ヴィルスリーガ(ラトビアサッカーリーグ)のFK RFSでスポーツディレクターを務めるAleksandrs Usovs。選手としても年代別ラトビア代表に選ばれるも別の道を歩むなか、どのようなきっかけで今の仕事に就いたのか。就任して知ったサッカー界の実態、そして今後のビジョンとは何か。ヴィルスリーガ(ラトビアサッカーリーグ)・FK RFSスポーツディレクター・Aleksandrs Usovsに聞いた。
ーFK RFSのスポーツダイレクターにはいつから就任されたのですか?
Aleksandrs 2016年、RFSがラトビアリーグの2部から1部に昇格したときからです。その当時、私は銀行で働いていたのですが、LNKというRFSのメインスポンサーのオーナーからオファーをいただいたのをきっかけにスポーツダイレクターになりました。もうかれこれ5年になりますね。
ー今はどういった役割を担っていますか。
Aleksandrs 他クラブのスポーツダイレクターと同じような仕事だと思います。主に2つの大きな仕事があって、練習や試合に向けて予定を組んで、そのための環境をしっかりと整えたり、それが滞りなく進むようにすること。そして、選手たちとの契約、また新しい選手との契約を進めることです。選手だけではなく監督やコーチ、ドクターなどスタッフとの契約も私が担当しています。
ー金融の世界からサッカーの世界に入ったとのことですが、これまでにサッカーとの関わりはあったのですか?
Aleksandrs 8歳の頃からサッカーを始めて、19歳までラトビアリーグでプレーしていました。実際に15歳から17歳までは、年代別代表にも選ばれていたんです。私自身、サッカーを続けていこうと思っていたのですが、親に相談をしたとき、サッカーだけで生活していくのは難しいんじゃないかということを早い段階で言われたんです。
ー若くして現実的な話ですね。
Aleksandrs そのなかで、20歳くらいになったときに親のほうから「こういう道がいいのではないか」とすすめられて、ドイツの大学へ進学しました。スポーツ関係について学んでいたので、在学中からスポーツイベントを開催したり、また大学卒業後にラトビアに戻ってきて銀行で働きながらも、同じようにスポーツイベントをドイツで頻繁にやっていました。それが縁で、今でもドイツとのコネクションがすごく強くあって、いろいろなスポーツチームとよくやりとりをしています。スポーツダイレクターとしてのキャリアが始まったのは5年前からですが、スポーツイベントなどの仕事は以前からやっていたので、サッカーの世界にも知り合いは多くいました。
ーサッカーチームのスポーツダイレクターをやりたいと思っていたのですか?
Aleksandrs もちろん夢ではないですが、非常に興味を持っていました。ドイツからラトビアに帰ってきて、銀行で働いているときは投資系の担当部署だったんです。結構、良いポジションで仕事をしていたなかで、やはりスポーツ関係とかIT企業の方たちと接する機会が多くなっていった。その人たちと一緒に草サッカーチームを作ったり、あとはいろいろな人とドイツで知り合いになったので、ラトビアのユース年代の選手をドイツに連れて行ったりしていました。ブンデスリーガでデビューすることはできなかったのですが、ユース年代で2、3年プレーして、今ではラトビア代表に入っている選手もいます。何か大きな目標とか夢というものではなかったのですが、スポーツダイレクターになりたいという思いは持っていました。