水戸黄門と納豆で知られる茨城県水戸市を中心にホームタウンとする水戸ホーリーホックは、エンブレムに水戸藩の家紋も描かれているなど地域の歴史と伝統も背負ったクラブである。Jリーグでも20年の歴史を持つクラブで2020年から広報として活躍する土屋氏に、サッカーに関わる魅力とJリーグ広報の仕事について、お話を伺った。
ーはじめに、この仕事に就くまでの経緯についてお聞かせください。
土屋 私は小学生からサッカーを始めたのですが、プレーをすることもスタジアムに観戦に行くことも大好きでした。静岡県出身で所属していたチームが清水に近かったこともあり清水エスパルスの試合を観に行くことが多かったのですが、静岡がサッカー王国と呼ばれる土地柄もあって、小さい子どもからお年寄りまでユニフォームを来てスタジアムに集まっていました。試合では得点が入れば知り合いでなくても前後左右のサポーター同士でハイタッチをするという空気感が好きでしたし良いなとその頃から思っていて、プレーをする以外でも年齢性別関係なく誰でも楽しめるサッカーってすごいな、その空間を作りあげる人たちもすごいなと思い、自分もこの空間を作る側になりたいというのがサッカーに関わる仕事を目指したきっかけです。自分自身がスタジアムで試合を観た楽しさや雰囲気の素晴らしさをより多くの人に伝えたいという思いで、中学2年生には将来サッカークラブで働くと思い描いていました。高校を卒業してからは、新潟県にあるJAPANサッカーカレッジのサッカービジネス科に進学しましたが、ここも中学生の時には進路として決めていました。それでも特に広報や運営をしたいと明確に考えていたわけではなく、漠然とサッカーに関わっていたいという思いでいました。
サッカー女子日本代表が女子ワールドカップで優勝した2011年は専門学校に在学していて、学校の実習でアルビレックス新潟レディースにお世話になっていたのですが、その時に運営する側の立場として女子サッカーがフィーバーする前後の変化を感じる貴重な経験を得ました。そしてフィーバー後の難しさも感じたところもあって女子サッカーをもっと広めたいという思いも持ち、卒業後になでしこリーグのバニーズ京都SCに就職することができました。その後JFLのFCマルヤス岡崎で働かせていただき、2020年2月から水戸ホーリーホックの広報として活動しています。最初に就職したクラブでは広報業務や主務の仕事など多岐に渡って任されていたので、いろいろと取り組む内にサッカーの現場で働くことの楽しさを感じ益々この仕事の魅力に惹かれていきました。大勢の選手と一緒にいると毎日同じ事の繰り返しということもないですし、試合があれば毎週雰囲気も違います。年間で言うと引退や移籍などで選手も必ず入れ替わりがあるので、そういった変化がある職場というのは良いことも悪いことも含めていろいろあって楽しいですし、より現場の近くにいられる広報という仕事は個人的には志向に合っているのかなと思います。
中学生の頃に思い描いたことを実現できたのも、一番はサッカーが好きということが大きな要因だと思います。サッカーをすることも観ることも好きですし、どんな立場でも楽しめる素敵なスポーツですし、ボール1つで皆が友達になれるようなところもサッカーの素晴らしさだと思っています。
ーずっと女子チームでプレーされていたのですか?
