか、です。そこの部分で特に若い指導者だと、クラブの幹部や親御さんに対してそこまで言い切れなかったりするんです。「勝つことが目的ではなく成長が目的なんです。だから僕はこういうサッカーをやるんです」ということを、なかなか言えない。そのあたりは今後、クラブとして考えて、若い指導者に対してしっかりとしたサポートをしていかなければならないと思っています。

ーほかのJクラブの育成年代との比較で、京都ならでは、の特徴的な指導の考え方はありますか?

川勝 サッカーのスタイルで言うと、ボールを保持してゲームの主導権を握る、攻撃的なサッカーをモデルとしていますが、それ以外の部分で言うと、文武両道という考えを前面に出していると言えます。とにかく勉強とサッカーの両方をしっかりとやってもらうという考えの下、練習の回数も調整しています。現在のU-13チームで言えば、サッカーの活動は平日2日の練習と週末の試合ですね。それ以外は勉強の時間にあててもらっています。そこはほかのクラブも意識はしているとは思いますが、例えば練習は平日週3日というクラブが多いと思います。サンガはそこの部分でレベル高く要求しています。

ー平日週2日の練習で物足りないと感じることは?

川勝 選手は物足りないと感じていると思います。でも、勉強することの重要性や体の成長を考えてのことだという話もしているので、理解はしてくれていると思います。

ー勉強に関して川勝さんが何か注文することは?

川勝 サンガは立命館宇治高校と提携していて、ユースチームに上がる選手はそこに進学します。でも、進学するには、学業の面で、中学3年間を通してコンスタントに成績をとっておかなければなりません。ですから、中学1年生の時から、しっかりと学業に取り組む習慣をつけて欲しいと話しているんです。

ーサンガではコーチの持ち上がり制はあるのでしょうか。例えば、川勝さんは来年U-14担当コーチになるとか。

川勝 来年のことは分かりません。実は私、去年まで現場を外れていまして『ヘッド・オブ・コーチ』という育成部長の補佐的な位置づけで仕事をしていました。サッカーに特化した部分での全体像を見ながら、アカデミーの指導者養成、それからフットボール・フィロソフィーという、サンガのサッカーがどういうものかの定義づけをするような仕事を昨年までの4年間していました。それをしながら、ジュニアユース部門の活動の中で、チームや個々の選手の成長を含めて少しうまくいかなくなっていると感じていた時に、クラブから現場復帰のお話をいただきました。自分が現場に入って、ほかの指導スタッフと一緒になって、ジュニアユースのところから選手をしっかり育てていこうと取り組んだ1年目が今年なんです。だから、来年どうなるかはまだ現時点ではわかりません。

ーでは、来年もU-13チームを担当する可能性もあるということですね。

川勝 サンガにはSPコースという選抜コースはありますが、ジュニアチームがありません。だからいろいろな少年クラブでプレーしてきた子どもたちが初めてサンガのユニフォームを着るのがU-13というカテゴリーで、いわばサンガの『入口』なんです。そこでの指導が難しいということを今年やってみてあらためて感じました。サッカーの部分と人間形成の部分の両方が大切で、選手を成長させるにはある程度の経験がないと難しい仕事だと思います。来年の事はわかりませんが、いずれにしても経験豊富な指導者が必要でしょう。

ー4年間、現場を離れて感じたこと、考えたことをいま実践しながら、クラブとしての育成年代の指導について再構築している、ということですね。

川勝 そうですね。現場の指導ってやはり大変なことなんです。大変だけど「こうやったらうまく行くんじゃないか」ということを指導スタッフみんなで話しながら前に進んでいきたいと思っているんです。現場は大変ですが、でも楽しんでいます(笑)。

ー今後の個人的な目標は?

川勝 これまで20年以上、サンガに籍を置いて指導に携わらせていただいて、1年だけトップチームでコーチをやらせていただきましたが、そのほかの期間は育成の指導をさせていただいていますから、このアカデミーからトップチームで活躍出来るもっと良い選手を出すこと。いまようやくヨーロッパで活躍するようになった奥川雅也(オーストリアのザルツブルク所属)のような選手をもっと多く輩出したいですね。それから、有名選手になれるかどうかは関係なく、選手が持っている能力を最大限に発揮させられるような指導をしたいですし、そういう指導者になりたいと思っています。

ーそれでは次の指導者の方をご紹介ください。

川勝 京都で最近力をつけているクラブの一つ、U-15カテゴリーのLUCERO(ルセーロ)京都の樋口健策監督をご紹介します。刺激をいただきながら仲良くさせていただいている方です。

<プロフィール>
川勝 博康(かわかつ・ひろやす)
1975年9月19日生まれ。
京都府出身。同志社大在学中の97年にユニバーシアード・シチリア大会の日本代表に選出。大学卒業後、98年に京都パープルサンガ(当時の呼称)に入団。ケガのために2000年に引退。そのまま京都のアカデミーのコーチに就任。以降同アカデミーのジュニアユース、U-15、ユースのコーチと、U-15、U-18 の監督を務めたあと、15年にはトップチームのコーチに就任。16年から4年間は現場を離れ「ヘッド・オブ・コーチ」として指導哲学、指導指針の再構築など育成年代の指導に関するさまざまな仕事をこなし、今年から現場に復帰、U-15コーチ(U-13担当)として指導に当たっている。

text by Toru Shimada

  • アカウント登録

  • 新規会員登録の際は「プライバシーポリシー」を必ずお読みいただき、ご同意の上本登録へお進みください。

REIBOLA RADIO 配信中!