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Vol.7 J1リーグ再開。そして、僕の右足首…。

  • 2020.07.07

    Vol.7 J1リーグ再開。そして、僕の右足首…。

発源力

7月4日にJ1リーグが再開しました。個人的には、右足首の状態が芳しくなく、ピッチに立つことはできませんでしたが、Jリーグやガンバ大阪のスタッフの皆さん、ガンバサポーター、サッカーに関わるすべての方の力を借りて再開できたことに感謝の気持ちを持ってこの日を迎えました。本来なら、その思いをプレーで伝えたかったし、チームとしても皆さんの気持ちに勝利で応えるつもりだっただけに、ホームでの『大阪ダービー』に敗れたことは素直に悔しいです。と言っても、まだまだ戦いは始まったばかりなので、みんなでまた気持ちを揃えて次に向かいたいと思います。
さて、その右足首ですが…全体練習が再開した時には、もちろん僕も合流していたし、初めての『大阪ダービー』でガンバデビューをしたい! という思いで準備もしていました。なのに、右足首の痛みが消えず…。練習をしていてもそれが気になって、例えば、相手選手のドリブルに対して自分の間合いで入れているのに足が出せないとか、ターンする時に足が痛くて遅れてしまうとか。球際でも本来の自分ならバチンと奪いにいけるシーンでいけないという状況が続いたため、ツネさん(宮本恒靖監督)に「今の状態だと全く自分に納得のいくプレーができないので、一旦抜けて足の痛みを取り除きたいです」と相談し、一週間、全体練習から外れることにしたんです。もちろん自分の中では「セレッソ大阪戦でピッチに立つこと」を第一に考えての決断でした。
自分から申し出たのは、右足首の痛みが自粛期間中の過度な負担によるものだという自覚があったからです。事実、その期間はクラブハウスにも立ち入れないし、誰とも会えない状況が続いていましたからね。3月に入ってチームに合流したばかりの頃は、トレーニングをしてもその後のケアや治療が徹底できていたし、トレーニングと治療をセットで繰り返すことで足首の状態が良くなっている手応えを感じていたけど、自粛期間中は当然、メディカルスタッフにも会えず…。テーピングを我流で巻いて足首がしっかり固定されていないまま自主トレをするとか、硬いアスファルトの上やランニングマシンを走るとか。それによって痛みを感じても、いつJ1リーグが再開するのかわからない状況だったことから思い切って休むこともできない、といった悪循環が重なり、正直、足首への負担が大きくなっている不安はありました。もっとも、万全のコンディションで自粛期間に入っていたなら、そうした環境悪も自分で乗り越えられたはずですが、長いケガから復帰したばかりだった僕には、どれだけ工夫しても、足首に無理がかかっていく状況を避けられなかったというのが正直なところです。
ということを踏まえて、メディカルスタッフにも相談し、Jリーグの再開日程も決まった中で、足首を少し休ませることにしたのですが、予定の一週間が過ぎても足の腱や骨に起きている炎症や腫れが一向に引かず…。それでもセレッソ戦への出場を最後まで目指しましたが、最終的には監督とも再度話をして、とりあえずそこは回避することになりました。
もちろん、そこには僕自身の「中途半端な状態でピッチに立ちたくない」という考えもありました。無理をすれば…例えば、この試合がシーズン最後の試合なら、痛み止めを打つことも考えたかもしれません。でも、最初の試合でそれをしてしまうことへの足首への負担、リバウンド、さらにはこれから待ち受ける『連戦』を考えても現実的ではないな、と。それに、リハビリをしていた時から「チームに合流して、公式戦を戦える状態になった時には、最後まで離脱せずに突っ走りたい」と考えていたのもあります。また、100%ではない状態でピッチに立ってチームに迷惑をかけたくないという思いもありました。
というわけで、僕自身も楽しみにしていたガンバデビューはお預けになりましたが、とにかく今はドクター、トレーナー陣の力も借りて、やれることを全部やって全力で治療に取り組んでいますし、その中で少しずつ快方に向かっているのを感じているので、これを続けていくしかないな、と。正直、Jリーグが再開した今、これまで以上にサッカーがしたくてウズウズしていますし、応援してくれる人たちやサポーターの皆さんにも早くピッチに立って戦う姿を見せたいとも思います。ただ今は、ガンバの力になれるように、ピッチで自分らしく思い切り戦えるように、もう少し我慢して右足首と向き合っていこうと思っています。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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