土屋 小学生の頃は地域に女子サッカーチームはなかったので、スポーツ少年団に入って男の子たちに混ざってサッカーをしていました。私がいたチームは仲も良くて放課後も皆で集まってサッカーをしていたり、チームメイトの親御さんも可愛がってくれて理解があるチームだったので不自由を感じていなかったのですが、試合になると対戦相手から競り合ってもらえなかったり、相手チームの保護者や指導者から「女に負けるな」とか「相手は女なんだぞ」というようなことを言われたりして悔しい思いもしました。女子の方が男子よりも成長が早いので、その時も大半の男子より身長もあったのでフィジカル負けしないことが多かったですし、ポジションもディフェンダーだったので余計にそういったことを言われることが多かったのかもしれません。そうしたことは当時よりも年齢を重ねて思い返した時に「あれは嫌だったな」と思うようになりました。中学からは女子のチームに入りましたが、それまで女子1人だったこともあって女子選手はこんなにたくさんいたんだと感じました。高校では同じトレセンにいたゴールキーパーの選手が、毎日朝練もするようなチームに所属していてずっと努力していたのですが、人数が足りなくて試合に出られないということがあって、真面目に頑張っていても実力ではなく人数不足が原因で大会に出られないというのは、友達のことでしたが私もショックでした。私がいたチームも3年生が引退して1、2年生だけの新人戦ではギリギリの人数で挑まないといけないということもありましたが、試合に出られないということはありませんでした。そうした経験もあり、女子サッカーの裾野が広がっておらず競技人口が少ないからそうなってしまうと思うので、裾野を広げて女の子がサッカーをしていることが当たり前にしたいという気持ちがあります。今でも学生時にサッカーをしていましたと言うと珍しいねと言われることが少なくないのですが、バレーボールやソフトボールのように、「女の子がサッカーをする」という表現がなくなるほど女子サッカーを世の中の当たり前にしていきたいと思っています。
ー現在のお仕事の内容について、教えてください。
土屋 今は私ともう1人広報がいて、女性2名体制で広報をしています。私は基本的にチーム対応をメインとしていて、クラブのSNS発信やホームページの更新といったことが主な業務となりホームだけでなくアウェイの試合もチーム帯同しています。他にもメディアの対応も行いますし、練習の公開日には観に来ていただいた方への感染対策を行うこともしています。私自身Jリーグのクラブで働くことが初めてなので、よくも悪くもJクラブの広報としての基準がまだわかっていない部分はあると思います。私が入社したのは2020年の2月なので、新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前の普段通りがわからないという面もあるのですが、今までを知らないからこそ今シーズンのイレギュラーや過密日程の大変さをそれほど感じることなく過ごせていると思います。
私が所属するファンマーケティング事業部では他のメンバーと連携して働くことも多いので、どこまでが広報の仕事かというのはわからないのですが、いろいろと取り組みながら確立していっています。発信物に関してはスポンサー関連やイベント関連を行なっている運営や営業メンバーと連携しながら、選手を通じた発信もさせていただいています。水戸ホーリーホックはクラブハウスにスタッフも選手もいるためフロントスタッフと選手の距離も近く、各部署と広報と選手との連携も柔軟に対応できる体制になっていると思います。
ー普段はどのようなスケジュールで活動されていますか?
土屋 日によって動きは変わりますが、だいたい9時前にクラブハウスに着くように出勤しています。9時からファンマーケティング事業部のミーティングに参加し、各部署の共有事項の確認などを行います。新型コロナウイルス感染症の対策についても確認し、フロントスタッフは選手との接触も極力避けるように対策しています。都内から通っているスタッフもいるので、オンラインミーティングやテレワークも取り入れて対策しています。
その後、9時30分か10時頃からチームのミーティングがあるので、広報として参加して映像の撮影などをしています。ミーティングが終わればチームの練習になりますが、トレーニングの公開日であれば観に来られたサポーターやメディアの方に検温や消毒といった受付業務を担当したり、コミュニケーションをとったりしています。また、練習中はSNSに掲載する素材として選手の様子を撮影して、練習後には取材対応を行なっています。
その後は発信のための素材を整理するのですが、何をどのタイミングで発信するかというスケジュールが決まっているので、発信が被らないようにしたり、試合に合わせてどれを使うかといったことを準備していきます。SNS以外の発信物の準備なども練習後の時間に行なっていて、他の部署から発信内容やタイミングの依頼があったりもするのでその確認や準備なども行ないます。クラブハウスは元々中学校だった場所なので、グラウンドとクラブハウスが直結していてどの仕事もスムーズに行なうことができています。帰宅は日によって違いますが、だいたい19時頃に退勤しています。
ー仕事をされる上でやりがいはありますか?
土屋 やはり多くの方がスタジアムに来てくださって楽しそうにされている姿を見るのは嬉しさを感じるところです。現在は感染対策で距離をとったり様々な制限がある中ですが、それでも選手の写真を撮ったり練習や試合後に選手から挨拶を受けたりと、できる範囲でのファンサービスですがそれも嬉しいと言っていただけたりお話しできたりするのは嬉しいですね。実際には選手がいてこそ成り立っていて喜んでいただいているのですが、そこを担う一員としてお手伝いができているということはやりがいです。試合に勝った後に選手もスタンドも一緒に喜べるというのは一般企業にはなかなか無いものだと思っています。またその様子をSNSで伝えたり、あまり他では見られない映像を発信するということも、選手のことをより知ってもらえているのではないかと思える時は嬉しいです。選手やクラブ、サッカーを知って好きになってもらいたいと思って仕事をしているので、自分たちの行動で誰かがクラブを好きになってくれたりいいなと思ってもらえて、結果的に選手のがんばりでファンの方が喜びを感じたり明日も頑張ろうという気持ちになってもらえたり、気持ちを動かすお手伝いが少しでもできればと思っています。
ー反対に、大変だと思うことはありますか?
土屋 自分がファンとしてチームの外から見ていた時のイメージと実際に中に入って見ると違いがあったりします。これはどこのチームでも同じだと思いますが、中のことは中に入ってみないとわかりません。どうしても伝えられないことがある中で、可能な範囲内でいかにうまく伝えられるかというところに難しさを感じています。またプロスポーツ選手は一般企業の方よりも仕事で感情を表に出すことができる職業だと思うのですが、試合後は雰囲気がいい時もあれば悪い時もあるので、そういった時の選手との接し方やコミュニケーションの部分で何と声をかけたらいいのかと考えることもあります。例えば試合中にケガをしてしまった選手に、それでもインタビューをしてもらわないといけない時などは「今はそういう気分ではないのはわかるけどごめんね」と思いながらも、これも仕事だからと言って受けてもらっていたりします。普段から距離が近いからこそ申し訳ない気持ちも強くなりますし、正解がないからこそ難しさを感じます。結局は業務としてと言うよりも人と人とのコミュニケーションになるので人によっても違いますし、もっとうまくできるようになりたいなと思います。
ーサッカーに関わる仕事の魅力は何だと感じていますか?
土屋 より多くの方と感情を共有できることだと思っています。水戸ホーリーホックを想ってくださる方や試合を観に来てくださる方が多くいる中で、来場者数の制限があった今シーズンでも何千人という人にスタジアムへお越しいただき、チームが勝ったら皆で嬉しい気持ちになれたと思います。それはファンサポーターの方だけでなく、関わってくださる企業様や選手スタッフ皆が嬉しい気持ちになるというところ。バニーズでは降格も昇格も経験しているので、嬉しい時も苦しい時も全員で1つになれるということを特に強く感じました。今はピッチレベルにいることが多いので、得点した時のスタジアムの一体感や自然と湧き出るような歓声に鳥肌が立つような空気感を一緒に感じられる。それは嬉しいや楽しいだけでなく、時には悔しい、悲しいもありますが、喜怒哀楽の感情をより多くの人と共有できるというところはサッカーに関わる仕事の魅力なのかなと思います。
ー今後の夢や目標はありますか?
土屋 今年は新しいところで精一杯な部分はあったので、まずはするべきことをしっかりできるようになるというのが1つ。あとは選手やクラブの発信をする身であるのですが、できるだけ繕ったりせずにそのままを出せることを意識して、選手の魅力や良さをよりしっかりと伝えられるようにしたいと思っています。選手の良い部分を自分だけが知っているのではなく、ファンの方や初めて見る人にも伝えられるようにしていきたいと思っています。
ーありがとうございました。
<プロフィール>
土屋 由実(つちや・ゆみ)
1992年静岡県出身。
小学校から高校までサッカーをプレーしながら、地元クラブの試合観戦にスタジアムへ通う内にサッカーに関わる仕事に就くことを志す。高校卒業後、JAPANサッカーカレッジに進学し、バニーズ京都SC、FCマルヤス岡崎を経て2020年水戸ホーリーホック広報に着任。
新型コロナウイルス感染症の影響を受ける中、より多くの人々にクラブの魅力を伝えるべく日々情報発信を行なっている。
text by Satoshi Yamamura